第309話 ラーラマリアナンデ
「何故念押しを……?」
ベアリスはしばし沈黙してから、少し険のある表情で答える。
「絶対なくすと思ったからです」
グリムナは疑問符を浮かべながらもぽんぽん、と荷物の袋を軽くたたいてさがった。彼からすれば何故そんな因縁をつけられるのかが分からない。
「これからグリムナさん達はどこへ向かい、何をするんですか?」
「とりあえずは、記憶を取り戻すため、一旦故郷に戻ってレニオとシルミラに会おうと思います」
ベアリスはしばらく考えてからラーラマリアを見て、そしてグリムナをまっすぐ見据えて口を開く。
「それも大切なことですが、あなた方二人は竜の復活を阻止せねばなりません。その目的を決して忘れないで下さい。……竜はきっと、そう遠くない未来、完全に復活を遂げると思われます。もうあまり時間はありません」
その言葉にグリムナは神妙な面持ちになった。ラーラマリアは特に何も気にしていないようであったが、そんな時、洞窟の入り口の方からずんずんと重い足音が聞こえてきた。
「ベアリス陛下、時は来たぞ!」
野太い声でそう叫んだのは豊かなあごひげとボサボサの髪の毛が繋がって獅子のたてがみの如き威容を持つ大男、トットヤークであった。隣には秘書兼ボディガード兼愛人のスーモが控えており、後からは彼の部下らしき人物が何人かついてきている。
「トットヤークさんですか、何かありましたか?」
すでに彼の相貌を知っているラーラマリアは平気な顔をしているが、グリムナはその巨体と恐ろし気な表情におののいた。深層意識でメザンザを思い出したのかもしれない。実際には獅子のような外見と大きな体躯に見合わずポメラニアンの如く臆病な男であるが。
「オズ・ヒェンタープーフ将軍が死んだ! 好機だぞ」
その言葉に洞窟内にいた兵士、騎士達やビュートリットは沸き上がったが、しかしベアリスは冷静な表情を崩さなかった。彼女は周囲の盛り上がりを手で制してから静かに語りだす。
「ヒェンタープーフ家の実権は息子のコーフーが握っているはずです。大勢に影響はありません。そもそもオズ元将軍と孫のバァッツは5年前の王都奪還作戦の失敗以来臥せっていると聞きます」
「む……しかし奴はヒェンタープーフ家の精神的支柱でもある……付け入るスキは……」
そう言いながらトットヤークは見慣れない人影に気付いて、横に振り向いた。
「アイエエエェェ!! ラーラマリア! ラーラマリアナンデ!?」
トットヤークは腰を抜かして尻餅をついた。ラーラマリアとトットヤークの間に割り込むようにスーモが剣を抜きながら前に出るが、ラーラマリアはつまらないものを見るような態度で、微動だにしなかった。
「なに? あんたら今ベアリス様に寄生してんの? 節操無さすぎじゃない?」
「いえ、ラーラマリアさん、むしろ逆で、私たちの方から共闘を呼び掛けたのです」
しかし即座にビュートリットがベアリスの言葉を否定した。
「何をおっしゃいますか陛下、こ奴らは国家転覆を行い、陛下のお父上を断頭台に送った逆賊ですぞ! それを陛下の寛大なる心でお許しになっているというのに……」
なんだかめんどくさい話が始まってしまった、言うんじゃなかった、とラーラマリアが後悔していると、その態度に気付いたベアリスが半笑いで言い訳の様に説明をする。
「まあですね、いろいろと行き違いはありましたけれど、国を思う気持ちは同じ、ということです。私も元々は改革派の人間でしたし、いつまでも過去のことにこだわっているよりは、前に進もう、と」
この言葉にグリムナはいたく感心したようであった。
「ご自分が受けた仕打ちに復讐するでなく、大義のためにそれを水に流した、ということなんですね。なかなかできることではないですよ。私なら耐えられないと思います。ベアリス陛下は素晴らしいお方です」
しかしベアリスはこのヨイショを聞いても嬉しがるどころか、どこか寂しそうな表情を見せるのみであった。
そう、自分が受けた仕打ちを恨みに思うどころか、逆に相手の事を気遣って助けようとする。それはまさにグリムナが自分を追放したラーラマリアに見せた態度であったのだ。そのグリムナに憧れてとった行動が、グリムナに称賛されるなど、彼女にとってはもはや皮肉でしかない。
しかしラーラマリアに『余計なことをしない』と約束した以上、それに言及することもできないのだった。
◆◇
「バァッツ……バァッツや……」
「バァッツは臥せっております。何か伝言ですか、父上」
「コーフーか、お主ではだめだ……遺言……遺言を……」
コーフーはため息をついた。5年前の一件より老境著しい父と話をするのは彼にとってすでに苦痛でしかなかった。
幼い頃より軍隊式の鉄拳と怒号を以て自分を教育してきた父親。幼かった彼にとって父親とは恐怖の対象でしかなかった。そんな父親が自分の息子―孫にだけは好々爺の様な態度をとることに彼は行き場のない怒りを感じていた。
老年期になっても父の自分に対する風当たりは変わらず、内戦に乗じて現役への復帰を果たした時は殺意しか湧かなかった。それでも、彼にとって父とは畏怖の対象であり、いざ目の前にすると委縮してしまい何も言えなかった。
しかしそれももうすぐ終わる。父ももう七十近い。奴が死ねば自分が家督を継いで自由にできる。それまでの辛抱だ。父が自分に厳しいのも自分を跡取りとして一目置いているからに違いない。そう思って我慢してきたのだが。
五年前の王都奪還作戦から状況は一変した。
苛烈だった父は枯れ木の様に萎み、『激昂の』ヒェンタープーフと呼ばれたその威容は見る影もない。あれほど『ベアリスなど縊り殺してやる』と息巻いていたのに『彼女こそ王にふさわしい』などと変節した。挙句の果てには……
「バァッツじゃ……家督はバァッツに継がせる……遺言を」
自分ではなく、息子のバァッツに家督を継がせるなどとほざき始めた。彼の怒り様は全く手が付けられないほどであった。自室で剣を振り回し、調度品を破壊し、止めようとした部下を二人も切り殺した。
『しかも、なぜよりによってバァッツなのか』……彼には3人の息子がいたが、嫡男のバァッツについて『すくたれ者』とコーフーは断じており、家督も次男に継がせるつもりであったが、しかしオズはバァッツの事を大層気に入っているようであった。
それは昔から初孫ということもあり可愛がっていたのだが、しかし5年前の作戦からは『家督を継がせる』とまで公言していたため、これに大変コーフーは頭を痛めていた。
彼の頭痛の種はそれでもまだ終わらない。
「うう……コーフーの大間抜けめ……ベアリス様を追放するなど……あれほどの名君はそうそうおらんというのに……」
「またその話ですか父上……」
なぜかは分からぬが、あれほど犬猿の仲と言われ、一度目の追放の時には裏で根回しをしていたというのに『事件』以降は一転して名君と称え、挙句の果てにはその彼女を追放したコーフーを病床で非難し始めた。
そのうえでの、この家督騒動である。
「いいか、コーフー、あのお方は命の尊さを知っておる、唯一の王族じゃ。自らが王位に就くなど考えるな! 我らヒェンタープーフはあのお方を探し出し、お支えせねばならぬ……」
「……あまり興奮するとお体に障りますよ」
コーフーは全く感情のこもっていない表情でそういう。それが気に障ったのか、オズはますます興奮したようだった。
「よいか! 遺言じゃ! 家督はバァッツに継がせる。心優しいあの子にすべてを託すのじゃ! そして、ベアリス陛下を元首に頂き……ベアリス様を……ベアリス様を……ッ!!」
そのままオズ・ヒェンタープーフはウッと呻き、そのまま突っ伏すように倒れこみ、動かなくなった。
「ご臨終です」
控えていた典医が脈を確認してからそう宣言すると、フゥッとコーフーは大きなため息をついてから口を開いた。
「遺書を出せ。今まで書かせたもの全てだ」
オズは認知症も患っていたのか、それとも念には念を入れてなのか、遺書をことあるごとに口述筆記で作り直していたが、コーフーはそれを全て暖炉の炎で焼いてしまった。
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