第41話 うるさい

 日はすでに暮れて、それぞれの家から夕食をとっているのであろう、食事のいい香りと団欒の声が聞こえてくる。そんな心地よい雑音を聞きながら、グリムナは腕組みをして考え事をしている。彼らの立っている場所はラーラマリア達の泊まっている宿泊所のある区画から少し離れた場所で様子をうかがっている。


 民家の窓から聞こえてくる名も知らぬ家族達の声を聴きながらグリムナは考える。本来であれば自分も生まれた村で同じように暮らしているはずだったのだ。それとも、王都に行って学生として暮らしていただろうか。父と母は今頃どうしているだろうか。子供の頃は、自分がまさか世界平和の為に旅をするなどと考えたこともなかった。ラーラマリア達だって同じだ。

 ラーラマリアとシルミラ、それにレニオは物心ついたころからの友達だ。しかし誰も、人々の為に戦うような勇者でもなければ聖人でもなかった。少なくとも幼いころは。それが突如としてベルアメール教会の神託によりラーラマリアが勇者と認定され、自分たちも従者としてついていくことになった。今度はその元凶の教会が暗殺者を派遣したというのだ、どれだけ自分勝手な連中なのか。人生の歯車とはどこでどう狂うのかが分からない。


「竜って……なんなんだろうな……」


「うるさい」


「すいません……」


 耳の後ろに手を当てて音を拾っていたフィーがグリムナに注意をする。暗殺者の声を知っている唯一の人物として彼女が索敵を担当しているのである。グリムナとヒッテは敵が現れるまで何もすることがない。ヒッテに至っては敵が現れても特に何もすることがない。ここで何してるのか。


「ご主人様は勇者の事を家族って言ってましたよね……ヒッテには、家族というのが、よくわからないです……」


 手持無沙汰にしているヒッテがグリムナにそう話しかけた。『家族というのが分からない』……それこそグリムナにはよくわからない言葉だった。そういえば奴隷商では明らかに未成年であるヒッテの本来の保護者、親の話は一切出なかった。もしかして自分が買ったせいで親と引き離されたりしていないだろうか、とグリムナは一瞬不安になったが、よくよく考えれば「自分を買え」と客引きしたのがそもそもヒッテであった。


「ヒッテには……親はいないのか?」


「うるさい」


「すいません……」


 グリムナが口を開くと再びフィーに注意された。ヒッテが普通にしゃべったので何となく流れで自分もOKかと思ったのだ。


 しばらくの沈黙の後ヒッテが再び口を開いた。


「父親の顔は知りません……母親も奴隷でしたし、どこぞの物好きに孕まされたってところでしょうね……母親は5歳くらいまでは一緒に暮らしてましたが、亡くなったので……正直言って思い出もほとんどないです。まあ、たとえ死んでなくても一日中仕事するだけの奴隷に思い出を作る時間なんてないと思いますけど……」


 グリムナはこのヒッテの言葉に心持を重くした。思えばヒッテの身の上話など聞いたことがなかったが、両親との思い出が全くないなど考えもしていなかった。その少女の前で『家族』だなどとずいぶん無神経な発言をしてしまったと、グリムナは反省する。ひょっとして、宿屋で話していた時『ヒッテは家族じゃないのか』と言われたときに強く『家族だ』と肯定するべきだったのかもしれない。こういうところが『間が悪い』とか『乙女心が分からない』とかシルミラに注意されるゆえんなのかもしれないと、彼は思った。


「俺にとってヒッテは……」


「うるさい」


「すいません」


(なぜ俺が喋った時だけ……)


 釈然としないながらもグリムナはまた謝って口をつぐむ。補足するならばグリムナの成人男性の声はターゲットと声の周波数が近いので耳に入れたくないのである。それはさておき、今はヒッテの身の上話よりも目の前の事態に集中だ。『耳』はフィーに任せるとしても自分でも何か気付けることがあるかもしれない。そう思ってグリムナは辺りに気を張る。そうこうしているとヒッテが急に歩き出した。「何事か」とグリムナがそれを見ていると、やがてヒッテは道を歩いていた大柄な男に話しかけた。


「すいません、やまねこ亭、っていう食堂を探しているんですけど、どこか知りませんか?」

「さっきの道にあったな……向こうだ、多分」


 男は低い声でそう言って道の向こうの方を指さした。『やまねこ亭』とは先ほどグリムナ達が食事をしていたトラットリアである。グリムナがちらりとフィーの方を見ると彼女は目を見開いていた。どうやらビンゴのようだ。現在その男とグリムナ達の距離は50メートルほど。ヒッテが道を聞いた後戻ってくるのに合わせてグリムナ達は男から見えない位置に隠れた。


「奴の足音は覚えたわ。もう見失わない。あいつが例の暗殺者よ。足音から判断するに体の左側に少し重めの武器を吊ってる。外面からは分からないから多分刃厚のチンクェディアみたいな短剣だと思うわ」


 そうフィーが小声で呟くと、ちょうどヒッテも二人の元に戻ってきた。


「お手柄だ、ヒッテ。あいつが例の男で間違いなさそうだ」

「特定したはいいけど、ここからはどうするの? 何か案があるの?」

「………………」


 フィーの言葉にグリムナは黙りこくってしまった。この男……何も考えてなかったな、とヒッテが苦虫を噛み潰したような表情になる。ヒッテとフィーの連係プレイで暗殺者を特定したのに、リーダーたるこの男が何も考えていなかったのだ。


「……説得する」


 ヒッテとフィーが「本気マジかこの男」という表情を見せたが、グリムナは止まらない。言うなりすぐに道に出て、堂々と道のど真ん中を歩いて無造作に男に近づいて行った。ヒッテとフィーは建物の陰から様子をうかがっている。フィーは手の感触で腰に提げた矢筒の中の矢の本数を確認もしている。

 歩きながらグリムナは考える。この男はほぼ間違いなくラーラマリアの暗殺を考えていた男だ。だが実際今もそのつもりなのかどうかは分からない。ブロッズ・ベプトからの「放っておけ」との判断を受けてすでに暗殺の意図はない可能性もあるのだ。フィーの情報では体の右側に短剣を吊っているとのことだが、それも素性が暗黒騎士団という身分を考えれば、戦闘の意思がなくとも当然の心構えであるともいえる。


 つまり何が言いたいかというと、グリムナは此の者にどう接しようかを悩んでいるのだ。暗殺を企んでいるならまだ敵とばれていないファーストコンタクトで一気に口づけをして戦闘能力を奪うべきではあるが、もし、敵対的でないなら、それは悪手ともいえる。


 しばらく悩みながら歩いていたグリムナであったが、考えがまとまった。口づけは暴力でもないし、相手の自由意思を奪う物でもない。彼の者が敵対的であろうがなかろうが、とりあえず警戒されていないファーストコンタクトで一気に口づけをする、そう決意して前を向いた時であった。


 突然大柄な男は目つきが鋭くなり、右足を少し後ろに下げ、両膝を軽く曲げて前傾姿勢となった。要は不意の攻撃にも対応できるように身構えたのだ。まだ話しかけてもいないのになぜ、とグリムナは困惑の表情になったが、修羅の世界に身を置いていた暗黒騎士団員からすればこれは当然の対応である。自分に向かって歩いていた者が突如として決意を固めた目つきになったのだ。それが何者であって何が目的であったとしても彼はそれを警戒する。そういう訓練を受けてきたのだ。


 グリムナの最大の武器である奇襲作戦が封じられてしまった。もはや是非もなし。グリムナは覚悟を決めて暗殺者に話しかける。帰宅時間を過ぎている夜のストリートには虫の鳴き声だけが響いていた。


「第4騎士団の者だな……」

「なぜそれを……?」

「ブロッズ・ベプトはラーラマリアに排除するほどの脅威を認めなかった。君が何をするつもりなのかは知らないが、暴力的行為に訴えるつもりなら考えを改めてくれないだろうか……」


 このグリムナの言葉に大男はグリムナから視線は外さなかったものの、考え込んだ。直立して考え込んでいる男の体格はやはり大きい。フィーの見立て通り2メートル近くはありそうだ。服装は一般市民のそれではあるものの、これだけの体格の一般市民はなかなかいないと言って良いだろう。


「団長に聞いたのか……ついてこい……話を聞いてやる」


 男はそう言って歩き始めた。先ほどヒッテが道を聞いた時とは態度がまるで違う。もはや一般市民を『装う』必要がなくなったためであろう。二人が歩きだすと、ヒッテとフィーも距離をとって後をつける。彼女たちはフィーの『耳』でトレーシングできるため確実に男から見つけられない位置取りをしている。


 男はしばらく歩き続け、少し町の中心部から外れた人気のない林まで移動していた。すでにこの時点でグリムナは嫌な予感がビンビンしている。話し合いならば人気さえなければ街中でも良いはずである。それがこんな雑木林までわざわざ足を運んだのだ。グリムナはそれとなく腰の後ろにあるナイフの存在を確認した。


「さて、こんなとこでいいだろう。何の用だったかな?」


 もはや男の態度は『尊大』の域にまで達していた。先ほどの接触で何の目的で話しかけてきたかは大体わかっていただろうにあらためて聞いてくる。それでもグリムナは粘り強く説得しようとした。ラーラマリアには教会と対立する意思などないこと、騎士団長のブロッズは暗殺の必要なしと判断したこと、教会と勇者で争って利点など一つもないことを。しかし男からの返事は無情なものであった。


「悪いがお前の提示した話題はどれも俺の興味のない物ばかりだったな。お前営業にゃ向いてねえぜ」


「『興味がない』だと? どういうことだ? 『信用できない』じゃなく、か。あんたは教会の脅威となりうる勇者の排除の為にこんなところまで来たんじゃないのか?」


 グリムナが狼狽えながらも聞くが、大男はにやにやと笑いながら余裕の表情でそれに応える。


「噂の勇者様ってのがどんな実力なのか気になってきただけさ。それに俺は気の強い女ってのが好きなんでね。力でねじ伏せてじっくり遊んでやろうと思ってな」


 グリムナは驚愕した。ブロッズは危険な香りを漂わせてはいたものの紳士的な物腰であった。しかしこの目の前にいる男は暴力が人の化身をとって世界を混乱に陥れようとしているようにしか見えない。こんな破滅思考の人間がまさか聖堂騎士団に所属しているとは彼にとっては思いもよらない事態だったのだ。


「下衆め……」


 グリムナは眉間にしわを寄せた。

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