165.「――私も、同じノリで接してくださいっ!」
沙紀の思考はいっぱいいっぱいになっていた。
「き、狐さんはその、姫ちゃんによく私の髪の色とよく似てるって言われててっ」
「そ、そうなんだ、うん。あ、でもこれ可愛らしいから、使って汚すと申し訳ないというかっ」
「そ、その時は来年に別のを用意しますんでっ!」
「っ!? そっか、来年もかっ」
「べ、別のにした方がいいでしょうかっ!?」
「そういうことでなくっ!」
「あっ!」
「……っ」
「……」
そして何度目かの沈黙が流れる。
先ほどから手に持ったエプロンを挟んで、意味があるようでないような空滑りする会話を繰り返していた。
沙紀にとって今のこの状況は、ほんの3週間前には想像もしなかったものである。
心の準備など出来ていやしない。
色んな段階を一気にすっ飛ばしたようなものだ。
それでもいつまでもこの空気に浸っていたい気持ちがあった。
だけどそういうわけにもいかない。
かがり火では炭になった焚き木が、僅かに赤く瞬いている。
それだけ時間が経てば、さすがに少しばかりの落ち着きを取り戻す。
気付けば周囲は真っ暗になっていた。
「と、というわけで、これ、受け取って――」
「あ、あぁ…………村尾さん?」
「――っ!」
そしてふと、異変に気付く。
隼人に渡しかけたエプロンを引っ込める。
少しばかりしょんぼりした顔を見せた隼人に不覚にもキュンと胸をときめかせるも一瞬、緩んだ口元を引き締め周囲を見渡し尋ねた。
「えぇっと、春希さんは……?」
「あ……そういや居ないな? どこに行ったんだ?」
いつの間にか春希の姿が見えなかった。
どうしていなくなったかはわからない。
沙紀にとって、春希はなんとも言葉にしづらい相手だ。
見た目は楚々とした美少女。だけど中身は人懐っこく、隼人とも幼い頃と変わらぬ距離を築いている。
沙紀の目から見ても、春希にとって隼人は特別な存在だというのは明白だ。
置かれた状況を考えると、一言で表せないほど複雑なものがあるのだろう。
そしてきっと、異性としても。
ぎゅっとエプロンを抱きしめる。
疎遠だった隼人との距離を詰められたのは、春希のおかげだった。
この状況は明らかにお膳立てされている。
「お兄さん、この誕生日プレゼントって、春希さんとそれぞれ一緒に作ったんです」
「え、春希も……?」
「はい! だからその、渡すときは春希さんと一緒じゃなきゃダメなんですっ!」
それは沙紀にとって譲れない矜持だった。
じゃないとこれから先、胸を張って春希の隣に立てないような気がしたから。
「春希さんを探しましょう!」
「む、村尾さん!?」
沙紀は驚く隼人の手を取り、駆け出した。
◇◇◇
青白い月の光が、木々の間から差し込まれている。
沙紀は神社の階段を駆け下りながら周囲を見回す。
生まれた時からずっと見てきた、変わらない景色が広がっている。
木々は、山々は、まるで牢獄の様――そう思っていた時もあった。
しかし今は、世界がとても鮮やかに色付き輝いていることを知っている。
だけどもっと近付きたいと願いつつも、見ているだけで何もせず、かつてと同じく停滞した日々を過ごしていた。
そしてある日突然訪れた予期せぬ別れ。
あの時の喪失感は忘れられそうにない。
このまま縁が切れる未来が、はっきりと見えた。
そんな時、手を引いてくれたのは誰だったか。
グルチャ、遊び、誕生日プレゼント。
あぁ、いつも流されてばかり。
きっと。
今ここで変わらなきゃ、この先ずっとこの後悔を抱えていくことになるだろう。
だから今、走っている。
「村尾さん、探すったってどこに!? あてはあるの!?」
「わかりません! でもわかります!」
「どっち!?」
「あははっ!」
沙紀自身、どうかと思う言葉だ。
だけど自然と笑い声と共に出てきた。
こういう時、春希が向かう場所。
それはきっと、かつて
こっそりと沙紀に教えてくれた、とっておき。
一瞬、隼人を連れて行っていいのか躊躇うものの、敢えてそれを無視した。
「ここって……」
背中から隼人の訝し気な声が聞こえてくる。
当然だろう、ここはかつての2人にとって特別な場所なのだから。
生い茂るを掻き分け、鬱蒼とした木々に閉ざされた道を抜ければ、果たしてそこには月を見上げて佇む春希の姿があった。
夜の向日葵と共に月と星に照らされる春希は、とても綺麗で鮮やかな、一輪の花。
まるで絵画や御伽噺から抜け出したものを切り取ったような幻想的な光景で、思わず息をするのも躊躇ってしまう。
しかしそれも一瞬、沙紀はキッと垂れ目がちな瞳を精いっぱい吊り上げながらまっすぐに春希の姿を捉え、このどこか厳かで儀式的な硬い空気を声を張り上げ切り裂いていく。
「春希さんっ!」
「っ!? 沙紀ちゃん……それに隼人、も……」
こちらに気付き驚く春希。
その春希の顔を見た沙紀は瞠目し、息を呑む。
泣いていた。
涙の跡は無く、声も出してはいないけれど、確かに春希は泣いていた。
きっと。
幼い頃、ここへと逃げこんだ彼女は、あんなふうに泣いていたのだろう。
だから沙紀はそれが、
とても、
無性に、
気に入らなかった。
締め付けられる胸に拳を当て、ずんずんと詰め寄る様に春希の下へと行く。
「え、ええっと沙紀ちゃん、どうしたのかな? ぷ、プレゼントは……」
「春希さん、お話があります」
「あ、はい。な、何かな?」
「私、春希さんと喧嘩しに来ました!」
「さ、沙紀ちゃん!?」
「えーいっ!」
「っ!?」
「む、村尾さん!?」
そして沙紀は大きく手を振り上げ、ぺしりと春希の頬を撫でるように叩く。
春希は目をぱちくりとさせながら沙紀の顔を覗き込む。
「え? え? えっとなに、喧嘩?」
「はい、喧嘩です。ほっぺただって引っ張っちゃうんだから!」
「しゃ、しゃひひゃん!?」
今度はむにーと春希のほっぺたが引っ張られる。
先ほどの平手打ちもそうだが、こちらも可愛らしい戯れの様なものだ。
だけど沙紀の瞳は、きわめて真剣だった。
「私、春希さんに仲良くなりたいって言われてすごく嬉しかったんです! 友達になって、この数字一緒になって遊んですごく楽しくて……私、春希さんのこと大好きなんです! 本当の友達になりたいから……だから喧嘩するんです!」
沙紀は言葉を選ばず真っすぐにぶつけ、心のままに叫ぶ。目にはうっすら涙も浮かべている。
感情的になっているのは百も承知。言ってることもどこか支離滅裂だ。
それでも言わずにはいられない。
「だから、変に気を使ったり、遠慮とかしたりしないでよ、バカーッ!」
「…………ぁ」
春希の顔が、仮面にひびが入ったかのようにくしゃりと歪む。
きっと、このままで良いことなんてことはない。
自分が変われば世界が変わる――沙紀はそのことを幼いころに知った。
だけど思えば今まで変わることを恐れ、傷付くことを怖がり、何もしてこなかった。
変わることはとても、とても怖いことだ。
それでも後悔を抱えるよりはよっぽどマシだと、2ヶ月前に思い知った。
だから沙紀は、相手に迷惑がかかるだとか嫌われるだとか、そんな恐怖を呑み込み一歩踏み出す。
「私、我がままを言います!」
「さ、沙紀ちゃん!?」
強引に春希のスマホケースを持つ手を取り、隣に並ぶ。
我がまま――その単語に春希がビクリと肩を震わせるも、沙紀はそれも無視して仕切り直しの意味を込めてコホンと咳ばらいを1つ。
「プレゼントを渡すのは、春希さんと一緒じゃなきゃイヤです!」
「え、あ……」
沙紀に促されるまま、一緒に隼人の目の前へとプレゼントを差し出す。
隼人は少しばかり気圧されながらそれを受け取る。
「あ、その、ありがとう春希……それに、村尾さん」
「それも、イヤです」
「……え?」
「私だけ村尾さん。皆名前で呼び合ってるのに、私だけ他人行儀でイヤですっ!」
「あ、うん、沙紀、さん……」
「……………………はい」
勢いのまま我がままを言っているも、名前を呼ばれれば赤面してしまう。
そこで沙紀が黙ってしまうと、神妙な空気が流れ、だけど春希ははにかみながらも手を握ってくる。
だから沙紀はその手をぎゅっと握り返し、そして隼人の手も勢いに任せ強引に掴む。
心の中にあるとても大切なものを乗せた天秤は、隼人や姫子だけでなく、春希ともしっかりと釣り合っていた。
「私、高校は同じところに行きます! 絶対に! 春希さんだけじゃなく、お兄さんも姫ちゃんも大好きだから……だからっ、春希さんにお兄さん、これからは――っ!」
沙紀は変わると決めた。
急には無理だろう。
上手くいかないかもしれない。
でもその決意を、
「――私も、同じノリで接してくださいっ!」
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