第193話 ろ過装置
グリムナにいろいろと中に詰め物をしたヨシの茎が手渡された。彼は、それを手にとってはみたものの、どうしろというのか、それが分からない。
(ええと……水を飲むという話だったような……ということは、これは……ストロー?)
と、そこまで考え至ったものの、このストローでまさか、あの泥水を?と、グリムナがまごまごしていると、ベアリスが「仕方ないですね」と小さい声でいってストローを取り戻した。
「いいですか、これは簡易的な濾過装置です」
『濾過装置』と言われてもまだグリムナにはピンとこない。確か錬金術でそんな装置を使っていたような気がするが……と考えているうちに、ベアリスは先ほどの岩の横に掘った穴のところまで歩いていった。
グリムナ達もそれについて行くと、ベアリスは掘った穴に入り込んでかがみ、ストローの布をつけた側に口を付けて、ずずず、と水を吸った。
「ん……ちょっと汗くさいけど、イケますね。この砂利とか炭がフィルターの役目を果たしてるわけです」
なるほど、ストローが直接フィルターになっているという事である。簡易的ではあるがなかなかに合理的で利便性のあるアイテムだ。
「ハイ、どうぞ!」
そう言ってベアリスはグリムナにストローを手渡すが……
(飲め、ということか……)
まあ、普通に考えてそれ以外に意味はあるまい。
「良かったじゃん、グリムナ。間接キスよ」
フィーは横からそう口出しをしたが、グリムナは間接キスよりもベアリスの体に付着している雑菌がついているのではないか、ということの方が気になった。完全に野生動物と接するときの注意点である。
しかし、ベアリスは今もキラキラとした瞳でグリムナの方を見つめている。飲まぬ訳には行くまい。
グリムナはおずおずとかがんで水たまりにストローの先をつけ、ずず……と水をすすった。
(汗くさい……)
存外に汗くさい。
確かに本人もそういっていたので多少は、とは思っていたのだが、ベアリスのワンピースの裾を使ったフィルターは思った以上に汗くさかった。普通こういった年頃の少女の体臭というものは甘い香りだとか、こう、もっとファンタジーっぽい香りがするのかと思われていたのだが、やはり汗くさい。
当然である。人間は汗をかくのだから。
(それにしても……普通、自分で使って『汗くさい』って分かってるのに他人に使わせるか……?)
そう思ってグリムナはベアリスの方をちら、と見たが、それ以前に普通は客人に泥水を振る舞ったりはしない。しばらく悩んだような表情をしていると、ヒッテが話しかけてきた。
「ご主人様、ベアリス様、お茶、飲みますよね?」
見ると、いつの間に用意したのか、すでにかまどが作られ、ポットの湯が沸いていた。
そう、火もお湯も、フィーやバッソーの魔法を使えば簡単に用意できるのである。グリムナの努力はなんだったのか。結局全員で火を囲んでお茶を飲みながら話をすることになった。
「それで、ベアリス様、本気で行くんですか? 今ターヤ王国は革命派と王政派で国が二分してて、危険な状態なんですよ? ましてやその一方の旗頭になるというんなら、暗殺とか……命の危険もあると思うんですが」
しかしベアリスは胸を張ってこれに答える。
「それでも私が必要とされてるって言うなら、私は行きますよ!」
「仕方なかったとはいえ、ターヤ王国は、あなたを追放した国ですよ? 今更助けを求めてきたからって、危険を省みずにそれに応じる義理はないと思いますが……」
あまりにもお人好しな対応過ぎる……グリムナはそう思って彼女に話しかけるが、これは以前に自分自身がフィーから言われた言葉である。しかしそんなことに彼は気づかない。自分を客観的に見ることは存外に難しいのだ。
しかし、グリムナにはまだ気になることがあった。
「それに……ベアリス様、改革派だったのでは……?」
「…………」
思わず気まずい表情を見せるベアリス。そうなのだ。以前に王宮の離れで話をしたとき、彼女は確かに現政権に不満を持つ、改革派であった。だからこそ父親を中心とする王政派に疎まれて、王宮を追い出されて離れに住んでいたのである。
そして今回、ビュートリットは王政派の筆頭である。改革派として王宮を追い出された王女が今度は王政派として国に凱旋しようと言うのだ。少し、いや、かなり節操がない。ベアリスもそれが分かっているようで、苦しい言い訳を並べる。
「いや……まあ、そんな小さいくくりではなくてですね……国が割れて、国民が苦しんでいるという現実があるわけですよ……そんな中で、自分の主義主張よりも……守るべきものの優先順位がある、というか……」
いやな汗を流しながらたどたどしい説明を続けるベアリスであったが、やがて説明の手を止めた。どうやら観念して本音を話すようである。
「……まあ、アレですよ。本音を言うとですね。私は、せっかく生まれたなら、経験できそうなことはみんなやっておきたいんです。それにですね!」
何か思いついたようでベアリスは急に目を輝かせながらグッと、両手を握ってグリムナに話しかける。
「私、以前とは変わりましたよね!? こう……庶民の生活を知った、というか……今なら、きっと民に寄り添う思いやりの政治ができると思うんですよ!! 今までの経験を政治に生かせると思うんですよ!!」
グリムナは彼女に気圧され、確かに、と納得しそうになったが、少し冷静に考えてみた。
(今までの経験を……?)
彼女がここまでに経験してきた庶民の生活を政治に生かす、と言ったが……虫を食べたり、泥水をすすったり、蟻塚を捏ねてプールを作ったり……はっきりと言おう。庶民はそんなヒドい生活はしていない。
「あと、どうなんですか、ビュートリットさんって信用できるんですか? 正直言ってあまり絡んだことないんで詳しくないんですが」
「さあ? それは信用してみないと分からないですね」
グリムナはさらに懸念点を尋ねたが、しかしあっさりと「わからない」とベアリスは答える。分からない。その上で「とりあえずやってみよう」という思考なのだ。この行き当たりばったりな考え方にグリムナはかなり不安になったが、正直言って彼の考え方と似たり寄ったりである。
しかし、本人が『やる』と言っているのである。言っている以上仕方あるまい。さんざん思案したグリムナではあるが、結局折れて、ビュートリットに連絡を取ることにした。
「分かりました。そこまで言うなら私に止める権利はありません。ビュートリット殿には私から文を送りましょう。……ベアリス様、これからは自分の命だけでなく、他人の命も背負って生きていく人生になります。覚悟はよろしいですね?」
グリムナは彼女に覚悟ができているのか、それを確認したが、ベアリスは思わず考え込んでしまう。まさかそれもよくわからずに了承したのか、と彼は不安になったが、しばらくしてベアリスはゆっくりと答えた。
「そうですね……お飾りの御神輿ですから、実際には国政に関われるかどうか、ってところですが、でもやれる限りのことはやらせて貰います!!」
思わずグリムナは赤面してしまった。彼女は、自分にどういう役割が求められているのか、それも分かった上で自分の役割を果たそうという心構えであったのだ。
(でもまあ、機会があればターヤ王国を使って好き勝手遊んでいいって事ですよね……人生楽しまなきゃ!)
彼女の心の内を知るものなど、彼女以外にはいないのだ。
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