第216話 野風の笛2

「正面から……ですか?」


 思わずグリムナが困惑の表情で聞き返す。


 おそらくはベアリスを亡き者にするため、彼女たち一行を砂漠に置き去りにしたターヤ王国の元宰相ビュートリット。


 ベアリスの機転とサバイバルの知識により彼らはかろうじて砂漠から生還し、そしてこうやってターヤ王国のビュートリット・ルゥ・コルコスの治める街、カルティッシウムまで無事たどり着くことができた。

 しかしこの後の動きをどうするのか。当然王族を皆殺しにした革命派に身を寄せることなどできない。さりとてベアリスを亡き者にしようとしたビュートリットに頼るなどもっての外。そこでどうしようか、と作戦会議を開いていたのだが、ベアリスの口から放たれたのはまさかの正面突破であった。


 自らを殺そうとした可能性の高い彼のもとに正面から訪ねて行って、ベアリスは一体どうしようというのか、まさにそこが理解できずにグリムナは聞き返したのだ。バッソーも難しい顔をして考え込む。


「ふぅむ……なぜ『亡き者にしようとした』のか……まさにそこでございますな……」


「そうなんですよ!」


 バッソーの言葉にベアリスは勢いよく答えた。


「どうやら私の救出作戦が行われていることは町の人たちも少し前から知っていたみたいなんですよね。そこにきて……」


 彼女が言い終わる前にヒッテも言葉を続ける。


「ベアリス様が『革命派に』暗殺された、という、今流れている噂ですか……その噂を一体誰が流したのか……ベアリス様はその噂を流したのもまたビュートリットだと考えているんですね?」


 ヒッテの言葉にベアリスは大きくうなずく。


「そうです。町の人々はたった一人残った最後の王族の死を悼むとともに、革命派に対して大変に憤っています。これはおそらくビュートリットさんの思惑通りの展開なんだと思うんです。」


 つまりベアリスはビュートリットが、革命派と王党派で二つに分かれてしまった国内の世論を一つにまとめるために『革命派がベアリスを暗殺した』という噂を広めたと読んでいるのである。『革命派許すまじ』、まさにその世論を作り出すためにベアリスを生け贄に選んだのだと。


「だとしたら許せません! 自分勝手な国内の政局のために、何の事情も知らず、罪もないベアリス様を殺そうとし、そしてヒッテ達もついでに始末しようとするなんて……最初からこうするつもりで根無し草のヒッテ達を利用しようと近づいたということですか」


 ヒッテがぎりぎりと歯噛みする。実際砂漠で、グリムナはあと一歩で脱水症状により死んでしまうところだったのだ。しかし、だとするともはやターヤ王国に安全なところなどないということになる。この国の現在の二大派閥、革命派と王党派、両方がベアリスの命を狙っていることになるからだ。


 と、すれば。


 まさに正面から乗り込むということはそのうちの一派、王党派のトップたるビュートリットを正面から打ち倒し、これを従わせるということに他ならない。ベアリスは基本的にこれまでの行動を見て分かるように、小柄で儚げな外見に似合わず単純明快な性格であり、実際にそういう行動を好んでとる。


「し、しかしたった四人で本拠地に乗り込んでいくんですか? 実際ここまでは上手く潜入できましたけど、そっから先は相当厳しいんでは?」


 グリムナ自身、無謀で力押しの作戦をとる傾向があるが、このベアリスの作戦には難色を示した。とっている行動自体は彼がリヴフェイダーと戦った時や国境なき騎士団の本拠地に乗り込んだ時とそう変わらないように見えるが、しかし自分がとった無謀な行動を他人がやろうとすると、それはやはり蛮勇にしか見えないものなのだ。


「でも、やるなら今しかないんですよ? ビュートリットさんは今油断しています。まさか私たちがあのウニアムル砂漠から生きて帰ってくるなんて予想だにしてないでしょうからね。だからこそ、ろくに死体の確認すらせずに次のステップ、『革命派への濡れ衣』をかぶせる段階に作戦を進めたんですから」


「うむぅ……どうじゃろうのう……」


 バッソーが顎髭をなでながら首をかしげる。


「たとえば、どうじゃろう? いっその事ビュートリットの悪行を暴き、声高にベアリス様の凱旋を宣言して、第三勢力を立ち上げて反旗を翻すというのは?」


 バッソーの提案であったが、しかしベアリスはこの案が気に入らなかったのか、少し頬を膨らませ、ぶぜんとした表情で却下した。


「それは悪手です。確かに気分的にはそれが一番スッキリするかもしれませんが、正直言って私達には今なにも後ろ盾になる人がいません。いくら『王女が帰ってきた』と言ってもそれで即国内が一つにまとまる事なんて絶対にありません!

 そんなことをすれば国内は三つ巴の泥沼の内戦が始まってしまいます。そうなれば今は静観しているピアレスト王国や、他の周辺諸国ものんびりと見ていてはくれないでしょう」


 ベアリスの言葉にグリムナは彼女の父親、イーントロット王の言葉を思い出した。『今、国を割るわけにはいかない』……確かにその通りなのだ。ベアリスは父の行っていた神話編纂事業の事を馬鹿にしてはいたが、しかしここにきて目指すものは同じだったということに気付いた。


「だったら、それこそピアレスト王国やヤーベ教国に後ろ盾になってもらって勢力を作る、というのはどうですか?」


 ヒッテも提案をするがやはりベアリスはこの意見も却下したのだった。


「外患を以て内憂を制すのは一番手っ取り早い手段ではありますが、それこそ『ターヤ王家を保護する』という大義名分を他国に与えて国が蹂躙される可能性もあります。よしんばうまくいったとしても、新生ターヤ王国は後ろ盾となった国の傀儡政権になる可能性も高いです。長期的に見ればそれは滅びの道になります。民族自決が基本にして至高の命題です」


 ベアリスはきっぱりと言い放ち、さらに言葉を続ける。


「それにですね、ビュートリットさんの背後にも別の勢力がいたと仮定しましょう……」


 少し難しい推察を始めるベアリスを見て一同は驚くような表情を見せた。どうやらただの力押しだけを考えているわけではないようだ。


「その『別の勢力』が何者かは分かりませんが、もし知らずに『その勢力』に助力を申し出たりしたら、まさに飛んで火にいる夏の虫です。しかし逆に、ビュートリットさんが油断している今、『その勢力』の裏をかくとしたら、やはり今しかないんですよ」


 グリムナはその姿を見て感動していた。ベアリスが高い学識を持っていることは砂漠でのやり取りから察していたものの、しかし国元で『パンが無いならケーキを食べればいいじゃない』と言い放って追放された元王女がここまでしっかりした自分の考えを持っているとは思っていなかったのだ。


 起こそうとしている行動は無謀なれど、しかし彼女は彼女の哲学をもって地に足の着いた行動をとろうとしている、その姿に感銘を受けたのだった。


 グリムナは自分の荷物の袋をごそごそとあさり、そこから一つの細長い木箱を取り出して食事の終わっているテーブルの上に置き、ふたを開けた。中には、黒い笛が入っていた。


「これは……?」


 ベアリスが問いかけると、グリムナはゆっくりと、声のトーンを落として答えた。


「ベアリス様のお父上……イーントロット王から預かっていたものです。ターヤ王国の至宝、『野風の笛』です」


「なぜ……グリムナさんがこんなものを……?」


「陛下は言っておられました。もし、この国に何かがあったら、時が来たらこの笛をベアリス様に渡してほしい、と……」


 ベアリスは、そっとその笛を手に取ってゆっくりと眺め、頬ずりするように顔にそれを寄せ……そして、涙を流した。


「父上……」


 ステップで再会し、王族……彼女の家族がみな殺されたことを知った。その時も、その後も、ベアリスは決して辛そうな表情を見せることはなかったが、そんな彼女が見せた、初めての涙であった。


「……ひっ……うっ……父上……私は……っ……」


 ぽろぽろと涙を流し、言葉にならない言葉を出そうとしては消え、消えてはまた出そうとし、みるみるうちに彼女の表情は悲しみに染まっていった。


「陛下は……ベアリス様の身を、大層案じておられました。それを直接渡すのではなく、一度私に預けたのも、国内と自分の身に起こる不穏な動きを察していたのかもしれません」


 グリムナは一拍おいて、しっかりと、涙を流しているベアリスの瞳を見つめ、そして強い意志をもって言う。


「もはや止めません。俺の、全身全霊を、全神経と全脳力をかけて、みんなの力で国を取り戻しましょう!」

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