第239話 殺っちまいましたねアムネスティさん
スッ、とアムネスティが何か長物をフィーの方に差し出した。
何やら見覚えのあるものだなと思いながらフィーが受け取ったそれは彼女が普段から携行しているレイピアであった。
「とりあえず、これ……返しておくわ」
「あ……私のレイピア……」
少しうれしそうな表情をしてフィーが剣を鞘から抜こうとするが、抜けない。此は如何なることかと訝しみ、しばし思案したのち思い切り力を込めて引き抜いてみると、小さくバリバリとした音と共に剣は鞘から抜けたのだが。その剣身には血のりが付着していた。
「これ……まさか……」
フィーはちらりと脇に倒れたままの牢番を見る。そこからアムネスティの方に視線を移すと、彼女は何やら気まずそうな表情をして視線をそらした。
(こいつ……私の剣で刺し殺しやがったな……)
見ればアムネスティは自分の剣は自分の剣で腰に下げている。じゃあなぜフィーの剣で牢番を殺したのか、何か起きた時にフィーに罪を擦り付けるつもりなのか、それとも単に人を殺した剣を気持ち悪いから持ち歩きたくなかったのか、それは分からないが、血のりも拭かずに鞘に納めるようなド素人丸出しのポンコツ行動にフィーもブチ切れである。
最初剣が抜けなかったのは血が鞘の中で固まってしまったからであろう。
(どうしてくれんのよ、自分の剣があるにもかかわらず他人の剣でわざわざ人を殺しやがって)
正直言ってフィーの持っているレイピアはほぼ飾りである。最後に戦闘に使ったのは暗黒騎士ベルドと戦った時であろうか、あの時も遠間からけん制しているだけで、実際に戦っているのはほぼグリムナであった。
この旅の中でもフィーの剣は主に料理や、藪を打ち払う目的にのみ使われていた。
(もうやだ、人を殺した剣なんて気持ち悪くて使えない)
他に唯一この剣が使われたのは、コスモポリで行った大道芸の時にグリムナを一刀両断したくらいである。牢番はダメでもグリムナは切ってもいいのだろうか。まあグリムナは死んでいないが。
フィーは気を落ち着けるように大きく二、三度深呼吸をする。大分それで気が収まったのか、少しひきつってはいるが、にっこりと笑顔をアムネスティに見せた。
「だっ……大丈夫よ、アムネスティ。剣をありがとう。早くここを脱出しましょう」
渾身の笑みである。今ここでアムネスティの機嫌は損ねたくない。彼女はこのゲーニンギルグ脱出のカギとなる重要人物だ。さすがにフィーと言えどもその程度の空気を読む能力はある。
「殺したのはフィーさん、殺したのはフィーさん、殺したのはフィーさん、殺したのはフィーさん……」
ぶつぶつと小声で何かつぶやきながらアムネスティはフィーを先導して廊下を早足で歩く。
(聞こえてるんだけど……ッ!!)
フィーは内心はらわたが煮えくり返っている状態である。
助けに来てくれたのは非常にありがたいのであるが、しかし平気な顔で牢番を殺害、それもフィーの剣を使って。その上でそれがグリムナに咎められるかもしれないとなると『自分がやったんじゃない』とばかりに自分自身に言い聞かせる。
もはやポンコツとかそう言ったもので修飾できる範囲を何かはるかに超えてしまった領域にいるように感じられた。
「んっ!?」
不意に通路の分かれ道の前でアムネスティが立ち止まった。長身のアムネスティに置いて行かれないようにと早足で追いかけていたフィーは止まり切れずに彼女の背中に軽くぶつかってしまう。
「どうしたの? 見張りでもいる?」
小さい声でフィーが訪ねると、アムネスティは唇の前に人差し指を持ってくるジェスチャーで彼女を黙させる。フィーがアムネスティの陰から曲がり角の向こうを覗いてみると、そこにはにこにこと笑顔で何かを大事そうに持っている、人権騎士団のアムネスティの副官、カマラの姿があった。何か独り言を呟いているようだ。
フィーは人間よりもはるかに高い聴力でもってその独り言に耳をそばだてる。
「牢番の仕事、大変そうだから差し入れ持っていったら喜ぶよね……」
(あちゃー……)
その言葉が聞こえた瞬間、右手で顔を覆って天を仰いでしまった。指の間からカマラを見てみる。その表情はただの笑顔ではない。恋するメスの顔である。
「やっちまったッスねアムネスティさん」
「な……なんのことかしら?」
ぼたぼたと汗を流しながら努めて冷静にアムネスティが返す。このリアクションが全てを物語っている。彼女も分かっているのだ。アムネスティが景気づけの如く軽い気持ちで殺してしまった牢番。その牢番と彼女の副官であるカマラが『いい仲』になっているのだと、彼女も気づいているのだ。
「今更とぼけたって何も解決しないわよ」
フィーはちらりと今進んできた廊下を振り返る。そこには当然まだ牢番の死体が横たわっている。目をそらしたからといって何も解決することなどない。そして曲がり角の向こうからはカマラの足音。前門の恋する少女、後門の恋する少女の彼氏の死体。絶体絶命である。
「うふふ、団長に知られたらめんどくさい事になるから秘密にしとかなくっちゃ」
もはや聞き耳を立てずともカマラの声ははっきり聞こえる距離である。残念ながらその団長が余計なことしてくれたおかげで二人の関係が明るみに出ることは永遠になくなったのだ。
「……殺るしか、ないか……」
脂汗を額に浮かべたまま、追い詰められた表情でそう言い、フィーの腰に下げられているレイピアを抜こうとする。
「ちょっと! なんでまた私の剣で殺ろうとするのよ!! 殺るなら自分の剣で殺りなさいよ! っていうかなんですぐそうやって暴力で解決しようとするのよ! 人の命を何だと思ってるのあんたわ!!」
完全に無頼の輩の思考である。フィーが必死で剣の柄を押さえながら、とられまいと抵抗する。
「大丈夫、すぐ済むから! 一撃で仕留めてあげるわ!」
「そういう問題じゃない! っていうかわたしの剣で殺ろうとすんな! これ以上わたしの剣に人の血を吸わせてどうしようって言うのよ!」
「けちけちしないでよ、一人殺すも二人殺すも同じよ! いいから黙って貸してよ!!」
『一人殺すも二人殺すも同じ』……完全に悪人の定番の発言である。しかし当然ながら揉めていても事態は解決しない。
「団長……何やってるんですか? こんなところで……」
そう、カマラがとうとう二人に接触したのだ。元々フィーの部屋の番をしている男に用があったのだから鉢合わせするのも当然の仕儀である。
「あ……ああ~……カマラ……珍しいところで会うわね……久しぶりね」
昼に会っただろうが。
「ていうか、一緒にいるのはフィーさん? なんで部屋の外に? 牢番のアヌシュさんがいるはずじゃ……」
どうやらあの死体、アヌシュという名前らしい。カマラが二人の横から通路の奥を覗き込もうとスライドすると、それに合わせて二人も横にカニ歩きして視界をふさぐ。今更そんな悪あがきしていったい何になるというのか。
「え……なんで邪魔するんですか」
そう言ってカマラは今度は反対側に移動するが、やはり二人はまた横移動して視界をふさぐ。
「い、いや、もう夜も遅いじゃない? こんな時間に男女が一緒にいたらまずいじゃない。そのぅ、人口が増えちゃうわよ」
たった今減ったところだ。
しかしそんな取ってつけたような言い訳でカマラが、恋する少女が止まるはずがない。再度右に彼女は移動しようとする。
と、見せかけてフィーとアムネスティが横移動しようとしたところで逆を突いて体を反転させる。それについていけずにバランスを崩したフィーとアムネスティを軽く押して転倒させると、二人を乗り越えて通路の奥目指して駆けてゆく、が……
少し歩いて、牢番のアヌシュが血を流して倒れていることに気付いた。
「え……えっ?」
予想だにしていなかったあまりの展開に、カマラは口に手を当てて呆然としている。
「誰が……いったい……こんなことを」
静寂の支配するくらい廊下で、震えるカマラの声だけが響いていた。フィーとアムネスティは激しく言い訳を考えているばかり、アヌシュは当然もう口をきくことはない。だんだんと涙声になっていくカマラの恐怖の声だけが聞こえる中、アムネスティが口を開いた。
「こ……こいつが……」
アムネスティはフィーを指さした。
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