261.なりふりなんて構っていられない


 どうして? 今日は居ないはずじゃ? 思考がぐるぐる空回る。

 一輝はそんな愛梨の心境など露知らず、にこりといつもより柔らかな笑みを浮かべ配膳していく。


「和栗のモンブランパフェは……」

「あたしです!」

「姫子ちゃんね。てことは紅葉の彩りセットが村尾さんかな? 愛梨はスイートポテト味比べだよね、好きだったし」

「はい、そうですっ」「……ぁ」


 一輝のさりげない言葉に、ドキリと胸が跳ねる。

 仮初の恋人だったとはいえ、それでも自分の好みを覚えていてくれたことに心が浮き立つ。未だ、彼の中に自分がいるという気がして。我ながらチョロいなと、愛梨は自らに呆れた笑みを零す。

 愛梨が気恥ずかしそうに「まぁ、うん」と答えていると、目の前の姫子が不思議そうな声を上げた。


「あれ、でもどうして一輝さんが? さっき、おにぃが今日は文化祭の準備の方で忙しいって」

「そっちの方は、どうしても僕が必要ってわけじゃないからね。こっちの人手が足りない時の忙しさはよくわかってるつもりだから、急いで区切りをつけて来たけど……杞憂だったかな?」


 そう言って一輝は苦笑しながら、店内でぴょこぴょこと紙を揺らしながら働くみなもへ視線を移し、目を細める。


「んー、それでも一輝さんが来てくれてよかったですよ」

「なんだかんだで人数ぎりぎりだもんね」

「そうじゃなくて、今日はある意味一輝さん目当てで来たんですもん」

「……え?」(……ぇ?)


 姫子がむふふと含み笑いを浮かべる傍ら、一輝は一瞬身体を強張らせる。そこに妙な引っ掛かりを覚える愛梨。

 しかしそれも一瞬のこと、一輝はすぐさまにこりといつもの見慣れた・・・・笑みを浮かべ、愛梨へと視線を向けた。


「なるほど、愛梨と一緒だったからここに来たんだね」

「……ま、まぁ、そういうこと。バイトしてるとか初耳だったし、どんな感じなのかなって」

「別に隠してたわけじゃないんだけどね。ヘルプで入る時があるだけだから、正式にってわけじゃないし」

「へぇ、そう。意外。結構様になって似合ってるし」

「ありがとう。愛梨は――」


 そこで一輝は言葉を区切り、愛梨に視線を移し、何かに気付いたとばかりに目を瞬かせる。

 いきなり見つめられる形となった愛梨は、気恥ずかしさから熱を持ち始めた顔を「な、何さ」という不機嫌さを装った言葉と共に逸らす。

 すると一輝は柔らかな声色で言葉を紡ぐ。


の愛梨は以前・・みたいに、肩の力が抜けているというか自然体だね。僕はやっぱり、こっちの愛梨の方がのびのびしてて好きかも」

「っ!?」


 突然の予想外の言葉に思考を吹き飛ばされる。紅潮させた顔で思わず振り返り、一輝の顔をまじまじと覗き込む。

 愛梨の視線を受けた一輝は、ふっ、と薄く笑って目を細め、姫子と沙紀の方へと視線を移す。「愛梨も――」とまで口を開いたところで、店の奥から「おーい」と一輝を呼ぶ声が聞こえてきた。一輝はやってしまったとバツの悪い顔を作る。


「っと、ちょっと長居し過ぎちゃった。どうぞごゆっくり」


 そう言って愛梨が仕事に戻っていく一輝の後ろ姿を呆然と眺めていると、姫子の「ねっ、ねっ」という弾んだ声で我に返る。


「きゃー、今のやりとり、悪くない感触じゃないですか!? それと以前のって、どういう意味です!?」

「えっと、今まで彼の前じゃその、モデルである佐藤愛梨そのもののキャラを演じてて、それでといいますか……」


 それは一輝にふさわしい自分を演じているというのと、周囲から舐められないための武装でもあった。

 いつしか、すっかりそれも板についてきたと思う。今の自分が、それだというように。

 しかし最近のことを思い返すと、彼女たちの前ではかつての地味だった頃の自分になってしまっていることに気付く。そして、そのことに何の疑問も感じてなかったことも。

 なんとも不思議な子たちだなと、改めて思う。もしかしたらこちらの方が、本来の自分なのかもしれない。そう思うと共に、先ほど一輝が自然体で好ましいと言ってくれた台詞が蘇り、頬が熱を持つ。

 胸の中はぐちゃぐちゃだ。

 目の前で「なにそれめっちゃ乙女!」「好きな人の前じゃ一番の自分を見て欲しいですよね!」とはしゃぐ姫子と沙紀を脇目に、「あーもぅ!」と言って頭を抱え、ちらりと店内で働く一輝の姿を見てみる。

 スッと伸びた綺麗な背筋、にこりと浮かべた涼やかな笑み、耳に響く柔らかな声と共に颯爽と働く姿は、愛梨でなくとも見惚れるというもの。

 現に熱い視線を送るお客もおり、誇らしい気持ち半分、愛想振り撒き過ぎだというヤキモチも半分。

 そこではたと気付く。

 周囲に対する態度というか距離感というか、今までの一輝と明らかに雰囲気が違う。

 先ほど学校の友人と思しき女性店員にも、憂慮、安堵、心馳といった複雑な感情が込められた視線を投げていた。

 愛梨に向けられた言葉だってそうだろう。

 明らかに相手の方へと一歩踏み込んでいるような感覚。

 一輝の中で何かが変わった。そんな確信めいたものが胸に生まれる。

 ではいつ、何があって……記憶を攫えば、1つ思い当たるものがあった。

 そのことを確かめるべく、愛梨は目の前の2人に訊ねる。


「そういえば一輝くんさ、秋祭りで顔にすごいケガしてなかったっけ……?」


 すると姫子と沙紀はピタリとお喋りを中断し、互いに顔を見合わせ目をぱちくりさせた後、少し不思議そうな顔で恐る恐るといった声色で訊ね返す。


「えっと、聞いてません? あの日、一輝さん大ゲンカしたんですけど……」

「け、ケンカ!? だ、誰と!?」

「中学の時の知り合いみたいでしたね。何か色々あったみたいですが……」

「そうそう、向こうから絡んできたからって、おにぃも挑発し返してさぁ」

「あ、あはは。でもあそこで一輝さんが言われて黙っていられないの、お兄さんらしいと言いますか」

「でも一番ビックリだったのは一輝さんかなぁ。僕の友達をバカにするなーって飛び掛かっちゃって!」

「私もあれにはビックリでしたよぅ」

「一輝さん、やっぱりおにぃやはるちゃんの悪影響受けてない?」

「そ、そんなことないと思うけど」

「えーそうかなー?」

「…………」


 にわかに信じられなかった。

 あの、誰にでも一歩引いていて和を乱すことをよしとしない一輝が、誰かとケンカ。

 だけど、あぁ、そうなのか。

 彼女たちの会話から察するに、一輝は過去にケリをつけて再び前を向かって歩き出したのだ。

 そう、新しい友達のおかげで。

 仮初の恋人だった自分ではできなかったのにと、苦い気持ちが胸に滲む。

 すると同時に置いてけぼりにされちゃうのではという寂しさや焦りといったものが生まれてくる。

 ――変わらなきゃ。

 きっともう近くに行って、手を伸ばし、振り向いてもらうだけじゃ足りない。本能的にそのことを察する。

 それに中々振り向いてくれないのなら、もういっそ強引に目の前に躍り出るくらいの強引さが必要だ。

 その時、どんな自分を見てもらいたいのか? 自分の心に問いかけていく。

 すると自然に朧げだが浮かび上がる姿があった。

 だがそれは随分と曖昧だ。

 でもなんとか形にしなければ。

 もはやなりふりなんて構っていられない。

 愛梨はその情動に突き動かされるようにスマホを取りだした。


『もしもし、あいりん?』

「ももっち先輩ですか? 今どこです? 相談したいことと、紹介したい人がいるんです」

「え、佐藤さん?」「あいちゃん?」


 突然の行動に驚く沙紀と姫子。

 愛梨はそんな2人の手を取り、真剣な眼差しで自らの望みを謳う。


「文化祭の時、イメチェンするって話がありましたよね。私、今ようやくなりたい自分がわかったんです。協力してくれませんか?」


 目を丸くしていた沙紀と姫子は、愛梨の言葉を理解すると共に手を握り返し、力強く頷いた。


「「もちろん!」」

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