第197話 マスターじじい
ドッドッドッド……
重く、大きい足音がステップを駆け抜ける。赤黒く、ひび割れた鱗の三頭の小型の竜。その上に何人かの若者が跨がっている。ステップ地帯もだいぶ北部の方に来たためか生えている草もまばらになってきている。
「そろそろ休憩にする」
リズが自身のすぐ後ろに乗っているベアリスに話しかけると、彼女はこくり、と頷き、リズの乗っている竜、ベルネは歩みを止めて少し背の高い木の陰に歩いていく。
他の二匹の竜もそれに合わせてスピードを緩め、彼のもとに集まってきた。
「それにしても揺れますね。二本足だから仕方ないですけど」
ベルネが木の傍に座って、リズが竜から降りると、ベアリスも自分のおしりをさすりながら降り、しみじみとそう言った。二本足で高速で走る竜は四本足の動物と違って上下左右に激しく揺れる。特に竜は襲われた時、襲う時に備えて常に視点を固定するため、走行中のボディバランスは全て頭を、ひいては『視点を揺らさない事』にその労力を費やす。
それゆえ体の揺れは馬の比較にならないほど激しいのだ。背中には二人分の鞍が乗ってはいるものの、歩いているときはまだしも走っている時は実際にそこに尻を載せることはほとんどない。代わりにがっしりと太い革製の吊り具の先に木製の鐙がしつらえられており、あぶみとなっている。そこに足を乗せて、中腰でこらえるように搭乗し、膝で衝撃を殺しながらの移動になる。
そんな状態では人の体力も限界が来るのが早く、長時間乗っていることはできない。さらに言うなら竜自体も変温動物のため長時間走ると体温が上がってしまうので休み休み移動をしているのである。
三頭の竜にはそれぞれリーダーのベルネにリズとベアリス、もう一頭にはグリムナとヒッテ、最後の一頭にはバッソーが一人で乗っている。全員が竜から降りたのを確認すると、リズはグラブを外しながら声をかけた。
「バッソー、水を出してくれ」
その言葉にバッソーと、竜のうちの一頭がくるっと振り向いた。
「……人間の方」
リズがそう付け加えるとバッソーは「人使いが荒いのぅ……」と言いながら自身の目の前に桶を置いて魔法を唱え、そこにばしゃあ、と水を出した。どういう経緯なのかは分からないが、竜のうちの一頭とバッソーが同名であった。
「やっぱり分かりにくくないか? 呼び方を変えた方がいいんじゃないか?」
昼食の準備のため石を積んでかまどを作りながらグリムナがそう言うと、リズも「そうだな……」と呟きながらうなずいた。見かけによらず竜の知能が存外に高いようで、バッソーの名前を呼ぶたびに竜もこちらを振り向くような状態になっていた。今は別にそれでも問題ないのだが、いつか緊急の事態の時に混乱を巻き起こす可能性が高いと、二人は考えたのだ。
「まあ、爬虫類と同じ名前というのも気分が悪いしのう……ここはひとつ、トカゲちゃんにふさわしい名前に改名してあげた方がいいじゃろうて」
バッソーは長い竜の騎乗で腰が痛いのか、トントンと腰をたたきながらそう言う。
リズは「爬虫類じゃない、竜だ」と不満顔を見せているが、グリムナは名前を考えているのか、しばらく首をかしげて考え事をしてから発言した。
「分かりやすい名前がいいな……『マスターじじい』とかどうです?」
「ワシかい!!」
マスターじじいが水の入った桶をドンッと地面に置きながら叫んだ。グリムナは事も無げに冷静な表情で彼に答える。
「よく自分のことだってわかりましたね……ちなみに『マスター』っていうのは、魔法をマスターしている、という意味とマスターベーションのダブルミーニングで……」
「そんな説明いらんわい!」
「納得がいかないなら『ゴミムシ助平干物』ってどうでしょうか」
「ただの悪口」
ヒッテも提案をするが、しかしこの案もバッソーは気に入らなかったようで、即座に反論を試みた。
「違うじゃろう! なんでトカゲ如きのために民草から大賢者と呼ばれて尊敬されるこのわしが改名せにゃならんのじゃ! 普通あっちが変えるじゃろうが!」
しかしこの言葉にグリムナとヒッテは顔を見合わせて肩をすくませた。バッソーの方に向き直ってから、ヒッテが口を開く。
「いや、普通に考えてここにきて急に改名なんて言われても竜の方は理解できませんよね? でもバッソーさんはできるでしょう?」
「そっ……そういうことを言ってるんじゃなくて……」
「できないんですか……」
「できるわぃ!!」
「ね? ですからここは頭のいいバッソーさんに一歩引いてもらって、呼び名を変えてもらうしかないんですよ……」
ヒッテがにっこりと微笑みながらそう言うと、ようやくバッソーも納得したようで、しかし若干不満げな表情で竜の方に向かって言葉を放った。
「し、仕方ないのぅ。でも勘違いしないでよ、べ、別にあんたのために名前を変えてあげるんじゃないからね! ワシの方が頭がいいから、仕方なしになんだからね!!」
竜相手にツンデレを発動するバッソー。動物相手に割とガチに頭がいいことを誇ったりと、賢者と呼ばれている割にはいろいろと終わっているじじいである。
「でも、マスターとかじじいとかそういうのはやめてほしいんじゃ。ワシにだって世間体ってものがあるんじゃから!」
このじじいにそんなものがあったとは初耳であったが、しかしグリムナ達は首をかしげてしまう。このじじいから変態要素とセクハラをスポイルしたら一体何が残るというのか。
そうこうしているとリズが口を開いた。
「以前聞いたことがある……異世界で、大帝国を築いた、皇帝の名……」
「どんな名前なんだ?」
「マ〇コ・カパック……」
「なるほど……いい名前だ」
「なるほどじゃねーわ!!」
さすがにブチ切れたじじいがくみ上げたかまどを蹴り倒しながら叫んだ。
「あのなぁ! 呼べないじゃろうが、そんな名前!! 名前呼ぶたびに伏字になってしまうような不便な名前、呼び名として使えるわけないじゃろうが!!」
「落ち着け、じじい。この名前には、皇帝の名前以外にも、もう一つ意味、ある」
取り乱しているバッソーを宥めるようにリズが口を開く。おそらく放送コード的にも大変問題のある名前、しかし、彼らの言葉では何か別の意味があるようである。
「な、なんじゃ? エロい意味以外にも何か意味があるのか?」
エロい意味などない。人の名前に対して失礼ではないか。
「俺たちの言葉で、生命の象徴。全ての命はここから生まれ、やがていつか男はそこに還る時がくる……」
「ド直球じゃい!!」
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