第33話 野風の笛
「はぁ、どっと疲れた……」
ベアリスの部屋の外にでるとグリムナは思わずため息をついた。いつもはため息を咎めるようなことを言うヒッテであるが、今日はさすがになにも言わない。気遣いと、言うよりは、グリムナのことを哀れに思ったからであろう。
彼の初恋は無惨にも打ち砕かれたのだ。相手は王族である、そもそもが叶うはずの恋ではなかったのだろうが、まさかグリムナ自身がベアリスに対して幻滅する、という形で恋が終わるとは思いもよらなかった。
好きになった人は、糞ニートになっていた。国士様になっていた。うんこ製造機になっていた。
もはや幽鬼の如く頼りない足取りで城下に戻ろうとする彼にヒッテもフィーも、かける言葉を持たなかったが、彼らに後ろから声をかける者があった。
「むおっ!?」
声の主は振り向いたグリムナの表情に異常な疲労を見出して少し驚いたようであったが、すぐに冷静さを取り戻して話しかけてきた。
「久し振りだな、グリムナ殿……」
「あ、陛下、お久しぶりでございます」
ターヤ王国国王、イーントロットであった。慌てて最敬礼をとるグリムナにヒッテとフィーも続くが、国王が「よい、面を上げよ」と、それを制す。
「私的な話である、お主等は下がっておれ」
国王がそう言うと、随伴していた近衛兵達は少し戸惑いながらもおずおずと下がっていった。
「此度の仕儀、まこと大儀であった。なんでも怪異に会うたとか……」
国王の『怪異』という言葉にグリムナの脳裏には一瞬うんこ製造機の顔が浮かんだが、そうではあるまい。もちろん山賊団にいたトロールのことであろう。
「人の言葉を解す魔物など聞いたことがない……此度の件だけではない、世界中で異変が起こっているように感じられる」
国王はそう言ったが実を言うと人の言葉を解す魔物に会うのはグリムナはこれが初めてではない。ネクロゴブリコンである。思わず彼のキス顔がグリムナの脳裏に浮かんでしまい、目を伏せる。ここ最近彼はつらい目にあってばかりいる。
「この国も近いうちに戦乱に巻き込まれるであろう。南のピアレスト王国との関係も良くないし、北方蛮族の攻撃も断続的に受けている。……今、国を割るわけにはいかんのだ」
グリムナは国王が何を言いに来たのかを、これで理解した。要は言い訳をしに来たのだ。末の娘をおざなりな扱いをしていることへの。こんな一介の冒険者にそんな言い訳をしてどうするのだ、と思うところもあったが、彼には少しずつ怒りがわいてきた。国の事情で子供にぞんざいな扱いをして、そのせいで可憐な少女だったベアリスはクソニートの国士様になってしまった。そう、決してグリムナが変なことを吹き込んだせいではないはずだ。少なくとも彼はそう思いたかった。
「国の在り方も、変わってゆくだろう。ベアリスを庇護できるのも、この国の安泰あってのことだ……」
そう言ってから国王は懐から小さな白い木箱を取り出した。その木箱は長さ30センチほどの直方体の箱で、綺麗な装飾の施された帯のような紐で固く結ばれていた。
「もし、私と、この国に何かあったら、これをベアリスに渡してほしい。『野風の笛』という……」
グリムナは半ばあっけにとられたような顔でそれを受け取ったが、すぐに「なぜ」という考えが浮かんだ。詳細は分からないが、野風の笛と言えばターヤ王国に伝わる魔道具の一つである。なぜそれを直接ベアリスにではなく一介の冒険者である自分に?もしや何か政変が起こって王族の立場が危うくなるような気配でもあるのか、と様々な考えが頭を巡って、体が硬直していたが、そうこうしているうちに国王が再び口を開いた。
「お主たちは竜の討伐のため旅をしているのであったな……確かに、今この世界は戦乱と飢餓にあえいでおる、竜の復活もそう遠くないかもしれんな……頼んだぞ……」
そう言って国王はグリムナの傍から離れていった。
「陛下は……何を知っておられるのだろう……」
グリムナの口からは自然と言葉が漏れ出ていた。
「フィーは、竜の存在について、どう思う?」
グリムナは宿の四人部屋の中にある小さなテーブルに着席してそう尋ねた。グリムナ達はその日はカルドヤヴィでもう一泊してから旅立つことにした。
「死神の神殿かぁ……正直聞いたことないわね。エルフの間ではそもそも神よりも自然の精霊を崇める宗教観の方が強いし。ヒューマン如きの宗教についてはあまりよく調べたこともないから、分からないわね」
「そうか……エルフでも知らな……今『ヒューマン如き』って言った?」
「言ってないわよ」
「言ったよね?」
「言ってないって」
「あのぅ……ヒッテにもそう聞こえましたけど……」
言った言わないの二人の言い合いにヒッテも援護射撃を加えたが、フィーはドンッと机をたたいてそれを黙らせる。
「何も言ってないのに言った感じにするのやめてもらえます? 二対一でエルフの女の子いじめて楽しいですか? パーティー組んだらさっそくヒューマンお得意の差別か。これだから下等動物と旅するのは嫌なんだよ。」
一言で見事に矛盾した発言をするフィーに二人は黙ってしまう。何とか空気を変えようとグリムナが口を開く。考えてみればこのエルフが人間をどう思っているかなどどうでもよい、竜の事が聞きたかったのだ。野生動物の群れですら差別やいじめというものは存在するのだ。だったら人間より長い寿命を持つエルフが人間に対し『そういう感情』を持っていたとしても不思議はないし、そう思うこと自体は彼女の自由だ。人には内心の自由がある。
「ま、まあ……それはともかくとしてサ……竜の伝承についてはなんかエルフの里とかに伝わるものないの? エルフって人間よりかなり長生きなんでしょ? ひょっとしたら、フィーは、竜の出現した時代から生きてたり、しないかな?」
「ハハッ、それはさすがにないわよ。私まだ60代よ? 竜って400年くらい前の出来事でしょ?」
フィーがそれを鼻で笑って返す。これまでなら対して気にすることのないような会話だが、彼女の差別感情を知ってしまった後だと、何となくこの笑いも人を見下した感じを受ける。しかしフィーは少し考えた後、思い出すようにぽつりぽつりと話し出した。
「祖父の代になるけど、私の両親がまだ小さかったころって聞いたかな? 竜が現れた時、それはもうてんやわんやの大騒動だったらしいわね……」
世界を滅ぼす巨大な竜の出現を『てんやわんやの大騒動』と表現した。
「でも竜は、人のいる場所ばかり狙って動いてて、エルフたちはあまり被害は受けなかったのよ。その後に来た長い冬の時代の方が大勢のエルフが死んだんだけど……」
竜の出現、それは多くの人的被害をもたらしたが、死者の数で言えばその後十年近く続いた『長い冬』による飢饉の方が被害は大きかったのだった。
「そう考えると、あのお姫様の言ってた『竜は人為的なもの』って説はしっくりくる気がするなあ……」
結局フィーからはそれ以上の話は出てこなかったため、話はこれで打ち切り、グリムナ達は明日以降南の国々へ向かいながら死神の神殿を探すことにした。この森林王国ターヤは大陸の北側に位置し、ここより北は針葉樹の並ぶ北方蛮族の支配する未開の地、さらに北へ行くと人の住まない永久凍土になる。そこではエルフと同様神への信仰は盛んではなく、土着の精霊信仰や氏神を細々と祀っている程度であり、死神の神殿などなさそうだからである。
その日は明日からの方針を確かめ合ってから寝た。彼らのとってる部屋は4人部屋で、一つベッドが余る状態で寝ている。大きな仕事をした後、報酬も入って余裕もある。みんな疲れているので二人部屋で一人が床で寝るよりは多少高い部屋でもゆっくりと休憩を取ろうということになったのである。
次の日の朝、穏やかな日の差し込む中グリムナは目を覚ましてしばらく部屋の中を見回してから頭を抱え込んだ。
ヒッテがいないのだ。
さらに言うなら自分たちの荷物も、フィーの荷物もない。
「またやられた……」
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