161.一度あれ、担いでみたかったんですよね!



◇◇◇




 ピンと緊張の糸が張られた厳かな空気の中、沙紀の父である宮司が主祀神に神饌と祝詞を捧げている。

 神職をはじめ、数人の人でだけ行われる儀式。

 当然ながら、そこには沙紀と心太の姿。

 春希は皆と一緒に離れたところから、その様子を見守っていた。


「掛けまくもかしこき――」


 祭りの儀式は進んでいく。

 やがて心太は緊張した面持ちで、宮司からいくつかの神饌の乗ったお盆を受け取る。

 これを月野瀬各所にある祠に供え、今年の豊作を願う。

 元々は秋の収穫後に行われていた祭りだったのだが、明治以降出稼ぎも多く、お盆の時期に色々纏めてやるようになったと、小耳に挟んでいた。


 心太は今年の夏祭りの主役の1人だ。

 というのも月野瀬の祭りでは、7つになった子供を山車に乗せる風習があるらしい。

 この歳で村の1人として迎え入れ、そのことを神様に報告するのを兼ねるのだとか。


 心太が神饌の乗せられたお盆と共に、山車に乗り込んでいく。

 春希はその様子を、少しわくわくしながら眺めていた。


「わぁ、心太くんいいなぁ……」

「うん、気持ちはわかる。俺もちょっと乗ってみたいって思うし」

「え、隼人は乗らなかったの?」

「あれは神社とか限られた家柄の――」


 隼人は春希のツッコミにそこまで返したところで、しまったとばかりに渋い顔を作る。


「っと、山車が動き出すな、行かなきゃ!」

「あ、ちょっと! 隼人ーっ!」


 そして隼人は山車のところへと逃げるように去っていく。あっという間だった。

 1人、憮然とした顔の春希が取り残される。


 春希が唇を尖らせている間にも、隼人はするりと皆の輪の中に入っていき、心太の乗った山車を担ぐ。どうやら神社裏手から麓に降りる坂道では、引かず担ぐらしい。

 その後を追おうとして――だけど足が動いてくれなかった。

 先ほど隼人が言いかけた言葉を思い返す。


「……」


 元庄屋、二階堂家。

 もしかしたら、あそこにはるき・・・が乗っていたかもしれない。


 だけど、春希はあれに乗れなかった。

 女の子の衣装を纏った心太が、おっかなびっくりしつつも瞳をきらきらと輝かせている。

 その場に立ちすくんだまま、後ろ姿が次第に小さくなっていく。


 ――本当に、二階堂春希があの場に入っていっていいのだろうか?


 受け入れられてはいるとは思う。だけどそんな春希の躊躇いが、この場に足を縫い付ける。

 きゅっと唇を結び、握りしめられた手を胸に当てようとして――


「私たちも行きましょう!」

「沙紀ちゃん!?」


 その手を、背後からやって来た沙紀に取られた。

 どうしたわけか巫女服に法被姿。

 沙紀は、その勢いのまま春希を山車のところへと引っ張っていく。

 あれほど重かった足は、いとも簡単に大地を離れて動いていた。


「あのそのえっと、沙紀ちゃん神社の方はいいの!?」

「私の出番はどうせ最後ですから! あ、これ春希さんの法被です!」

「え、うん、ありがと……?」

「ふふっ、私、今まで奥に引きこもっていて、だから一度あれ、担いでみたかったんですよね!」


 そう言って振り返った沙紀は、無邪気な満面の笑顔を春希に見せた。

 未だ少しばかり頭は混乱している。

 だけど、ただ1つ。

 沙紀が心から祭りを楽しもうとしていることはよくわかった。


 ――春希と、一緒に。


 ドクンと胸が跳ねる。

 だから春希も笑顔を咲き返す。


「……うん、ボクも!」


 そして共に手を繋いで、祭りの輪の中へと駆けだしていく。


 背後から法被を着た姫子が「待ってよ、あたしもーっ!」と叫びながら、置いて行かれまいと追いかけてきている。

 なんだかその姿が、かつて背中を追いかけてきていたひめこ・・・と重なり、春希は沙紀と顔を見合わせ、あははと声を上げた。




◇◇◇




 山々に縁どられ、突き抜けるような青い空のキャンバスに、真夏の太陽が燦々と輝いている。

 そこで綿雲が、まるで騒がしい月野瀬を興味深く覗き込むかのように、手に届きそうなほど低いところをぷかぷかと泳いでいた。


「「「よいよいよーいっ!」」」

「「「よいっと、まーかせっ!」」」


 一面青々とした田園に、楽し気な掛け声と共にカラカラと回る車輪の音が吸い込まれていく。


 この地で幾度となく繰り返されてきた、年に1度の光景だ。

 だけど今年はいつもと少しだけ様相が違う。


 先陣を担うのは、本来神社で待つべき巫女装束姿の沙紀と、長い黒髪をなびかせる春希の、見目麗しい少女2人。

 どうせならと、周囲から是非先頭をと押し切られた形だ。

 存在感のある古めかしくも豪奢な山車に負けないくらい鮮やかで可憐な2つの華が、月野瀬の山に、川に、木々に、人々に、見てくれと、紹介するかのように咲き誇っている。


 春希と沙紀の顔には幾分か羞恥の色があったが、それでも「「よいっと、まーかせっ!」」と声を弾ませながら月野瀬を巡っていた。

 山の麓の大きな樹、橋の近くの川のほとり、村の中央に鎮座するやたら大きな岩、その前にある小さな祠。

 そこへ心太が本殿から託された神饌をお供えしていく。


 途中、何度か住人の家の前で立ち止まり休憩する。

 あらかじめ用意してくれていた串団子やお茶、そして少量ながらビールも振舞われ、祭りはドンドン盛り上がっていく。


 すべての祠を周り終えれば、月野瀬をほぼほぼぐるりと1周していた。

 1人1台が当たり前の月野瀬は、中々に広い。

 月野瀬の神様たちへの報告と感謝を終えて神社に戻ってくる頃には、すっかり陽は暮れてしまっていた。

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