163.沙紀の神楽舞


「そんなこと――」


 ――言われるまでも、と隼人は最後まで言い切ることが出来なかった。

 春希の視線は真っすぐに沙紀へと伸び、全身の筋肉を強張らせている。

 その顔はやけに真剣で、隼人も一瞬の躊躇のうち、それに倣う。


 やがて宮司が奏でる笛の音と共に、神楽が始まった。

 夜の帳が降ろされた星空の下、かがり火が主役である沙紀を照らす。


 それは平安時代から、気の遠くなる昔から受け継がれてきた舞。

 太古の昔、この地で起こったことを表す物語。

 奇しくも春希が前座で唄ったものと同種のもの。


 凛と鳴る鈴の音と共に沙紀が舞う。

 鮮やかに、艶やかに、華やかに。

 甘く切なく、うら恋しく、痛ましく。

 歓喜、哀惜、憧憬。

 沙紀は舞で様々な情景を表している。

 子供の頃から幾度となく見てきたものだとが、今年の沙紀は今までで一番色付いていた。

 隼人も思わず、「あぁ」と簡単の声を漏らす。


「……やっぱり、ボクとは違うね」

「春希?」

「だって、ほら……」


 そう言って春希は、ちらりと周囲を見渡した。

 皆の目は春希の時と同じく沙紀に釘付けであり、しかしその口元は緩んで「ほぅ」「はぁ」といったため息が漏れている。――隼人と同じように。

 その様子を見た春希が自虐的に小さく笑う。


「ボクのはね、名前も顔も知らない誰かに向けた取り繕うためのもの。沙紀ちゃんのは、胸の中にある伝えたい人に向けられたものだから」

「そん――」


 ――そんなこと、そこから先の言葉が出てこない。

 隼人は今度こそ掛ける言葉を失くしてしまっていた。


 ふいに脳裏を過ぎったものは、再開してからいたるところで仮面を被り、他人とは適当にやり過ごし、一目置かれる存在だというのに孤立している春希の姿。

 春希は今、その硬い笑みを浮かべている。

 隼人は衝動的に手を伸ばすも、その手はひらりと宙を切った。

 え? と虚を突かれた顔を晒していると、春希は諭すように沙紀へ視線を向けて呟く。


「隼人、見てあげて」

「…………」


 その瞳は、ただ沙紀だけを捉えていた。


 やがてシャンッという鈴の音と共に、神楽が終わる。

 すると同時に、大きな拍手と歓声が沸き起こった。


「沙紀ちゃん、今年も良かったよーっ!」

「これを見ないとやっぱ祭りは終えられねぇや!」

「よし、次は誰んで呑みなおす!?」


 祭りは終わりを告げ、世界が日常へと戻っていく。

 そんな中、隼人は少しばかり呆然としていた。


 何か歯車が嚙み合っていないような、否、ずらされているかのような感覚。

 胸の中ではぐるぐると様々な感情が渦巻いている。


「隼人、沙紀ちゃんのとこ行こ?」

「あ、あぁ」


 しかし春希はそんな隼人のことなんてお構いなしに、手首を掴んで引っ張っていく。


 沙紀は神楽殿の傍にある床几台に腰掛け、いなり寿司を頬張っていた。

 手を振りながら近づいてくる春希に気付くと慌てて呑み込み、とんとんと胸を叩く。


「お疲れ様、沙紀ちゃん。すんっっっっごくよかったよ!」

「んんっ、あ、ありがとうございますっ! その、直前に春希さんがあれだったから、今年は余計に緊張したといいますか!」

「あはは、でも気合が入ってよかったとか?」

「も、もぉ~っ!」


 春希が軽い調子で話しかければ、沙紀は子供っぽく頬を膨らませて抗議のジト目を向ける。

 普段どこかしっかり者なところのある沙紀の、隼人には見せたことのない、年相応の姿だった。

 そこには気の置けない空気があり、月野瀬に来てから春希と沙紀の距離が一気に縮まったことも感じさせる。


「……そういや、さっきまでここに姫子いなかったっけ?」

「あ……姫ちゃんその、食べ過ぎたみたいで、ええっと……」

「あはは、ひめちゃんらしいや」


 そこへ、隼人もするりと交じる。

 呆気ないほどスムーズで、こうして沙紀と言葉を交わすことなんて、月野瀬に戻ってくる前には想像もできなかった。

 今年の夏は、祭りは、隼人たちの何かを劇的に変化させている。


「そだ、沙紀ちゃん。1日早いけど、せっかくだからアレ、渡そ?」

「え、あ、はいっ」

「てわけだから、隼人はそこで待っててね!」

「あ、おいっ!」


 そして春希は沙紀の手を引き、あっという間に住居の方へと去っていく。

 1人取り残された隼人は、先ほどまで春希に捕まれていた手首を眺め、はぁ、とため息を吐いてガリガリと頭を掻いた。


 周囲を見渡してみる。

 祭りは終わり、食事も大半が片付けられており、多くの人が帰路に着いている。

 ぱちぱちと音を立てるかがり火も勢いが衰えており、小一時間もすれば完全に消えるだろう。


 祭りの後、だった。


 その光景を見ていると、少し物悲しい気持ちになる。

 明後日には都会に戻るということもあって、余計に。


「村尾さん、か……」


 胸の中は複雑だった。

 その中でも戸惑いの色が多くを占めている。

 今まで距離が近いようで遠かった女の子。


 隼人がぐしゃりと顔を歪ませていると、「おーいっ!」という春希の声が聞こえてきた。

 視線をそちらに向ければ俯く沙紀の手を引いており、少しばかり眉を寄せる。

 そして目の前まで戻ってくると、春希はすかさず沙紀の背後に回り込み、ぐいっと背中を押す。


「はい、沙紀ちゃん!」

「は、春希さんっ」

「えぇっと……?」


 隼人の目の前に押し出される形となった沙紀は、胸に何かを大事そうに抱えていた。

 頬を赤く染め、俯きがちに睫毛を震わせている。

 改めて沙紀を見る。

 色白で線が細く、神秘的な雰囲気を纏い、奥ゆかしくも春希にも劣らぬ美貌を持つ女の子。


 そんな沙紀がもじもじと時折上目遣いで視線を送られれば、隼人でなくともドキリとするなという方が難しい。


「沙紀ちゃん」

「っ!」


 春希の声が沙紀の背中を叩く。

 すると沙紀はそれに押されるように1歩踏み出し、きゅっと硬く結んだ唇と共に、垂れ目がちの瞳を真っすぐにぶつけてくる。ドキリと胸が騒ぐ。

 そして胸に抱いてものを勢いよく、半ば押し付けるように差し出してきた。


「い、1日早いですけど、誕生日プレゼントですっ!」

「…………え」

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