256.キミが


 熱気を掻き分けるかのようにして、校舎の外へ。

 教室から見えた記憶を頼りに、彼女が向かって行った先へと足を向ける。

 高倉柚朱を見たのは校舎の裏手だった。

 校舎裏手には特に何かあるわけじゃなく、ただ閑散としている。

 隼人は周囲をキョロキョロ見渡しながら早足で彼女の姿を探すも、そもそも人影さえみつからない。せいぜい窓越しに見える準備に沸く教室か、フェンスの外に広がる住宅街。

 足を止め、徒労だったかなと「ふぅ」と息を吐き、ガリガリと頭を掻く。

 らしくないことをしている自覚はある。

 そもそも彼女を探したところでなんて声を掛けていいかわからないし、どんな顔をすればいいかわからない。

 改めて辺りをぐるりと見回すも、誰の気配もなかった。

 もはやここに居ても意味はなく、教室に戻るべきなのだろう。

 けれど、見てしまったのだ。

 見てしまった以上ここで彼女に関わらないというのは、かつてのはるき・・・、そして今のみなもを見捨てるのと同じだと思ってしまって。

 ふぅ、と大きな深呼吸を1つ。

 彼女、高倉柚朱のことはよくわからない。

 当然だ、交流も何も1つないのだから。

 だけど、はるき・・・のことならわかる。わからないものか。

 ジッと目をつぶって考えてみる。

 他に誰も頼る相手がいないとき、行くところ。

 素のままになれる、喧騒から離れた避難場所、他の誰にも邪魔をされない秘密基地。

 そのことを意識して周囲を見回せば、あるものに気付き、呟く。


「……非常階段」


 内部とは大きな鉄扉で隔絶された、緊急事態に使われる非常経路。

 校舎へばりつくように設置された非常階段は、ぱっくりとその入り口を開けている。

 それはまるでかつて約束を交わした月野瀬の末社秘密基地にも似ていて。

 なんとなく言葉にはできないが、ここに彼女がいるという確信があった。

 隼人は僅かばかり胸の内に残っていた躊躇いを、ごくりと喉を鳴らして呑み込み、踏み込んだ。

 びゅうびゅうと少し冷たい秋風が吹きすさぶ中、武骨なコンクリートの階段を上がっていく。

 文化祭準備の熱狂に沸く喧騒は遠く、一段一段上るごとに眼下に広がっていく街並みに目をやれば、まるで崖登りをしているかのよう。

 やがてその頂へと続く階段の踊り場に至れば、はたしてそこに高倉柚朱の姿があった。

 手すりに肘を乗せ、風に長い髪をなびかせながら、どこか遠くを見つめる様は、さながら手折ることを許さぬ凛と佇む高嶺の花。

 可憐で気高く、しかし周囲に振り撒く香りは冷たく鋭利な寂寞せきばく

 まるで声もなく、泣いているかのようにも見えた。

 もしかしたら、あの頃のはるき・・・もこうして泣いていたのかもと思ってしまって。

 自分勝手なエゴは百も承知。

 ただ、気に入らないだけ。

 隼人はわざと大きな足音立て、声を上げた。


「ここ、風が強いっすね」

「っ! あなたは……」


 そんな当たり障りのないことを言って階段を登り、なんてことない風に高倉柚子から少し離れた手すりへ肘を預け、彼女に倣って目の前に視線を移す。

 眼前に広がるのはただ見慣れた変哲もない街並。

 特に何かあるわけじゃない。

 そして特に何も見ていないのだろう。

 おそらく、見ていたのは己が心のうち。


「……」

「……」


 気まずい空気が流れる。

 当然だ。ここは彼女の領域テリトリー

 隼人はそこへ土足で侵入した招かれざる客。

 柚朱はさぞかし居心地が悪いのだろう、もどかしげに身動みじろぎし、訝し気な視線をぶつけてくる。

 そもそもこれは衝動的なものだ。話す言葉が見つからないのもある種、当然。

 会話の取っ掛かりに何かないものかとポケットを探れば、あるものが指先に触れた。


「飴、舐めます?」

「……へ?」

「俺、このラムネ味のシュワッとするやつ好きなんすよね」

「え、あ……」


 そう言って柚朱に押し付けるようにして飴を渡した隼人は、自分の分をぽいっと口の中へと放り込む。柚朱もそれに倣う。

 2人して無言でコロコロと口の中で飴玉を転がす。

 今度は何とも言えない困惑とした空気が流れる。

 飴玉はただ思い浮かべては消えていく言葉のように、もどかしげにしゅわしゅわと泡沫のように舌を刺す。

 そして隼人はハタと自分の失敗に気付く。

 ――口の中にモノを入れていたら、話なんてできないではないか。

 眉間に皺を刻む。

 柚朱も険しい顔を作っている。

 そういえば身近には居ないが、苦手な人も居ると聞く。それから先ほど彼女が体育館で声を張り上げ熱演していたことを思い返す。

 隼人はしまったとばかりの表情で、恐る恐る尋ねた。


「あー……やっぱノド飴の方が良かったっすかね?」

「え?」

「ほら、さっき舞台でいっぱい声出してたし」

「……」

「……」


 隼人の言葉に目をぱちくりとさせる柚朱。

 あれ、違ったかなとバツの悪い表情になる隼人。

 互いの探るような視線が絡むことしばし。


「ぷっ。ふふっ、あははははははっ!」

「せ、先輩!?」


 ふいに柚朱は堪らないとばかりに笑い出した。

 突然の予期せぬ流れにオロオロするだけの隼人。

 ひとしきり笑い目尻の涙を拭った柚朱は、まじまじと隼人の顔を興味深そうに覗き込んでくる。

 高倉柚朱は隼人たち1年の間でも度々噂に上がる有名人だ。

 くっきりとして華のある目鼻立ち、スラリと均整の取れたプロポーションに凛とした居住まいは、まさに羞花閉月しゅうかへいげつ

 そんな彼女に迫られる形となってしまったのならば、さしもの隼人もドギマギしてしまう。一歩後ずさり、目を泳がせる。

 するとそんな隼人を見た柚朱は愉快気な声で歌うように囁いた。


「キミが霧島隼人」

「……え?」

「あら、違ったかしら?」

「いやその、どうして俺の名を?」

「それは一輝くんの友達・・だからよ」

「あぁ」


 柚朱はこれ以上の説明が必要かしら、とばかりに曖昧に笑う。隼人も苦笑を零す。

 どうやらお互いに自己紹介は必要ないようだった。

 とはいうものの初対面。今まで接点があったわけでなく、一輝を通じて知っているだけ。

 柚朱は小首を傾げ、不思議そうな声色で訊ねてくる。


「それで、私に何の用かしら?」


 彼女からしれば、至極真っ当な問いかけだろう。

 しかし隼人は「うっ」、と言葉を詰まらせてしまった。

 咄嗟の行動だったのだ。それにこれといった理由はなく、考えたところで気の利いた言葉が出てくるわけじゃない。

 彼女の瞳に情けなく狼狽える自分が映り、「ふぅ」と自らへの呆れたため息を1つ。観念して正直に話すことにした。


「特に何も。ただ、なんとなく」

「え?」

「その、何て言うか……重なったんだ。表で平気なフリをしていた、昔の友達に。だからほっとけなくなって、気付いたらここに居たんだ」

「……随分自分勝手な理由なのね」

「俺もそう思いますよ」

「それで、飴」

「あれはその……何をどう言っていいかわからなくて」

「ふふっ」


 隼人が取り繕うように言い訳を紡げば、柚朱は可笑しそうに肩を揺らす。

 気恥ずかしさから頬を掻く隼人。

 すると柚朱はふいにスッと目を細めた。


「一輝くんが変わったのは、やっぱりあなたのおかげなのね。特にここ、最近のは」


 その言葉に隼人は秋祭りの時の一輝を思い返し、小さく顔を左右に振る。


「いや、そんなことないっすよ。一輝が変わったのは、本人が変わろうと一歩踏み出したから。俺は何もしていない」

「……やっぱり、何かあったのね」

「ん、殴り合いのケンカをした」

「け、ケンカ!? いつ、誰と!?」

「秋祭りの時、中学の因縁の相手たちと」

「…………そぅ」

「一輝もバカなことしでかすところがあるから、ほっとけないんすよね。ま、そういうところ嫌いじゃないけど」

「……」


 そんな言葉を受け、顎に手を当て思案にふける柚朱。

 いきなり黙りこくった彼女に、何か妙なことを言ったかなと眉を寄せる。

 隼人が反応に困っていると、やがて柚朱は「ふぅ」と大きなため息を零し、隼人に背を向けた。


「一輝くんは過去にケリをつけて歩み出したのね」

「そう、なりますかね」

「だから、本当に好きな人が出来た、と」

「……………………は?」


 思わず素っ頓狂な声が出た。

 一輝が好きな人。

 秋祭りで自分たちに思った以上に大好きだと言っていたが、それではないだろう。

 もしかして文化祭の準備で気になる人が出来たと思ったが、かぶりを振ってしまう。

 どれだけ思い巡らせてみても、該当する人は思い浮かばない。

 隼人の戸惑いを感じ取った柚朱は振り返り、フッと小さな笑みを浮かべ、眩しそうな目で焦がれるように呟いた。


「あなたとはもう少し早く出会いたかったわ。……それじゃ」

「先輩……っ」


 柚朱はその言葉だけを残し、呆気に取られる隼人を後にするのだった。

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