第307話 伝家の宝刀
「ふぅ……」
翌日、グリムナ達の前に姿を現したベアリスは明らかに消耗していた。その理由がつかめないラーラマリアは困惑しているが、記憶を失っているグリムナは特に気にしている様子はない。
ベアリスはちらりとそのグリムナの様子を見て、また目を伏せた。
「ベアリス様ってもっと活発だったイメージだったけれど……?」
ラーラマリアはちらりとビュートリットの方を見てそう言う。
「色々とあったのだ」
言葉少なに応えるビュートリットにグリムナが訪ねる。
「ターヤ王国に何があったんですか? 不勉強で申し訳ないですが」
「君も知っての通り……いや、覚えていないのか。ターヤ王国では革命が起きてな。だが、ベアリス様がそれをうまいこと治めて首都カルドヤヴィから革命軍を撤退させることには成功したのだ」
二人とも初耳の情報である。
ベアリスは革命軍に身柄をひきわたされた後、ヒェンタープーフの撤退と民主化の確約をすることで革命軍に首都を撤退させていた。
「だが、その後がうまくいかなくてな……結局王国の実権を狙うヒェンタープーフ将軍の息子を中心とする一派に追い落とされて、亡命することとなってしまったのだ」
「え? また追放されたの……?」
ラーラマリアが思わず聞き返す。ベアリスは椅子の上に体育座りをしたまま憮然とした表情で答える。
「ええ、ええ、そうですよ。三回目の追放ですよ。所詮私に王族なんて無理だったんですよ」
昨日とはテンションが全く違う。何か悪い方向に吹っ切れてしまったようだ。
「む……民心がついてこなくてな……決して間違ったことはしてなかったと思うのだが……」
◇◆◇
その日、ターヤ王国の王都カルドヤヴィにある中央の広場には多くの市民が押しかけていた。約半数は訳も分からずただ人が集まっているから自分も、とたかってきただけであったが、しかしこの政情不安の続くターヤ王国では革命軍が首都を握って以来内政に不慣れながらも国を改革しようとする彼らによって朝令暮改の法令が次々と施行され、混乱を巻き起こしていたため、自然と市民の政治への関心が強くなってきていた。
しかもこの日は特別であった。
革命軍の白鳥城からの撤退、そして南部から流れてくる噂……『王女ベアリスが生きている』と。
勝手なものではあるものの、それを失って以来、民は自分達を導いてくれる王族を心待ちにしていた。
広場にある演説用の壇上に登った人影に聴衆はどよめいた。
それは汚い、薄汚れたワンピースに身を包んだみすぼらしい少女だったからだ。しかし一部の市民は顔を見て気付いていた。あれこそ我らが女王、ベアリス陛下であると。
この時はすでにカルドヤヴィにビュートリット率いる王党派の本隊も到着していたので綺麗な召し物に替える事も出来た。しかしそれをせず、この一年野山で共に過ごしてきた小汚いワンピースを以て演説にあたったのは、まさにそれこそがベアリスの心意気であったからだ。
「まず私は、皆さんに謝らなければならないことがあります……」
当然現代日本と違ってマイクもスピーカーもない。しかしそれはよく通る、力強い声であった。それと同時にざわついていた聴衆も静まり返った。
「皆さんも知っておられると思いますが、確かに私は一年前、この国を追放されました。それはひとえに私の無知ゆえ。不徳の致すところでした。謝罪します」
そう言ってベアリスは壇上で
ベアリスはバッと顔を上げ、話を続ける。
「ですが私は帰ってきました。全ては争いを止めるためです」
ベアリスは壇上でドン、と机をたたいて語気を強めた。
「今は争っている時ではありません。北の蛮族に南のピアレスト王国、それにヤーベ教国もこの国を狙っている可能性があります。その上竜が復活したという噂もあります。こんな時に、小さな国の中で争うべきではありません」
「戦争で死ぬ人は、みな犬死にです」
この言葉には市民はざわつきだした。戦で死ぬものが無駄であるなど、為政者は決して言ってはいけない言葉のはずであった。
「生きる事こそが最優先です。国のため、主のため、そんなものに命を張る必要はありません。戦うためでなく、生きるために力を合わせるのです。そのためならば、私は王座にも執着する気はありません」
聴衆は一層ざわめき立つ。てっきりベアリスは戻ってきたカルドヤヴィで王政復古宣言をするのだと思われていたのだが、実際には全く逆だったからだ。
「私は革命軍に王都撤退の条件として、政治形態の民主化を約束しました」
ここで聴衆のどよめきは最高潮に達した。あちらこちらから「要求の丸のみじゃないか」とか「実質的敗北宣言だ」とかいう市民の声が聞こえた。
そう感じるのも仕方のない事であるが、しかしこの中ではベアリスとビュートリットだけが知っているのだ。実際にヤーベ教国が野心をもってこの内戦で一方に力を貸そうとしていたことを。
「これから、厳しい戦いになります。政治中枢の人間だけでなく、みなさんでともに考えていかなければなりません。一人一人が、学び、賢く、強くならなければなりません」
◇◆◇
「……いい演説だったと、思いますけど」
「私も、そう思うわ」
グリムナとラーラマリアが続けてビュートリットの話に賛辞を贈るが、しかしベアリスは相変わらず椅子の上に体育座りしてそっぽを向いている。
今、亡命してここにいるということはそれもうまくいかなかったということなのだろうが。
ビュートリットがこめかみを押さえながら目をつぶって呟いた。
「市民は大いに戸惑ってはいたものの、しかし、いい演説ではあった……」
ビュートリットは目を開け、ゆっくりと語りだす。
「ここまではな」
◇◆◇
市民の戸惑い、反発は大きなものだった。
ざわめき、口々に言葉を放つ。「市民を助けに来たのではないのか」、「無責任だ」、「王族としての矜持はないのか」……改革を進めてゆけばいずれは貴族や議会からの突き上げは喰らうだろうことは予測していた。
しかしその前に市民の反発をここまで受けるというのはビュートリットにも想定外だった。王都の市民は革命派の行動を受け入れていると思っていたからだ。
だがそれでも聴衆の内半数ほどはベアリスの勇気ある宣言に称賛の眼差しを送っているように見えた。
ある市民が叫んだ。「俺たちに必要なのは自由や権利じゃない、明日食うメシだ!」これはまさに市民の心を代弁する物だったらしく、またざわめきが大きくなった。
そう、『弱者』に必要なのは『自由』や『権利』、そして『民主化』などという形のよく分からない、どんな利益をもたらすのか分からない不確かなものではない。もっと具体的な、そして未来ではなく今日、明日必要なものなのだ。現世利益なのだ。
実際この時点で『民主化』がなぜ必要なのかを理解している市民など1割もいまい。
「俺はもう1週間も肉を食ってねえ! 俺たちが必要としてるのは白いパンと肉のスープだ!」
誰か、前列にいる市民がそう叫んだ。その言葉を聞いてベアリスはポケットからごそごそと何かを取り出した。
……それは、親指大の、うぞうぞと蠢く何かの幼虫であった。
ビュートリットは、これが何を意味するのかを知らなかった。
おそらくは、その場に記憶を失っていないグリムナか、ヒッテか、ベアリスの私生活をよく知る人物がいれば、これを即座に止めたであろうが、しかしそんな人物はその場にいなかったのだ。
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