第199話 女子三日会わざれば

 ──砂漠──


 一般的には水……雨の不足により極度に乾燥した砂地や岩場の広がる平地のことを指す。例外的に大陸の海岸の近くでは上昇気流が発生しないことにより雨が降らず、湿度の高い砂漠というものも存在するが、ここ、グリムナ達のいるウニアムル砂漠は周りを高山に囲まれたことにより雨雲が遮られて極度に乾燥した地域である。


「熱いのう……」


 白い、フード付きの薄手のマントの奥で、バッソーがそう呟いた。もはや『暑い』ではなく『熱い』である。ちょうど季節は夏真っ盛り、日中はこの地域の気温は40度以上にもなる。


「夜になれば寒くなる……」


 バッソーのつぶやきにリズが答える。まだ初日、夜を経験するのはこれからである。


 固体というものは液体よりも熱しやすく、冷めやすい。それは分子の密度が液体よりもはるかに密なため、熱、つまり振動を伝えやすいためなのであるが、それゆえ海の上に浮かぶ島は気温の変化が昼夜で少なく、逆に内陸部で水のない場所では昼と夜で考えられないような寒暖差が発生するのだ。


 グリムナ達の乗っている竜も大分その速度を落として歩いて移動している。体温の上昇を防ぎたいからである。日中の移動は暑さのため非常に困難を伴うが、しかし夜になれば今度は気温が下がりすぎて変温動物の竜たちは動きが鈍くなってしまう。


「これが砂漠か……聞いてた以上の地獄だな……ヒッテ、大丈夫か?」


 竜の手綱を握りながら、前方の鞍にまたがっている、位置的には彼の両腕の中に守られるように座っているヒッテにグリムナが訪ねる。暑さで意識が若干朦朧としているのだろうか、少しだるそうな表情を見せながらも、ヒッテはこくり、と頷いた。


「グリムナが傍にいるから……大丈夫です。グリムナの方こそ、ちゃんと水を飲んでくださいよ……?」


 グリムナの腕を掴みながら小さい声でヒッテがそう言った。最近は彼女はグリムナを呼ぶとき、他の人に聞かれていない時だけであるが、彼を名前で呼ぶようになってきていた。グリムナがちらり、と他のメンバーを確認すると、どうやらリズも同乗しているベアリスの体調を気にしながら移動しているようで、頻繁に声をかけている。

 バッソーだけが一人で騎乗しているものの、まあ、じじいだし? 最悪何かあっても、天寿を全うしたという事で。


 それよりはこの一行の最重要人物であるベアリスの命を砂漠のプロフェッショナルであるリズに任せる、という布陣である。リズ自身はまだベアリスが王女であるという事に半信半疑のようではあるが。

 実際彼はまだヒッテがターヤ王国の王女だと思っているようである。それはもちろん常にパーティーのリーダーであるグリムナが彼女のことを気遣ってばかりいるためなのだが、元来他人の感情の機微にあまり敏感でないグリムナはそれに気づいていないようである。


 しばらく歩いていると先頭を走っていたリズの竜、ベルネが岩陰に入っていった。休憩の時間のようである。グリムナとバッソーはただ竜に乗って体を支えているだけで、実は操竜はほとんどしていないのだが、リーダーの動きに合わせて彼らの竜も岩陰に入っていく。

 砂漠に入ってからは旅の進行は一層遅くなっている。荒野を突き進む、というよりはなんとかして岩陰の間をつなぐように進んで命を拾っているような感じである。少しのミスが命取りになるような、そんな緊張感をグリムナはヒリヒリと感じていた。リズはなんてことないかのような表情をしているものの、これまでに経験したことのない過酷な環境にグリムナ達は戦々恐々としている。ただ一人を除いては。


「枯れ木ですが、根は、生きています!」


 岩陰に入って竜を降りたベアリス王女はすぐに岩と土の隙間を縫うように生えていた高さ30センチほどの小さい木を力づくで引っこ抜いて、『根はいい奴なんだよ、コイツ』みたいなテンションでそれをみんなに見せた。見ると、確かに根の部分はほんのり水気を帯びているように感じるが、これが何なのだろうか、とグリムナが考えているとベアリスはおもむろにその木の根をかじり始めた。ただならぬ仕上がりの女である。


 『木の根に噛り付いてでも』という必死さを表す言葉のたとえがあるが、ベアリスはなんてことないような表情でごく自然に木の根に噛り付き、そのままちゅぱちゅぱと根っこを吸っている。その様子にようやくグリムナ達もこれが水分の補給なのだと気づき始めた。リズなどはその迷いのない行動に思わず感嘆の声を漏らしている。

 しかし、これでは王女だと思われないのも仕方あるまい。


「砂漠の中央に進むと、もっと乾燥、酷くなる。ベアリスの行動、正しい。今のうちに体力を温存すべきだ」


 リズはそう言うが、木の根っこを力づくで引き抜く行為と、そこからとれるわずかな水分がつり合いが取れているかどうか疑問が残るものの、しかし他の者にはなかなかまねのできそうにない行為である。バッソーの水魔法でもまだ少しは水を集めることができる状態でもある。しかしこの先これ以上さらに乾燥がひどくなると、それもできなくなりそうなことは誰もが予感していた。


「実際この砂漠ってあとどのくらい続くんじゃ? どっかに町とかはないんかのう? ここはお主の地元なんじゃろう? ってことはどっかに集落があるってことじゃろう?」


 バッソーがそう尋ねる。実を言うとリズが案内人としてパーティーに加わってからグリムナ達は一度も地図を開いていない。リズは巻いて棒状に荷物の隙間に突き刺してあった地図をバサッと開いてみんなに見せながら説明する。


「北部の山脈のふもとまで行けば少し水がある。水があれば動物も植物もいる。ここまで行けばだいぶ楽になる」


 そう言って地図の砂漠の北部の山脈の部分を指さす。地図で見るとなるほど、確かに砂漠地帯に北部の山岳地帯が少しせり出しているような形になっていて、ここを縦断するなら少しは旅程の短縮ができそうなルートではある。


「ここに俺達が旅の中継地点にしている里、ある。ここ、目指している。砂漠の中、通るのはほとんど5日か6日くらい」


 リズの説明に全員がマジマジと地図を見る。旅も半ばを過ぎて今更ではあるが、実を言うとリズが仲間に入って先導をしてから初めての道程の説明であった。ビュートリットが敵なのか味方なのか、そこをしっかり気にしていた割にはあまりにも気を払わなすぎな態度であるものの、正直言ってこう言った道なき道をあまり進んだことがないのでなんとなく難しい事に手を付ける気になれなくてこれまでほったらかしにしてきたのだった。


「じゃあ、あと……5日か4日ちょいってところですか……」


 ヒッテがそう呟く。そう、本格的な砂漠に突入してからはまだ正直一日もたっていないのだ。すでにへとへとのグリムナ、ヒッテ、バッソー。淡々と旅程をこなすリズ、そして妙に生き生きとしているベアリス。すでに限界組のグリムナグループは体力的な要素から足を引っ張る可能性すらある。そもそもが半数以上が女性と老人のパーティーである。下手すればこの生活があと一週間くらい続くことを考えると、かなり不安が残る。


 ヒッテはちらり、とベアリスの方を見た。まだちゅぱちゅぱと笑顔で木の根を吸っている。アンキリキリウムの町でグリムナが彼女を仲間に引き入れようと画策したとき、ヒッテは「足を引っ張る」ということを理由にそれに反対したが、まさか事ここに至ってそれが全く逆の構図になるとは思いもよらなかった。

 人間の成長とは斯くも早きものなのだ。


 女子三日会わざれば刮目して見よ

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