第115話 オメガバース

「男同士で子供が出来るだと? そんな話は聞いたことがない。本当にそんな方法があるのか?」


 よせばいいのにブロッズがフィーの与太話に食いついてしまった。この男の知的好奇心を止められるものなど無いのだろうか。

 グリムナは露骨に嫌そうな表情をしており、それを隠そうともしない。正直言ってフィーに出会ってから、彼女の口から出るのはホモの話ばかり。無益な話が9割オーバーの無駄打ちアベレージヒッターであった。変に食いついたら話が長引くだけだぞ、というのが包み隠さぬ彼の気持ちである。


 一方のフィーはブロッズが食いついたことによほど気をよくしたのか、フフン、と余裕の笑みで顔の横にピン、と人差し指を立てて得意顔で答えた。


「オメガバース……」


「オメガバース……? それはいったい……」


 聞き慣れない単語に思わずブロッズが聞き返す。100点満点のリアクションである。フィーは一層気をよくして顔を上気させながら笑顔で説明を続ける。口元にはキラリと涎が光っている。


「知らないのも無理はないかもしれないわね。BL界隈から発生した特殊性癖世界の話だから。順番に説明するわね。元々は狼の群れの階級社会形式をベースとした世界観なの。狼の群れは順位変動はあるものの、強固な雌雄別の階級社会で成り立っていて、それぞれトップからアルファ、ベータ……と続き、最下位の個体をオメガ個体と呼ぶわ」


 ものっそい早口である。やはりこの女、自分の趣味の話になると異様に饒舌になる。彼女の話が本格的に始まるとグリムナはもう諦めたのか、興味をなくし、指のささくれをいじり始めた。


「そのオオカミの話が、男性の出産と何か関係があるのか?」


 ブロッズが一見関係ない話を始めたようなフィーに疑問を差し挟む。一人だけに喋らせず、想定内の質問を適度に投げ入れる。理想のオーディエンスである。フィーは彼のサポートもあり、気持ちよく話しを続ける。


「そう急かさないの。……この階級というものは、実は男性の社会にも当てはめることが出来るの。今言ったオオカミの階級になぞらえて、男性の中にはアルファ、ベータ、オメガという三つの性があるのよ」


「アルファ、ベータ、オメガだと? そんなものは初めて聞くな……いったい何なんだ」


 またもブロッズの合いの手が入る。フィーは本当に喋りやすそうに話す。ブロッズはその外見と社会的地位もあり、どこに行ってもたいそう女性にモテるのだが、こう言った聞き上手なところも、モテる要素なのかもしれない。


「まずアルファ性というのは外見も良く知性も高い。社会のトップを担う支配階層でエリート集団になるわ。この中で言うとまさにあなた、ブロッズが当てはまるわね。次にベータ性。これは社会の中間階級となって、一番数が多いわ。ま、社会の土台となる階層という事ね」


 もはや陶酔感さえ持ちながら気持ちよく話すフィー。誰も彼女を止められない。グリムナは指のささくれに夢中である。


「ちょ、ちょっと待ってください?」


 しかしここでヒッテが口を挟んだ。フィーは気を悪くしたのか、少しきつい目つきで彼女の方を見ながら「何?」と続きの言葉を促した。


「いや、さっき『特殊性癖世界』とか『世界観』とか言ってましたけど、これって現実世界の話じゃないんですか?」


 当然の質問である。話し始めた矢先に何やら不穏な単語を呟いていた。そもそもの大前提が何か怪しいのだ。この質問にフィーは「はぁ……」と深いため息をついて、無視した。


 君のような勘のいいガキは嫌いだよ。


「そして社会の下層に位置するオメガ性……発情期に抗いがたい特殊なフェロモンを分泌してしまい、他の性を本人の意思と無関係に誘惑してしまう。特にアルファ性はその誘惑に極めて弱いとされているのよ……フフ……誰かに当てはまると思わない……?」


 ヒッテを無視して話を続けるフィーがニヤリと笑うと、バッソーがグリムナの方を向いて「まさか……ッ!!」と驚愕した。彼もなかなかいいオーディエンスだ。


 一方のグリムナはというと「いてっ……血が出ちゃった……」と小さな声でつぶやきながら爪の生え際のあたりをペロペロと舐めている。どうやら指のささくれを剥きすぎて出血してしまったようだ。

 これにフィーは顔を赤らめながらニヤニヤと呟いた。


「あざといわね……そういうところがあなた、卑怯なのよ……」


 じゅるり、とフィーが舌なめずりをした。


「これで分かったでしょう? ブロッズは聖堂騎士団のトップ、社会のエリートたる担う紛うことなき支配階級、アルファ性。一方グリムナはうだつの上がらない底辺回復術士でありながら数多の老若男女を誘惑する生粋のオメガ性! ブロッズ、あなたがグリムナに惹かれるのは、水の低きに流れるが如くごく自然なことなのよ! 抗うことなんて出来はしないのよ!!」


 絶頂射精しそうなほどの勢いで気持ちよく語り上げたフィーであったが、この説明にブロッズは左手で顔を覆い、少しうつむきながら考え事をするようにフィーに訪ねた。


「い、いや……ちょっと待って……」


 一体何事か、今の説明の何が不満だったのか、とフィーがぽかんとした表情で彼の方を見つめているが、ブロッズの口から語られたのは至極当然の質問であった。


「今の説明……男性の妊娠と……何も繋がっていなくないか?」


 盲点であった。


「いや、百歩譲ってだ……オメガがアルファを誘惑してしまうとしよう……それも現実に即していないとは思うが……で、アルファが私で、オメガがグリムナだとしよう……これもさらに百歩譲ってだが……今合計二百歩譲っているぞ? ……それでも、男性の妊娠とぜんぜん関係ない話じゃないか? 今の……」


「あちゃ~……」


 その言葉を聞いてフィーはパンッと片手で額を叩いて天を仰いだ。


「そういうこと言っちゃう? 粋を理解しない男ねぇ……」


 そのままフィーはズンズンとブロッズの元に歩み寄りガシッと両肩を掴んで顔を寄せた。非常に顔が整っており均整のとれたスタイルをしている美しいエルフである。女慣れのしているブロッズにとっても、少し顔を近づけられるのは気恥ずかしい感じがしたが、しかし今フィーはそれどころではないようだ。


「いい? ただの恋愛じゃないのよ!? 支配階級と下層階級の恋! 越えられない身分の壁! そこにさらに妊娠というスパイスが加わることで『尊み』が二倍にも三倍にもなるのよ! これはもはや必然なのよ!!」


「い、いや……何を言っているのか、全く理解できないが……」


 ブロッズの発言は当然至極の内容である。正直言って彼女の説明は全く的を射ていない。はっきり言って支離滅裂もいいところである。どうやって男が妊娠するのかを聞いているのにありもしない社会階層の話をべらべらとまくし立てただけなのだ。


 一人で勝手にヒートアップしただけで「説明しよう」という気が全く感じられない。


「何でこの『尊さ』が理解できないの! 私なんて一時期これにがっぷりハマっちゃって妊娠のないBL物じゃ一切ヌケなくなっちゃってたんだから!」


 そういう話ではないのだ。しかしどうやら彼女の中では『オメガバース』と『男性の妊娠』は切っても切り離せない関係だったようなのだが、それが一切説明できていないのだ。

 フィーはブロッズに「ちょっと待って」というとごそごそと自分の荷物を漁り始めた。


「ちょっと! もう少し待ってて!! あんたみたいな分からず屋のために、おすすめの奴があるから! これ読めばあんたも、オメガバース無しじゃ生きられなくなるんだから!!」


 必死で荷物を漁るフィーと対照的にその場にいる全員が呆れ顔である。グリムナはぼそっと呟いた。


「どうせこれ理解してもしなくても架空の世界の話なんだろ?」


 それを言ってはおしまいである。

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