第240話 ほとほと愛想が尽き申した
「こっ……このクソアマ……」
クソアマ……女性を罵倒する言葉である。男性の場合はクソ野郎、となる。語気を強めるため、または罵るための『クソ』は洋の東西を問わず使われるスラングだ。
幾度となくグリムナにそう罵倒されていたフィーが、今度は自分の口で、アムネスティをそう罵倒していた。いや、罵倒していたというと少し語弊がある。もはや口から漏れ出てしまったのだ。心の底からの想いであった。
その言葉をまさか自分が口にすることになろうとはフィーも思わなかったであろう。
ああ、彼はこんな気持ちで言っていたのか。
フィーはやっと理解したのだ。生まれて初めて遭遇する自分以上のポンコツという存在。心の奥底から、まるで湧き水の如く生まれ出てくる侮蔑の気持ち。相手を挑発しているのではない。自分の留飲を下げたいわけでもない。
ただただ、胸の奥から湧き上がってくるのだ。花の香りをかぐわしいと感じるように、山の姿を雄々しいと感じるように。夕焼けを美しいと感じるように。『このクソアマ』という愚弄が。
きっとあの牢番が女性だったらこんな簡単に殺しはしなかったのかもしれないが、しかし事実として何の気なしにスナック感覚で牢番を殺した。それもフィーのレイピアを使って。
そのうえで自分の立場が危うくなるとカマラも殺害しようとし(しかもこれもフィーの剣で)、挙句の果てには牢番殺害の濡れ衣をフィーに着せようとまでする。
ほとほと愛想が尽き申した
というのがフィーの正直な感想であったが、しかし最低でもここを脱出するまではコイツの機嫌を取らねばならないのか、いやしかし、むしろいっその事このポンコツはいない方がまだ脱出しやすいのではないか? と、そんなことを考えていると、アムネスティが何やら自分の剣を抜いているのが見えた。
マジかこの女、いよいよ殺るつもりなのか、自分の部下でもお構いなしか、とフィーが緊張の表情を見せると、アムネスティはゆっくりとカマラに向かって話し始めた。
「これ……私のロングソード、あなたも見慣れてるわよね? 確かに私の剣よね?」
ボス戦が始まると通常、戦闘の前にまずはラップバトルが始まるものであるが、それとは語り口調が少し違う気もする。なぜ自分の武器の説明など始めるのかと、フィーがいぶかしんでいると、アムネスティはそのままカマラに説明を続けた。
「こう……なんていうのかしらね? この剣の……幅の部分、刃から反対側の刃までの幅のひろいところ……なんだろ?」
「私も知らないです。仲間内じゃ『幅広のとこ』でとおってます」
大丈夫かこの騎士団。
「そこがね、アヌシュさんの刺し傷と比べると、随分大きいのよね、私の剣だと」
ぴしり、とフィーは自分の心に亀裂が入った音が鳴ったような気がした。今のアムネスティの発言で、フィーはこの女が何を言いたいのか、それを全て理解したのだ。
要するに『私は悪くない』と。
アムネスティはそのまま発言を続ける。
「でね、そちらのフィーさんのレイピアはぴったり幅が合うのよね」
やはり。
「まあ、要するに、ガイシャを殺した凶器は、どうやらフィーさんのレイピアみたい、ってことなのよね」
まだカマラが一言も発していないのに、なぜかこの女、突然凶器の特定を始めたのである。
しかしこの発言はいくら何でも迂闊すぎた。カマラは二人とは違う。ポンコツではないのだ。
彼女の見た現実は牢番のアヌシュが殺害されている、ただその一つだけである。だのにである。聞いてもいないのにべらべらべらべらと、アムネスティが見苦しくも言い訳を始めたのだ。心理学に明るくない者でも、人は嘘をつくときに多弁になり、聞いてもいないことを言い訳のように不必要に喋ってしまうことは経験的によく知っている。
今のアムネスティの行動がまさにそうだ。
「よぅく……分かりましたよ……」
幽鬼の如き生気のない表情で、カマラが剣を抜きながらそう言った。その瞳は真っ直ぐアムネスティを見つめている。
「分かってくれたのね!」
分かってないのはお前だけだ、アムネスティ。
しかし「疑いが晴れた」と喜色満面のアムネスティは(疑いでも何でもないが)悠々と笑顔で剣を収めながら笑顔を見せる。当然既に周囲の空気から事の顛末を察したカマラは抜いた剣を振りかぶってアムネスティに切りかかる。フィーは胃が痛い。
ギィン、と激しく鉄同士のぶつかり合う音が廊下に響いた。カマラの剣をフィーがレイピアで受けたのだ。なんと、アムネスティのアホはすでに自分へのアヌシュ殺害の疑いは(何度も言うが疑いではない)ごまかせたものと思っていたようであるが、フィーはアムネスティのアヌシュ殺害を見抜かれていることに気付いてカマラの攻撃を警戒していたのである。
非常にレベルの低い心理の読み合いだ。別にフィーが特別鋭いわけでは当然ない。ただ、アムネスティよりは少しマシという程度である。
突然の戦闘の始まりに、思った通りこれを全く予想していなかったアムネスティは目を白黒させている。
「どういうつもりなの、カマラ!」
お前がどういうつもりだ。
「どういう経緯かは分かりませんけど、団長がアヌシュを殺したんですね……!?」
その言葉にアムネスティが思わず口に手を当てて驚愕する。もう、察しの悪さにうんざりする。カマラはフィーと剣を合わせたままアムネスティを睨みつける。
「もう許せない! フィーさんを助け出すためか何か知らないけど、アヌシュが殺されなきゃいけない理由が一体どこにあったっていうんですか!!」
「待って、聞いて! カマラ!」
盗人にも三分の理とは言うが、アムネスティにも何か言い分があるようだ。殺さなければならない、それだけの理由があったのだろう。
「いい? あなたはあの牢番、アヌシュの事を随分気に入ってたみたいだけれど、それは幻想なのよ」
何を言い出すのかこのおばさんは。
「その~、あの、アレよ……」
何かを思い出すように目をつぶりながら歯切れの悪い言葉でアムネスティは言葉を続ける。ちなみにこうしてる今もカマラとフィーは鍔迫り合いを続けている。
「その、ね……男女の恋っていうのは、所詮子孫を残すための遺伝子のプログラムに過ぎないのよ」
どこかで聞いたような話である。
「その……だから、子供のできない男同士の恋愛こそが、つまり、プリミティブな愛、というか……なんや、そのぅ……アレや」
いまいちはっきりしない。付け焼刃の聞きかじり知識を苦し紛れに言っているだけなのが誰の目からも見て取れる。さらにカマラの力が存外に強く、段々とフィーは押され始めていた。普段だったら目の前でこんな主張をしてくれればフィーはよだれを垂らしながら大喜びするところなのだが、今の彼女はプルプルしながらギリギリのところで耐えるのみである。アムネスティの悪あがきに付き合っている暇はない。
フィーはこの時初めて理解したのだ。真面目な話してる時に目の前でくだらない与太話されるとどれだけ頭に来るかを。今まで自分の空気を読まないホモトークがどれだけグリムナの逆鱗に触れてきたのかを。
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