第46話 ダンダルク

 宿に戻ってからしばらくしてもグリムナはレイプ目であった。その日は一日椅子に座ったまま一歩も動かなかったという。ラーラマリア、レニオ、それにフィーからの強烈なセクハラ攻撃を受けてしばらくの間心神喪失していたのだ。


 それはさておき。


 時系列的にはラーラマリアとグリムナのパンツ会談から二日後、グリムナはすでに町から離れてネクロゴブリコンを訪ねるために物語冒頭で触れたオークの里の付近を目指して旅立った後である。


「確かに女にしちゃあタッパはあるが、そんなに強そうには見えねぇな……」


 この二日間ダンダルクはラーラマリアの後を尾行して様子を探っていた。それは暗殺のチャンスを探るためではなく、彼女の人となりを確認するためである。そうして出した結論は大した人物ではない、警戒するに値しない、というものであった。くしくも団長のブロッズ・ベプトと同じ結論であったわけだ。


 尾行を警戒しているようなそぶりも見せないし、街中を歩いているときは武器も携帯していない。女性としては身長はあるものの、とてもベルドに勝てるような膂力があるとは思えない。本当にこの女がベルドを倒したのか、と。


 実を言うとベルドを倒したのはラーラマリアではなくグリムナなのだが、ダンダルクは彼としっかり話し合いをしていないのでそれを知らないのだ。


「これなら隙を見て暗殺なんで面倒なことをする必要はねぇな。景気良く正面から派手にぶつかってやりゃあ十分だ。取り巻きが二人ほどいるみてえだが関係ねぇ。まとめて始末してやる」


 そう呟いてダンダルクはラーラマリア達が食事をとっている食堂に入っていった。さすがに鎧や教会の紋章など身分のわかるものは身に着けてはいないが、簡素な鎖帷子と彼の普段使っているロングソードを腰に差している。


 ギィ、と食堂の扉を開け、ラーラマリアの姿を探すと、店の奥の4人掛けの机に着席して夕食をとっていた。店に入った時、ダンダルクは帯刀はしていたものの、服装自体はそこまで珍しいものでもなかったために数人がちらりと姿を見やるだけで特に気にしている人物はいないように見えた。


 ダンダルクはずんずんと一直線にラーラマリア達のいる場所まで歩いていく。この時点で数名の客が不穏な空気を感じ取って代金を置いて席を離れた。普通の客であれば食堂に入ればまず空席がないか、とその場にとまって辺りを見渡す。帯刀している人間が特定の人間に一直線に歩いてきた、ということはその時点で荒事になる可能性が高い、と危機管理能力の高い人間はすぐに距離をとるのだ。ラーラマリア達は気づいているのかいないのか、そのまま食事を続けている。


 ダンダルクはラーラマリアの後ろに立ち、スラッと剣を抜いて振りかぶった。この時点でラーラマリアも音に気づいているはずであるし、対面に座っていたレニオとシルミラは当然気づいている。


 ダンダルクはそのまま振りかぶった剣をラーラマリアのすぐ横のテーブルの上にダンッと叩き下ろした。さすがに店内に残っていた客も悲鳴を上げながらみな逃げて行った。


 シルミラとレニオは食事の手は止めたものの、何も言わずにダンダルクを見つめている。ラーラマリアは手を止めることなくフォークに刺した肉を口に運んだ。


「随分神経の図太いお嬢さんだな。それとも首を刎ねられるまで気づかないのかねぇ?」


 ダンダルクがそう話しかけるとようやくラーラマリアは食事の手を止めて言った。


「食事中よ……あとになさい。マナーのなってない奴ね」


「悪ぃが最後の晩餐を待ってやるほど気が長くないんでね。あばよ」


 そう言ってダンダルクは剣を再び振りかぶって袈裟懸けに切りつけたが、ラーラマリアは椅子の上から転げ落ちながらダンダルクの顔に蹴りを放った。ダンダルクはそれを危なげなくかわしながらバックステップする。


(ま、さすがにそこまで簡単に済むとは思ってなかったがな……)


 しかし勝負は火を見るより明らかである。なぜならロングソードを持っているダンダルクに対し、ラーラマリアは得物を一切持っていないからだ。大陸最強と名高い暗黒騎士相手にさすがに素手で勝てるはずがない。たとえ魔法が使えようとも、この距離では近接戦闘武器の方が圧倒的に早いだろう。ダンダルクはそう考え、余裕の笑みを見せたが、ラーラマリアは先ほどまで食事に使っていたナイフを目の前にかざしながら事も無げに言った。


「申し訳ないけどこれより小さい得物を持ってないのよね……これ以上の手加減は無理よ?」


 ダンダルクは一瞬思考を怒りに奪われそうになったが、深めに呼吸をしてすぐに冷静さを取り戻す。明らかな挑発の言葉である。これに乗るのは悪手だ。強度的にも大きさ的にもロングソードの攻撃を食事用のナイフで受けられるわけがない。大方自分に注意を引いているうちに後ろの二人が援護をして魔法でカタをつける気であろう。ダンダルクがこの場でするべき最善手は相手の素手での攻撃の届かない範囲での斬撃、まずはそこである。


 ダンダルクは半歩間合いを開けながら斬撃を振り下ろす。目の焦点は三人のうちの誰にも会わせず、空中を彷徨ったままである。これこそが全ての状況に対応できる目である。しかし、ことラーラマリアに対してはこれこそが間違いだったのだ。

 結論から言えばダンダルクの攻撃が終わるまで後ろの二人、シルミラとレニオは動かなかったのだから。ダンダルクはラーラマリアにのみ注視すべきであった。


 ラーラマリアはダンダルクが剣を振り下ろそうとすると、彼をはるかに上回る速度で間合いを詰め、ナイフを彼のロングソードの根元にあてた。ダンダルクはそのまま力づくで剣を振りぬこうとしたが、ラーラマリアはその力に逆らわず、ダンダルクの剣のナイフを当てた部分を支点に、柄頭を掴んで振り下ろし方向に回転させた。するとロングソードをホールドしていたダンダルクの親指が外れてあっさりとラーラマリアは剣を奪った。


そのままラーラマリアは奪った剣の切っ先をダンダルクに突きつけながら口を開く。


「出直してこい、以外の言葉が思い浮かばないわね」


「なるほど、剣の腕はそこそこか……」


 そう言いながらダンダルクは左手のひとさし指と親指で輪を作って口元に持っていくと、シルミラが立ち上がりながら大声で叫んだ。


「いけない! 魔法よ!!」


 ダンダルクは指で作った輪の中に息を吹き付けた。すると、輪の中からぶわっと紫色の煙が噴き出て、あっという間に食堂の中に充満した。ラーラマリア達は慌てて煙から顔をそらしたが、その隙にダンダルクは数歩間合いを取っていた。しかしまさかこれがただの目くらましである、ということはあるまい。何よりダンダルクの剣を奪ったラーラマリアに対し、ダンダルクは無手のままなのだ。


「くっ、何をした!」


「ふふん、俺が何の考えもなしにここを戦場に選んだとでも思ってたのか? 三密の状況でこそ俺の魔法は光るのさ!」


 ラーラマリアの問いかけにダンダルクは答えずににやにやと笑いながら話し、さらに続けた。


「俺の可愛いハニー達、ラーラマリアを殺せ!」


 その言葉とともにシルミラが胸の前で印を結んで呪文を唱えようとしたが、異常を感じ取ったラーラマリアは即座に自分の座っていた丸椅子を得物にシルミラに殴りつけた。

 丸椅子は脚の先がシルミラの顎をかすめ、彼女の脳を震盪せしめた。一瞬シルミラは口を動かして何か呪文を唱えようとしたが、そのままぐらり、と崩れ、テーブルの上に突っ伏した。


 その後すぐにレニオが腰に差していたナイフを抜きながらテーブルを飛び越えてラーラマリアに襲い掛かろうとしたが、彼の着地を待たずしてやはりラーラマリアは左手で彼の顎先を掠るようにこぶしを走らせ、即座に間合いを取った。


「ラーラマリア……」


 レニオはそうとだけ呟いて、やはりシルミラと同様に棒立ちのままぐらりと重心を崩して倒れた。ラーラマリアは床に打ち付けそうになったレニオの頭部をサッカーのトラップのように足の甲で受け止め、そのまま床に倒れさせた。


「はぁ……はぁ……一体、何が……」


 差し迫った危機は脱したものの、ラーラマリアの方にも異変が現れていた。呼吸が荒く、顔が紅潮している。目の焦点もあっているか曖昧だ。かろうじて奪った右手の剣は把持しているが、かなりつらそうな雰囲気である。ダンダルクはにやにや笑いながら口を開く。


「それが俺の術、ウィズイン・テンプテーションさ。煙を吸ったものを催淫状態にし、魅了する。密室でこそ効果を発揮する魔法だ。どういうわけかてめぇは効きが悪いみてぇだがな!」


 確かにシルミラとレニオは一瞬でダンダルクに魅了され、ラーラマリアに攻撃を仕掛けてきたが、彼女はまだかろうじて理性を保っているように見える。魔導士のシルミラも術を跳ね除けられなかったことから分かるように魔法への耐性が原因ではない。実を言うと普段から理性があまり働いていないラーラマリアには効果が少ないのだ。


「だが、こちらにはすでに二の手、三の手があるのさ」


 そう言いながらダンダルクは再び左手の人差し指と親指で輪を作って口元に持っていき、フッと息を吹きかけると、たちまち紫色の煙が部屋の中に充満した。


 ラーラマリアは苦しそうにくぐもった声を上げながら左手で自身の右肩を抱き込み、自分を抑えようとする。いつの間にか足は内股になり、つらそうに膝同士をこすり合わせている。股の緩い彼女には相性の悪い相手である。


(クッ……立ってらんない……腰が抜けそうッ!! まさか、実在したなんて……ッ!!)


 眉を八の字に歪ませ、涙を流しながらもなんとかラーラマリアは立っている。しかしその表情から見るに、限界が近そうでもある。



(エロマンガ媚薬……実在したなんて!!)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る