164.見上げた月に声もなく紅涙を絞る
春希の目からも、隼人の動揺はよく見てとれた。
紅潮する頬。
彷徨う視線。
しどろもどろになって零れる母音。
当然だろう。
沙紀は同性である春希から見ても、ため息が出てしまうほどの美少女だ。
そんな女の子にプレゼントと共に、真っすぐな好意を向けられれば無理はない。
しかし沙紀は硬直する隼人をどう思ったのか、不安げに睫毛と声を震わせる。
「あ、あのその、いきなりこんなものを渡されても、迷惑、ですよね……」
「っ! い、いや、そんなことは! 誰かから誕生日プレゼントをもらうのって初めてで、ちょっとどう反応すればというか……その、嬉しい、です、はい……」
「よ、よかったです!」
「ええっと、これって……」
「え、エプロンです。姫ちゃんからお兄さんが今使ってるの、ボロボロだって聞いて」
そう言って沙紀は、隼人の目の前で胸に抱えていたものを広げる。
デフォルメされた狐のワッペンがアクセントになっている、ちょっぴり可愛らしい手作りエプロン。
ネットで手探りで調べながら作り上げ、分厚いワッペンに苦労して針を通していたことをよく覚えている。
そんな、沙紀の想いの込められたプレゼント。
エプロンを目にした隼人から「狐、村尾さんらしいね」「自分で作ったの?」と言われるたびに、沙紀は表情を一喜一憂させている。なんとも微笑ましい光景だ。
だから春希は一瞬、お似合いだなんて思ってしまった。
それにきっとこれは、隼人が都会に出て来なければいずれ展開されていただろう光景だ。確信をもって言える。
「……っ」
春希の胸にじくりと苦いものが滲む。
この場にいるのは、ひどく場違いな気さえしてくる。
だから春希は足音を殺し、そっとこの場を離れた。
◇◇◇
月が煌々と輝いていた。
山を駆け下りていく夜風は、ザァザァと木の葉を揺らす。
春希は長い髪を振り乱し、何かを振り払うかのように闇の中を駆けている。
「……ぁ」
ただ、がむしゃらに走っているはずだった。
だというのに目の前に広がっているのは、かつて祖父母と何かあるたびに蔵を抜け出してやってきた
春希はぎゅっと胸のシャツを掴む。
隼人と沙紀が、大事な友達である2人が仲良くしている姿を見るのは喜ばしいことで、歓迎すべきことで、しかしどうしてか胸がざわついてしまう。
それは心の奥底で育ち、肥大しつつある感情のせいかもしれない。
だけど。だけれども。
それでも春希の中には、どうしても譲れない矜持があった。
「……沙紀ちゃんは幼いころからずっと、隼人のことが好きだった」
事実を確認するかのように口に出してみる。
きっと、この世界で誰よりも早く、一番最初に隼人を好きになった女の子。
それだけでなく月野瀬での沙紀を見れば、陰日向に隼人を支えてきたというのもわかる。打算もなく、見返りも求めずに。
好きだから、助けたいから、助けてきた。
だから、最初に想いを伝えるのは沙紀でなければならない。
それに沙紀は春希の友達だ。
春希にとって、友達は特別だ。家族よりも、何よりも特別だ。
『はるき、おれたちはずっとともだちだから!』
ふいにかつて隼人と交わした約束を思い出す。
かつての言葉が見えない鎖となって春希に絡みつき、身動きできなくなる。
せめてとばかりにぎゅっと拳を握りしめようとして、そこで初めてスマホケースを握っていることに気付く。
「……ぁ」
それは隼人へ沙紀と一緒になって渡そうとして作った誕生日プレゼント。
以前一緒にスマホを選びに行って、ケースをどうするか有耶無耶にしたままだったのを思い出して作ったもの。
「隼人、誰かから誕生日プレゼントもらうの初めてって言ってたっけ……」
先日ゲーセンで取れた、やけに胴の長い猫のぬいぐるみを貰った時のことを思い返す。その時に感じた思いも。
顔がくしゃりと歪む。
頭の中は色んな感情でぐちゃぐちゃだった。
「っ!?」
その時ふいに、春希のスマホが通知を告げる。
画面を見ればみなもからのメッセージ。
『今日は頑張ってたくさん耕しました』
そんな言葉と共に、未使用だった花壇の一画を畝に変えた画像も添えられている。
日常の1コマを切り取った、なんてことないもの。
それを目にした春希は、反射的に通話をタップしてしまっていた。
「やほー、みなもちゃん。新しく何か植えるつもりなの?」
『あ、春希さん。はい、秋に向けてとりあえず場所だけでもと』
「なるほどなるほど、秋の終わりから冬の初めの採れるものかな?」
『ジャガイモ、大根、白菜、ブロッコリー……ふふ、実際何にするかは新学期が始まって、皆さんと相談できたらなという感じですけどね』
「…………っ」
新学期。
みなもが何の気なしに投げかけた言葉に、まるで頭から冷水を掛けられたかのように身体を強張らせ、言葉を詰まらせる。
急に現実に引き戻されたかのような感覚。
目前に迫った沙紀との別れ。
そのことを強く意識させられ、とても嫌なものだなと感じてしまう。
『……春希さん?』
「あ、うぅん、なんでもない。ちょっと目にゴミが入っただけ」
みなもはそんな春希の様子をつぶさに感じ取ったのか、どこか慮るような声色で名前を呼ぶ。
春希は一瞬戸惑い言い訳を探すもしかし、通話の相手がみなも――友達であることを思い返し、このどうしようもない感情をそのまま吐き出したくなって、少しばかり甘えを含んだ声色でとつとつと胸の裡を零していく。
「……沙紀ちゃんってね、すっごく良い子なんだよ。月野瀬で実際にあって、つくづくそう思ったんだ」
『はる……』
「細かなことによく気が付いてさりげなくフォローしてくれたり、助けてくれたり、ボクも随分助けられちゃった。縁の下の力持ちっていうか、傍にいると安心するというか……月野瀬の皆もそんな沙紀ちゃんのことが分かっててさ、だから可愛がられてて……」
先ほどの隼人と沙紀の姿を思い返す。
隼人は春希のことを、相棒と言ってくれた。
一緒なら1人じゃできないことも出来るようになる、と。
翻って隼人にとって沙紀はどんな存在なのか。
月野瀬で隼人が仕事をしたり、何かしたりする居場所を作ってくれた功労者。
おそらく、
もし春希が一緒に羽ばたくための片翼だとしたら、沙紀は帰るべき止まり木。戻るべき場所。
そう、思ってしまった。
「――ぁ。ボク、わかった……」
『……え?』
ふいに、何かがストンと胸に落ちた。
きっとそれは、なんとなしに沙紀の背中を押すようなことをしてきたものの正体。
「沙紀ちゃんは皆に愛されて育ったから……だから、本当に誰かを愛することができる子なんだ……」
――どこか歪な自分と違って。
先ほど見た神楽舞が、なにより雄弁にそのことを物語っていたではないか。
言葉が出てこなかった。
何ともいえない空気が流れスマホ越しにみなもの困惑が伝わってくる。
必死に春希に掛ける言葉を探しているのがなんだか申し訳なくなって、くすりと自虐的な笑みが零れた。
「んっ、それじゃまたね、みなもちゃん!」
『……あっ!』
強引に通話を切り、込み上げてくるものが溢れ出ないよう天を仰ぐ。
ザァッと風が吹く。
月と星灯かりの音、向日葵たちが祭りの後を寂しげに唄った。
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