第405話 加齢臭ダンジョン

「確か、この辺りだったはずだ……」


 そう呟いてごそごそと男は茂みを探す。明け方の太陽のように美しく輝いていた金髪はボロボロにけば立って埃まみれになっている。表情には疲れの色が濃い。


 かつては市中においても全身鎧を纏っていたが、今は簡素な鎖帷子をつけているだけである。


 腰に差しているはずの、騎士の命である剣も、いつの間にか失くしてしまった。


 情けなくハの字に垂れ下がった眉と眉間に寄った皺。過去の彼を知るものでも、この男が聖騎士ブロッズ・ベプトだとは気づかないだろう。彼は何を探しているのだろうか。


「師匠……いったいどこに……師匠……師匠……」


 聖騎士ブロッズ・ベプトの師匠、それはグリムナと共通の師、ネクロゴブリコンの事である。最後に彼のもとを訪ねたのは、もう十年以上も昔になる。頼りないおぼろげな記憶を頼りに、必死で獣の住処と変わらない、彼の隠れ家の入り口を探す。


 バラバラになってしまったパズルを拾い集めるように。砂漠に落とした一粒の塩を探すように。半ば見つけられないような気がしながらも、彼にはもうそれしか頼るものはないのだ。


「動くな。ここで何してる」


 必死でアナグマの巣穴を掘り返しているブロッズの背中側から、その首筋にロングソードの刃が当てられた。ビクリと身震いしてブロッズは動きを止め、そしてゆっくりと振り返る。


「聖騎士ブロッズ……一体なんの用で……ん? ブロッズだよな? 誰だお前」


 後ろから声をかけた男、暗黒騎士ベルドは思わず戸惑いの声を上げた。


 両目に涙をためたその顔は、まるで雨の中途方に暮れる幼い迷い子の様であった。以前から感情の起伏の激しい人間であるとは思っていたものの、しかし振り向いた彼の様相はこれまでに彼が見たどんなブロッズとも違っていた。


 以前の自信に満ち溢れた聖騎士とも、ダンダルクを断罪した時に見せたような酷薄な表情とも、そして、自分を拷問した時のような狂気にとり憑かれた様子とも違う。


「よい、通してやれ、ベルド。儂に用があるようじゃ」


 ベルドの後ろから緑色の肌をした小さな老人が、いや、老ゴブリンが姿を見せた。


「ああ、師匠、ししょう……」


 ブロッズは這いずるようにネクロゴブリコンに近づき、その足に縋りついて泣き始めた。


「やれやれ、一体なにがあったってんだ……」


 ベルドは呆れた表情を浮かべている。



――――――――――――――――



 ネクロゴブリコンの住処である洞窟の中に案内されると、ブロッズは興味深そうにあたりを見回しながら歩みを進めた。


「前よりも……広くなっている気がする……私が以前よりも小さくなったから、だろうか……」


「普通逆だろ」


 ベルドのツッコミにブロッズは小さく「ひっ」と悲鳴を上げて縮こまる。ベルドはどうにも調子が狂う気がした。


 次に顔を合わせることがあれば、敵として会うのであれば容赦なく殺すつもりであったし、味方として会うことになっても、拷問をされたことの嫌味の一つでも言ってやろうと思っていたのに(たとえ何か誤解があろうとも、とても嫌味くらいで済ませられるような拷問ではなかったが)、実際に会ってみてのブロッズの様子を見てみると、そんな気持ちも萎えてしまった。


 というよりも、「これが本当にあのブロッズなのか」という疑惑の念をぬぐえない状態だ。確かに外見はブロッズなのだが、その態度は同一人物とはとても思えない。ボスフィンの町でウルクが言った通り精神に疾患を抱えているとしても、ここまで変わるものなのか。


「レジスタンスのアジトにするには少し狭かったから、広げたんじゃよ」


 洞窟の奥の方からネクロゴブリコンとは別の、老人の声がする。


「そう言えば以前にローゼンロットで会った時にネクロゴブリコンが師匠、とか言っておったのう。今は仲間が一人でも欲しい時じゃ、歓迎するぞい」


 にこやかに話す老人。賢者バッソーである。洞窟の中にはネクロゴブリコン、バッソー、ベルド、ブロッズ・ベプトの4人が揃った。換気も悪いので加齢臭が凄い。


「ローゼンロットやアンキリキリウムがすでに竜によって滅ぼされたのは知ってる。だが、俺たちはまだ諦めるつもりはない。ここが、竜に対する人間のレジスタンス本部ってわけさ」


 ベルドが代表してブロッズにそう話した。彼ももう四十代、そろそろ加齢臭が漂い始める頃である。加齢臭にはまだ遠いブロッズは、その言葉を聞くとぽろぽろと涙を流し始めた。


「自分が……恥ずかしい。勝手に暴走して、勝手に絶望して、私は、どこまでも自分勝手だった。……ベルド、俺を……罰してくれ」


「本気で言っているのか……?」


 ベルドは腰の剣を抜き、その切っ先をブロッズの目の前で止める。そのまましばらく無言で見つめ合っていたが、やがて大きく剣を振りかぶり、そしてブロッズの首筋の直前で、ピタリと止めた。


「フン、本当はてめえの目障りな首なんざ刎ね飛ばしてやりたいところだが、さっきバッソーが言った通り、今は一人でも仲間が欲しいんでな。しばらく預けてやるさ」


 そう言ってベルドが剣を鞘に納めると、今度はネクロゴブリコンが口を開いた。前回の竜の惨禍を生き延びた、齢400年を超える老ゴブリン。本来ならばとっくの昔に棺桶に両足を突っ込んでいる年齢。もはや加齢臭という一言では語れない匂いである。


「ただ絶望しているというわけではないじゃろう。だったらここへは来ない筈じゃ。何を思い、ここへ来た?」


 ブロッズは一通の封書を取り出した。それをネクロゴブリコンが受け取り、訝しげな表情であらためる。


「メザンザ……? ヤーベ教国の大司教が何故儂の名を知っておる……?」


 封蝋をちぎり、中の手紙を広げると、その表情はみるみるうちに驚愕の色を濃くしていった。


「なんと……ベルアメールの預言があったじゃと……!?」


「ベルアメールって、400年前の? とっくに死んでるんじゃないんか?」


 驚いた様子でバッソーも手紙を覗き込む。もうすぐで70に差し掛かろうという年齢である。加齢臭はもはやキャリアハイと言っても過言ではない。


「死んでいるのは間違いない。一体どういうことなのかは分からんが、儂は奴が竜に食われるところを見ておるからな……」


「見ている……?」


 その言葉にベルドが聞き返すと、ネクロゴブリコンはゆっくりと答えた。


「そうじゃ、儂は400年前、世界を竜から救うため、ベルアメール達と共に旅をしておったのじゃ……」


 ネクロゴブリコンは、過去を思い出そうと、洞窟の天井を見上げながら話し始めた。


「ゴブリンの寿命は通常ならば10年ほど……あれは、儂とベルアメールの出会いは、儂がまだ5,6歳の……」

「手紙にはなんて書いてあったんじゃ?」


 バッソーが手紙を脇から覗き込みながら尋ねる。


「5,6歳の頃じゃった。儂は、いつも通り、仲間と人間の村を」

「メザンザがなぜネクロゴブリコンの事を知ってるんだ? 預言って何のことだ?」


 ベルドも興味深げに手紙を覗き込む。


「…………ん……」


「……その、じゃな……」


 ネクロゴブリコンはちらり、と皆の顔を見回す。三人とも、一様に黙って彼が語りだすのを待っている。


 いけるか。


「儂とベルアメールの出会いは400年余り昔のことじゃ一介のゴブリンであった儂とベルアメールの出会いは衝撃的であった村の襲撃に失敗して命乞いをする儂にベルアメールは優し気な笑顔でそれを許したのだったベルアメールは竜の復活を阻止するために旅を」

「語っててもいいんで、先ずこれがどういう集まりなのか教えてほしいんですが。バッソー殿とベルドは一体ここで何を?」


 ブロッズである。息を止めずに一気に語り切ろうとしたネクロゴブリコンの言葉を止め、バッソーとベルドに話しかける。


「むぅ……」


 ネクロゴブリコンは眉間にしわを寄せた。

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