257.こんな時、友達なら


 窓を閉め切られた教室は、キラキラとした華やかさを意識した内装が多くの間接照明で輝いている。

 そんな女装キャバクラ向けて着々と準備が進む店内で、一輝はあまりに様変わりした鏡の中の自分の姿に驚いていた。


「これは……すごいね」


 ふわりと波打つ飴色の長い髪に、涼やかで華やかさがあるように化粧がなされたかんばせ、もこもこと秋をイメージさせるどこか可愛らしい衣装は、高身長の一輝が着ればどこか大人びてスタイリッシュに決めている。

 クラスの女子たちに協力を仰ぎ、髪や服は体型を隠す云々と言われてもよくわかっていなかったが、しかしなるほど細かい理屈は抜きにして、思わず「ほぅ」とため息が零れてしまうほどよく似合っていた。


「海童くんすごい、本物の女の子みたい……」

「その辺の女子より可愛いんじゃない? ちょっと妬けちゃう」

「オレ、今の海童なら全然ありだわ……」

「ばっか、お前なにを……ってちょっとわかるわ」

「あたしちょっとドキドキしてきた……」


 一輝だけでなくメイクを手伝ってくれたり見物していたクラスメイトたちも、囁き驚いている。それほどの変身ぶりだった。

 鏡に向かって、様々な表情やポーズを作っては変えてみる。我ながら可愛いと思う。

 それと同時にどこか現実感にも乏しく、しかし不思議な高揚感が沸いてくる。今まで変身願望だなんてものは持っていなかったが、なるほどこういうことが癖になる感覚はわかるかもしれない。

 一輝に触発されたのか他のキャスト担当たちも騒ぎ出す。


「おい、化粧ってどうするんだ?」

「服とか、どういうのを選べばいい?」

「オレらも変われるかな?」

「はいはいはい、うちらに任せて!」

「衣装選びのお呼びとあらば! っていうか着せたいのとかあるし!」


 教室に今までにないやる気と熱気が渦巻いていく。

 きっと先ほど春希のステージ練習を見に行ったということもあるだろう。

 その時のことを思い返す。

 誰もが言葉を失い、彼女が作り出す世界に魅入られていた。

 焦燥、動揺、激昂。あるいは悦喜、熱狂、快哉。

 ステージで繰り広げられる情景に、様々な感情を思い起こされては激しく揺さぶられる。

 今までの付き合いの中で、彼女が歌や演技が上手いのは知っていた。

 しかし舞台で輝く春希の姿は、予想を遥かに超えた存在感で。

 おそらくあれが二階堂春希の本気の力。

 あんなものを見せられたら、自分たちもとやる気が奮い起こされないわけがない。

 一輝だってその1人だ。

 まだ胸の内では、何かをしたいという衝動が燻ぶっている。

 それに身体を動かしていた方が、ふいに訪れる鈍い痛みを誤魔化せられるから――一輝はそんな自分に少し自嘲めいた笑みを零し、何か手伝えるものはないかと教室を見渡す。

 すると、何人かの女子がこちらを見ては囁き合っていることに気付く。

 何かあるのだろうかと想い、彼女たちの方へと足を向けた。


「えっと、何かな?」

「あ、うん。海童くん、すごく女の子になってるんだけど、その……」

「なーんか違和感というか引っ掛かってるものがあるんだよねー」

「それが何かなーって、うちらも首捻ってるんだ」

「違和感?」


 その言葉を受けてぐるりと自分の姿を見回し、鏡も覗き込む。

 パッと見た感じ、どこにもおかしいところは見られない。

 彼女たち自身も、なんだか困ったような顔をしている。

 皆でむむむと唸り顔を突き合わせていると、1人の女子が「あ!」と声を上げた。


「わかった! 歩き方とか仕草が男子のままなんだ!」

「あ、それだ! 確かに今も腕組み方とか男っぽいし!」

「見た目が女の子だから、それで余計に違和感が!」

「あぁ、なるほど」


 ストンと腑に落ちる。確かにその辺は意識していなかった。

 せっかく外面を良くしても、振舞いがおかしければ台無しになってしまうだろう。

 幸いにして一輝には、どうすべきかはすぐに思い浮かぶ。


「こんな感じかな?」

「わ、すご!」

「それそれ!」

「ていうかやばーい、モデルっぽーい!」


 仕事モードの姉を意識して歩いてみれば、彼女たちから感嘆の声と拍手が上がる。

 反応は上々。一輝も手応えを感じるものの、普段はしない振舞いを意識して動くのは中々に難しい。ふぅ、と息を吐き肩の力を抜く。


「うーん、慣れないと難しいね」

「あはは、それはしゃーなし!」

「練習して馴染ませるしかなよ」

「どうすればいいかなー?」

「くっ、それがわかれば私の女子力も……っ!」

「あ、ちょっといいこと思い付いたかも!」


 その時、1人の女子がポンと手を合わせた。

 皆の注目が集まる中、彼女は少し得意げになって言う。


「女の子としてその姿で校内を歩き回るの! 多くの人に見られることを意識すれば自然と身についてくるだろうし、あとうちの宣伝にもなる!」


 その言葉に皆も「それいい!」「実践ね!」と賛同を示す。

 なるほど、外では急に何が起こるかわからないし、咄嗟の対応力も求められる。一理あるかもしれない。


「よし、じゃあちょっと外見て回ってくるよ」


 そう言って一輝は彼女たちのいってらっしゃいの声を背に受け、教室を後にした。



 見られているということを意識して、周囲の気配を探りながら熱気に満ちた廊下を掻き分けるように歩く。

 当然、多くの視線が集まると共に、いくつもの驚きの声も耳に飛び込んでくる。


「わ、すっごい背高い! 足長いし、キレイ!」

「私もあれくらい身長があったらなぁ」

「え、あんな子うちの学校にいたっけ?」

「美人とは思うけど、オレはやっぱ小柄な子がいいな」

「ちょっとわかるぜ、隣に立たれて自分より背が高いのはちょっとな」

「でも見る分にはスタイルよくていいよな」


 いかに空気に当てられたかとはいえ、羞恥心がなかったわけじゃない。

 しかしわずかに残っていたそれらも、多くの驚嘆、憧憬、興味、そして僅かばかりの情欲といった好意的な声に掻き消されていく。

 そうなれば気も大きくなり、調子にも乗ってくるというもの。

 すると目の前に見知った顔が見えた。サッカー部の先輩たちだ。

 一輝はと少し意地の悪い笑みを浮かべ、背後からこっそり近付き、彼らの袖を引っ張った。

 そしてこちらに気付いた先輩たちにニコリと意味ありげに微笑み、もじもじしながら悪戯っぽい笑みを浮かべ、ツンツンと小突く。


「っ!? え、え、え、え、えっと、きき君は……?」

「お、おい誰か知り合いか?」

「そもそも女子の知り合いいねーよ!」

「…………ぽー」


 先輩たちの顔がみるみる驚きから照れと羞恥の赤へと染まっていく。

 その様子が可笑しくて堪らなく、一輝はくつくつと肩を揺らしながらネタバラシをした。


「先輩、僕ですよ。海童です」

「っ!? 海童、マジか!」

「おいおい、その顔で声が男だから脳がバグる!」

「うぇ、オレのドキドキ返せよ!」

「あはは、どうです? 中々のもんでしょ?」

「あぁ、それはまぁ……正直男にしておくのがもったいないくらいには」

「ていうかどうしてそんな恰好を?」

「うちのクラスの出しモノですよ。女装キャバクラやるんです」

「なんだそりゃ? 随分とイロモノ……てわけじゃなさそうだな」

「くそ、当日冷やかしにいくからな!」

「キレイどころを揃えて待っていますので、是非」

「っ! おいやめろ海童、シナを作るな!」

「わかってても、心臓に悪い!」

「変な扉が開きかける!」

「あははっ!」


 そんな抗議の声を聞いてその場を離れる。

 イタズラは大成功だった。

 他にも目が合った女子生徒を見つめながら微笑んで赤面させたり、チラチラと視線を投げかけてくる男子生徒に流し目を送って恥ずかしそうに顔を逸らさせたり、たまに噂をしている輪に飛び込んでは「男ですよ」と言って驚かせたり。

 そんな反応が返ってくれば、自信も付いてくるもの。宣伝の目的も果たせただろう。

 そろそろ教室に戻ろうかという時、今度は目の前にみなもの姿が見えた。


「あ、みな――」


 声を掛けようとして、途中で言葉を呑み込む。

 どこを見ているかわからない眼差しに、地に足がついていないかのような足取り。少しばかりの厭世を滲ませた空気を背負っており、どうしてか一輝の胸をざわつかせる。

 そしてやけに見覚えがある姿だった。

 直感的に中学時代の孤立した自分に重ねてしまい、胸に手を当てる。

 何かあったのだろうか? 踏み込むべき? そうだとして、自分に何が出来る?

 一瞬そんな弱気が顔を出すものの、今まで彼女に助けらられたことを思い返す。

 放っておけるわけがない。

 それにこんな時、友人隼人たちならどうするかだなんて決まっている。

 一輝はきゅっと唇を結び、少々強引にみなもの手を取った。


「あの、みなもさん!」

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