162.前座
沙紀は神社の麓にまで戻ってすぐ、着替えのために足早に戻っていった。
境内ではいくつものかがり火がパチパチと爆ぜており、夕暮れで暗くなった周囲を優しく照らしている。
「はいよ、お疲れ様! まずは冷たいもの呑む?」
「くぅ~、キンキンに冷えたしゅわしゅわがたまらないね!」
「こっちはまず腹に納めるもんだ! 何か肉をくれ、肉を!」
「はいはい、たくさんあるから慌てんじゃないよ!」
神社では居残っていた女性陣が、酒とごちそうが出迎えてくれた。神饌を調理したものだ。
子猫も心太を「みゃあ!」と出迎え、そして空になったおぼんと共に本殿の方へと神官に手を引かれていく。その背中を子猫が尻尾をピンと立てて追いかけている。
山車を牽き月野瀬中を練り歩いていたので、誰しもへとへとになり空きっ腹を抱えていた。
祭りのまだ細かい儀式は残っているがそれはそれ。
残りは神職の方に任せ、こちらは一足早くビールや料理に飛びつき、それらを片手に宴会が繰り広げられ、あっという間にどんちゃん騒ぎになっていく。
熱気はまだ、冷めやらない。
隼人もまた身体の裡に残る熱気に中てられ、心が高揚したままだ。
ビールの代わりにラムネ瓶を2つ手に取り、その1つを境内のそこかしこに設置されている
「ほれ、春希」
「あんがと」
「声、すっごい枯れてるな」
「……ずっと叫んでたし、あとそんな枯れてないし」
「ははっ」
山車の先頭ということもあり、人一倍張り切っていた春希。
隼人の揶揄いに少しばかり唇を尖らせながらラムネ瓶を受け取る。
丁度その時少し離れたところで姫子が、「あたし、からあげ!」と叫びながら大皿に突撃しているのが見えた。
そして周囲のおばちゃんたちからこれもあれもと様々な料理を与えられ、「わっ、わっ」と慌てながらもちゃっかりと口の中をパンパンに膨らませていく。
隼人はその様子を見て笑いを零しながら、プシッとラムネ瓶のビー玉を押し込んだ。
春希も隼人に倣ってラムネ瓶のビー玉を押し込むも、こちらはプシュウゥゥッと大きな音と共に泡を勢いよく噴き出させてしまう。幼い頃から変わらず、ラムネを開けるのが苦手のようだった。
「わ、わ、あわわ……んっ、んくっ……」
「相変わらず開けるの下手だな」
「……けぷっ」
もったいないと慌てて唇を寄せる春希。
炭酸を一気に飲んだから必然、可愛らしいゲップが出てしまう。
ジト目で抗議の視線を向けられれば、隼人は悪かったとばかりに両手を上げた。
そして春希の隣に腰掛け、今日の祭りのことを思い返す。
沙紀と共に先頭に立ち、皆と一緒になって山車を牽く。
2人の姿は月野瀬中に広まったことだろう。
目の前で、誰もが笑顔になって繰り広げられているどんちゃん騒ぎが、祭りの成功を、春希の受け入れを物語ってると言っていい。
ごくっとラムネ瓶を一気に煽る。隼人の口元が緩む。
するとポロリと、心の底から感じた言葉が零れた。
「今日は楽しかった。俺、春希と一緒に祭りに参加出来て、本当によかった」
隼人の言葉に春希は目をぱちくりとさせ、そして優し気に微笑んだ。隼人も微笑み返す。
「それもこれも、沙紀ちゃんのおかげだね」
「一緒になって担いだのは、ほんとビックリしたよ。いきなりだったし、巫女服に法被姿だし」
「うん……ホント良い子だよ、沙紀ちゃん」
「あぁ、俺もそう思うよ。熱を出した時も、随分お世話になったし」
「きっとそれだけじゃないよ。多分、ずっと以前から。沙紀ちゃんが沙紀ちゃんになった時から……」
「……春希?」
春希の言うことが今1つよくわからなかった。
隼人が首を捻っていると、春希はヨイショと立ち上がり、足元なった小石を蹴り飛ばしながら尋ねてくる。
「隼人ってさ、卒業したら月野瀬に戻ってくるの?」
「…………え?」
唐突な質問だった。
そして考えたことも無かったことだった。
急に問われても、正直分からないとしか答えようがない。
かろうじて、大学に進学することを決めていることくらいだろうか。
祭りの喧騒が、どこか遠いことの様に聞こえる。
眉を寄せて難しい顔をしていた隼人を見て、春希はフッと笑って身を翻す。
そして拝殿の隣に設置されている、神楽殿へと足を向ける。
10畳ほどのささやかな大きさの、祭りの最後に神楽が報じられる場所。
隼人も慌ててラムネを飲み干し背中を追う。
「月野瀬に戻ってきて沙紀ちゃんと話して、一緒に遊んで、ふと思ったことがあったんだ。もしボクがずっと月野瀬に居たらどうだったのかなぁって」
「それは……」
またも問いかけが変わる。
必死に想像力を働かせてみるも、どうしてもかつての
隼人にとってはるきははるきであり、春希は春希なのだ。
春希はどこか困ったような笑みを浮かべ、そして長い髪を手で束ねた。
「きっと髪は今みたいに長く伸ばしてなかったんじゃないかな? ショートかウルフ、それかボブ。中学に上がって初めてスカート穿いて、それを隼人が似合わねーって笑うんだ。沙紀ちゃんとも友達になっててね、ことあるごとに『村尾さんを見習えよ』って言われて、そしてきっとボクは沙紀ちゃんを――」
「……」
それはもしかしたらあり得たかもしれない光景。
皆との関係性も、きっと今とは色々と違っていたことだろう。
だけどそれはたらればの話だ。
どうして春希がいきなりそんな話をし出したのか、ますますわけがわからない。
眉間に皺が寄る。
「……なんてね」
そう言って春希はふぅっと息を吐き出しながら、髪を束ねていた手を放す。
黒髪がかがり火に照らされ揺れて広がる。
その瞬間、春希が纏う空気が変わった。
思わず目を見開く。
そこに居たのは転校初日にも見かけた、清楚可憐な女の子。
「ボクはもうかつての
「あ、おいっ!」
春希は少し寂し気に呟き、舞台の前へと出る。
隼人が引き留めようと手を伸ばすも、どうしてか足が動かない。否、動かずそこで見守るのが正しいと思わされてしまった。
神楽殿が使われるのは祭りのオオトリだ。最後の時がまだかと、皆の意識もそこに集まっている。
そこへふらりと春希が現れれば、どうしたことかと周囲の視線を集めてしまう。
そんな中春希は大きく息を吸い、そして片手に持った空のラムネ瓶をマイクに見立て、世界を変革させる呪文を紡いだ。
『あなたにひとめぼれ~♪』
「――ぁ」
喧騒が一瞬にして静寂へと塗り替えられていく。
それは先日集会所でも唄っていた、かつて一世を風靡したドラマの主題歌。そのアカペラ。
切ない声色と眼差し、手に届かぬものに焦がれ藻掻くように求める手の動き、それでも追いかけていくかのような
『――琥珀の夢~♪』
伴奏もなく、ただ春希の身1つだけで作り出されていく
突然異世界に連れていかれた住人たちは、その術の使い手である
『――碧の手紙、心に呑み込む……♪』
やがて唄い終える。
皆、春希に呑み込まれてしまっていた。
心は掴まれたまま。
余韻は冷めやらず、だが呆けたままどうしていいかわからない。その場に立ちすくんでいる。
春希はそんな周囲に向けてぺこりと頭を下げた。
しかしそれは終わりの合図じゃない。
――前座。
そんな言葉が脳裏を過ぎった時のこと。
シャン、と鈴の音が鳴った。
それと共に、拝殿から現れた幽玄的で神秘的な少女が、沙紀が、春希の作りだした世界を切り裂いていく。
皆の意識が沙紀へと向かう。
ごくりと喉を鳴らす。
その時、隣に戻ってきた春希が、ポツリと神妙な声色で呟いた。
「ね、隼人。沙紀ちゃんをさ、しっかり見てあげてよ」
「…………え」
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