第315話 いともたやすく行われるえげつない行為
「オエ゛ェェ……」
もはや吐くものが無くなってレイティは胃液だけを吐き出す。
「ゴホッ……はあ、はぁ……」
信じられないものを見るように笑顔のアムネスティを見上げる。いや、実際信じられないものを見ているのだ。
「アヌシュの……兄……?」
そう。確かに彼女はそう言った。
アヌシュ……5年前、フィーをとらえた教会が牢番として配置していた人員の名、そしてレイティと同期の人権騎士団のメンバーの女性であるカマラの想い人、その人物がアヌシュであった。
「え……でも、アヌシュって……センパイが……」
そしてフィーの脱獄を画策したアムネスティが殺害した人物でもある。
「そうよ」
笑顔のままアムネスティは答える。彼女が今膝に抱いている幼子は、そのアヌシュの姪である。
「ホント、一時はどうなることかと思ったけどね……」
そう言ってアムネスティは白湯を口に運ぶ。
「あの夜、竜が大暴れしてくれたおかげでぜーんぶ有耶無耶になったわ! ウニア様々ね!」
「!?」
レイティは人権騎士団に所属する。正直言ってこれは本職の騎士団や聖堂騎士団、衛兵と比較すれば『ごっこ遊び』のようなものであり、当然警察としての機能は持たない。
よって、アヌシュ殺害についてなぜアムネスティに捜査の手が及ばなかったのかは彼女は知らない。
しかしふたを開けてみれば簡単な話、単にあの後の竜の出現に呼応して起こったメザンザの大暴れと暴徒による略奪騒ぎで大勢死人が出たためアヌシュの死についてもそれに紛れて有耶無耶になってしまっただけだったのだ。
しかし、それにしたって分からないことがある。いくらアヌシュ殺害が明るみに出なかったとしてもなぜそれが彼の兄と結婚したことに繋がるのか。
しかし自意識の強いアムネスティはそれを聞かずしても話し出した。
「アヌシュの死亡が彼の周りでどういう扱いになっているのかがどうしても気になってね。あの後しばらく彼の家族……実家の周辺を調査していたのよ。そして、彼の兄がアヌシュの死によって大分落ち込んでいるのを知ってね……」
アムネスティはミシティの頭をなでながら話を続ける。顔には穏やかな笑顔が張り付いている。
「彼の心に寄り添うように、ケアをしてあげていたんだけど、慰めているうちに、いつの間にか……キャッ♡」
少し頬を赤らめて恥じらうようなしぐさをするアムネスティ。アラフォーの女がそんな仕草をしても可愛くはないし、レイティからすればそれは恐怖でしかない。
要するに、弟を失って心神喪失の兄の精神状態に付け込んで、オトした、というのだ。人の心がないのかコイツは。
いや、まあ実際当人にしてみればその時は心の葛藤があったりドラマチックなぶつかり合いがあったり、色々とあったのだろう。あったに違いない。だがそれはあくまで当人たちの話。外野から見てみれば事実だけが残る。
サイコパス女が自分の殺した男の兄をその毒牙にかけた、それだけなのだ。
「ひ……ひぃ……」
レイティはハンカチで口を拭うと恐怖のあまり尻餅をついたまま後ずさりした。どうやら腰が抜けて立てないようだ。
「祝福してくれないのかしら? レイティ……」
笑顔でそう言うアムネスティ。しかし彼女の笑顔こそが恐ろしくて、レイティはいう事を聞かない下半身を引きずって出口を目指し、逃げようとする。
その時であった。彼女の頭に何かが投げつけられた。
バチンッ
それはまるでぼろきれの様な……というか湿ったぼろきれであった。
「帰るなら、床をきれいに掃除してからにしてちょうだい」
ぼろきれというか雑巾だった。
レイティは恐怖を押さえながら、バケツも借りて、慎重な手つきで床を掃除する。まあ、当然と言えば当然ではあるのだが。
「ごめんなさいね。お客様にそんなことさせちゃって。でも、吐いたのはあなただし、何より私は無理のできない体だから」
そう言ってアムネスティは自分の腹を愛おしそうに撫でる。
その仕草で、レイティは全てを理解した。無理のきかない体……お茶ではなく白湯……その符号が示すところとは。
「まさか……二人目が……?」
レイティの言葉に、アムネスティはふふ、と笑う。
「この子も四歳になって、手もかからなくなったし、私も年齢的なものもあるから最後の仕込みを、ってね……」
アムネスティの笑顔。何の変哲もない、幸せそうな中年女性の美しい笑顔である。しかしその裏にある物を知っているレイティにとっては、やはり恐怖の感情しか浮かばない。その時ふとレイティはある考えに思い至った。
「え……四歳って、仕込みの期間も考えると……」
そう、恐ろしい事に気付いたのだ。
「アヌシュ殺害からほぼノータイムで孕んでるじゃないっスか!!」
一体この家に入って何度『恐ろしい』と思ったか知れないが、レイティはこの女に再び恐怖を感じた。『普通』なのに恐ろしい。『普通』が一番恐ろしい。恐ろしいのに『普通』にしていることが恐ろしい。
(この事実……絶対にカマラには言えない……)
そう、彼女にだけは知られてはいけない。自分の彼氏を殺した女がそれをダシに、殺した男の兄をオトして幸せいっぱい夢いっぱい、ついでに子宮もいっぱいで親子四人幸せに暮らしてます、などとは絶対に言えないのだ。
本来ならば世界を崩壊へと導くヴァローク。で、あればこういうことはさっさと本人に知らせて泥沼に陥れるのが正解なのかもしれないのだが、それよりなによりレイティ自身がこんなぐちゃぐちゃドロドロの愛憎渦巻く地獄に巻き込まれたくない、という気持ちの方が強かった。
「そうそう、それとあなた達の『アムネスティ人権騎士団』って名前なんだけれどね」
アムネスティに呼びかけられて、レイティは床を拭きながらも不安そうに顔を上げる。
「あれやめてくれないかしら? 名前のせいで私、関係者だと思われちゃうのよね。あんなキチガイ集団と関係あると思われたらイヤだわ」
関係者である。思いっきり関係者である。彼女が設立したからこそ『アムネスティ人権騎士団』という名前なのだ。
「こんなかりそめの幸せ……長く続くはずがないッスよ」
床掃除を再開しながらレイティがそう呟く。
そうだ。こんな『悪』がのさばり善人が割を食う。そんな世界が許せなくて自分はヴァロークに入って活動を始めたのであった。アムネスティはヴァロークの味方ではない。むしろ彼女にとってうち滅ぼすべき『敵』の代表のように映っていた。
「この世界はもうすぐ滅びるッス……国も人々の心も荒れ、戦が起こり、野盗が跳梁跋扈する。そんな世界でいくら子供なんて作ったって不幸の芽をばらまくだけッスよ……」
だがレイティの言葉には力がない。
たとえ世界が滅ぼうとも結局アムネスティみたいな悪人だけがのうのうと生き延びそうな気がしたからだ。しかも本人には悪人の自覚がない。
悪の自覚がない悪こそが最も恐ろしいのだ。レイティは今度こそ力を込めて叫んだ。
「センパイの根性は畑に捨てられてカビがはえて、ハエもたからねーカボチャみたいに腐りきってやがるッス……きっとそのうち野盗にでも襲われてこんな生活あっけなく幕を閉じるんスよ!」
レイティの口調が少し強くなったことに驚きつつアムネスティはしかし冷静にこれに応える。
「確かに物騒な世界になりつつあるわ。この間も傭兵団に村が襲われたことがあった。でも『ある人』がそいつらを追い払ってくれたのよ。私は悪運が強い。きっと何があっても生き残るわ」
「ある人……?」
「そうよ。あなたも知っている人間……第四聖堂騎士団の団長、ブロッズ・ベプトよ。何の目的があってか知らないけれど、各地を放浪しているみたいね……」
「何言ってるんスか……」
今日何度目か、レイティの表情が恐怖に歪む。
「
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