255.パンケーキ


 校舎に戻ると、春希の歌の練習は終わったようだった。

 1-Aに続く人の流れはなく、皆それぞれの教室で作業に没入している。

 隼人はそれらを目にしながら自らの教室に向かう。

 すると、あることに気付く。

 先ほどまでと違い、やけに熱を帯びた空気が流れているのだ。それだけでなく自分たちも負けていられない、もっと良いものを作ってやる、といった色も帯びている。

 きっと春希の歌に触発されたのだろう。

 そんな意気込みが各所から伝わってきて、隼人は無意識のうちに感嘆のため息を零す。

 そして教室へと戻った瞬間、こちらに気付いた鶴見が駆け寄り手を掴まれた。


「霧島くん、待ってた! 私たちもやろう!」

「え、えっと何を?」

「メニューだよ! 吸血姫カフェで出すやつの詳細、決めちゃおう!」

「お、おぅ」


 どうやらやる気に火を点けてしまったのは、鶴見たち調理班も同じようだった。

 他のメンバーも彼女の背後で「あんなの聞かせられたらヘタなの出せないよ!」「ブリギットたんにふさわしいメニューにしなきゃ!」「しっかり練習もしたいし、まずは何を作るか決めたい!」と気炎を上げている。

 隼人は急かされるように、教室の一画にあるテーブルへ。

 そして始まるメニュー会議。

 とはいえ前回の会議で方向性は大体決まっており、調理のしやすさ、どれくらいの手間がかかるのか、提供にかかる時間などを加味した実務面でのすり合わせがほとんだ。

 ほどなくして各種ドリンクの他、パンケーキとワッフルに決まる。生地はプレーン、チョコレート、抹茶。トッピングは生クリーム、カスタード、餡子やフルーツといったスイーツ系と、ハム、卵、レタス、トマトといった総菜系。どちらもサンドイッチにすることも出来るように。

 組み合わせはかなりのバリエーションになるだろう。そこも売りにするつもりだ。

 すると次に問題となってくるのは必然、実際の調理はどうするか。

 鶴見はうーんと腕を組んで唸り、隼人に訊ねる。


「ね、霧島くん。ワッフルは型があるからいいとして、やっぱりパンケーキって焼くコツとかあるの? ふんわりさせるには、とかさ」

「そんな難しいものじゃないし、普通に焼けばいいだけだと思うけど」

「いやいやいや、それは料理できる人にとってはそうかもだけどさ。あ、そうだ! ちょっと実際に作って見せてよ」

「へ、今ここで?」

「そうそう、丁度器具に材料もあるしさ」


 鶴見がそう提案すれば他の皆も同調し、「あ、それいい!」「ホットプレート用意してくる!」「卵と牛乳って家庭科室だっけ?」「いや、量が多いから食堂で間借りしてる」「ひとっ走りもってくるよ!」と盛り上がり、とても断れる雰囲気じゃない。

 隼人は苦笑をしつつ「わかった」と呟き、降参とばかりに両手を軽く上げた。

 そしてあっという間に準備が整っていく。

 作り方を皆に見せるという名目があるので、急遽つくられたスペースよく目立つ。

 当然、調理班以外の人たちから一体何事かと手を止め興味津々な目を剥けてくる。

 こうして注目を集めるのは、転校してきた時以来だ。さすがに少しばかり気恥ずかしく、それらを追い払うためコホンと咳ばらいを1つ。

 幸いにしてパンケーキは姫子に頼まれ何度か作ったこともあり、レシピは頭の中に入っている。

 そういやホットケーキと何が違うのかって聞いたら怒られたっけ、と思い返し調理を始める。


「まずは生地を作っていきます」


 ボウルに卵と牛乳を入れてかき混ぜていると、「はい!」と鶴見が声と共に手を上げた。


「霧島先生、どうしてそっちから作るんですか?」

「あぁ、確かにお好み焼きや水溶き片栗粉は粉と一緒だよな」

「例え方がおかん!」

「ははっ。粉を後から入れるのは、あまり混ぜ過ぎないためなんだ。やりすぎるとねばねばになっちゃうからね。多少ダマが残ってぼってりしてるくらいで丁度いい」

「う、こうなんか全部なくなるまで混ぜたくなる……」

「まぁ気持ちはわかる。で、これお玉で掬ってちょっと高いところから落とすと、均一に広がりやすい」

「わぁ!」


 隼人がホットプレートに生地を落とすとふわりと甘い香りが広がり、教室中のいたるところからほぅ、とため息が漏れる。

 期待の籠もった視線が集まる中、調理は進んでいく。


「っと、ぷつぷつした気泡が出来てきたら裏返すタイミング……よっ、と。後は火が通れば出来上がり。ジッと見てたら膨らんでいくのがわかるよ」

「どれどれ…………わ、本当だ!」

「美味しそう! これお店で出せるんじゃない?」

「ばっか、これを模擬店で出すって話だろ!」

「あ、そうだった! 霧島、すごいね」

「お、おぅ」


 そうした賞賛の声を掛けられれば、こそばゆい感じはするものの悪い気はしない。

 隼人はへへっと鼻の下を擦りながら、調理班に向かって言う。


「よし、そんな難しいものじゃないし、とりあえず焼いてみようか」

「「「おーっ!」」」


 そう促せば、皆は一斉にパンケーキ作りに取り掛かる。

 しばらくして各所から切羽詰まったような声が上がった。

 やれ卵の白身がなかなか切れないだとか、混ぜる粉の量はこれくらいでいいのだとか、生地が不格好に伸びてしまうだとか。

 隼人はそれらに対し、回すのでなく左右に動かすだけの方がほぐれる、計量カップで規定量を入れよう、型を使って流し込めば簡単だのと、あちこち飛び回って応えていく。

 やがて最初はおっかなびっくりだった鶴見たち調理班の面々も、いくつか試作を作るうちに慣れてきたのか、様になってくる。いち早くコツをつかんだ者は、基本のプレーンだけでなくチョコレートや抹茶生地に挑戦したりも。

 次第に教室は甘い香りに包まれていった。

 どこからともなく、いくつかのぐぅというお腹の音が響く。

 その時ふと春希と目が合えば、スッと恥ずかしそうに顔を逸らされる。

 どうやら音を奏でた1人らしい。隼人の頬も自然と緩む。

 やがて想定していた練習分の材料が尽きた。

 調理班のメンバーは思い思いに「こんなもんか。不安はあるけど、あとは家で焼いて練習するよ」「私も毎朝焼くよ、家族に実験台になってもらう!」と感想を言い合う。

 そんな中、鶴見がパンッと手を合わせてこちらにやってきた。


「ありがと、霧島くん。色々助かった!」

「そりゃよかった。てか、そんな難しくなかっただろ?」

「霧島くんの教え方が良かったからだね!」

「あはは、どういたしまして」

「それは……むぅ……」

「……鶴見、さん?」


 訝し気にそう返すと、鶴見はまじまじと顔を見やる。

 こうして幼馴染春希と沙紀姫子以外の女の子に見つめられた経験はない。

 隼人は堪らないとばかりに気恥ずかしさから後ずさると鶴見はすぐさま詰め寄り、にんまりと少し意地の悪い笑みを浮かべた。


「霧島くんってさ、料理だけじゃ裁縫もお手の物だよね。こないだ衣装班の子がさ、裾の処理で戸惑ってたら颯爽と現れて祭り縫いを教えてくれたって言うし」

「ま、まぁ手縫いだと度忘れすることあるしな。それに些細なことだし」

「あはは、そうやってさり気なく手助けしてくれるところあるよね。うんうん、きっといいお嫁さんになれるよ。っていうか私とかどう? うちに嫁いでくれない?」

「……へ? 鶴――」

「ダメ」

「――春、希?」「おやおやぁ?」


 するとその時、春希が声を被せてくる。突然のことだった。

 春希も衝動的に言ってしまったのだろう。目をぱちくりとさせている。

 それを見た鶴見はますますと笑みを深め、今度は春希の顔を覗き込む。


「どうして?」

「どうしてって、えっと……」

「もしかして二階堂さんも、霧島くんをお嫁に欲しかった?」

「そ、それは……」


 詰め寄られ、たじたじになる春希。

 周囲を見回せば、他の女子たちもにやにやと微笑ましく経緯を見守っている。

 う゛っ、と困った様子の春希と目が合うも、隼人もどうしていいかわからない。

 やがて目を泳がせた春希はあるものに気付き、「んっ」と喉を鳴らし鶴見に向き直った。


「ほら、隼人くんは皆のお母さんだから、独り占めしたらダメですよ」

「おぉ! なるほど、それもそうか」

「それにほら、見てください。たくさん出来上がってるパンケーキをお母さんがいつおやつとして振舞ってくれるか待ってますよ? ね?」

「っ!? お、おぅ……」


 強引な話題転換だった。

 しかし調理班以外の皆にとっては、目の前で作られるパンケーキにお預けくらっているのだ。

 だから春希がそれを指して周囲を煽れば、「さっきからずっと美味しそうな匂いっで!」「試食って必要だよね!」「たくさんあるし、捨てるわけにはいかないよな!」といった声が上がる。

 その様子を見た鶴見は「うっ!」と唸って一歩後ずさり、困った顔を向けてきたので、隼人は苦笑を1つ。

 はぁとため息を吐いた後、皆に向かって大きな声を上げた。


「みんな、とりあえず試食と処分を兼ねて1人1つがノルマな! どれが当たるかはご愛嬌ってことで!」


 言うや否や「おおお!」「やったぜ!」「霧島わかってる!」「任せとけって!」といった歓声が上がった。

 それらにすかさず反応した接客班が、春希の歌と時と同じように列を作らせ整理にあたる。

 自体が収集していく様を見て、ほっと息を吐く春希。そしてちゃっかりと先ほど鳴ったお腹を押さえつつ列に並ぶ。

 そして隼人はこの原因を作った鶴見と目が合えば、てへっとばかりに舌先を見せた。

 隼人は勘弁してくれとばかりに肩を落とし、あからさまなため息を1つ。


「……うん?」


 それはきっと、ほんの偶然だった。

 視界の端、窓の外から1人、人の目を避けるように校舎の外れをとぼとぼと歩く女子生徒――高倉柚朱の姿を捉える。

 普段なら、さほど気に掛けなかっただろう。彼女とは面識がないのだから。

 そもそも一輝の一件で一方的に知っているだけ。

 むしろ、もし話しかけられたとしても困るだけだろう。

 それでも――どうしてか彼女の姿がかつてのはるき・・・、そして先日のみなもと重なる。重なってしまった。

 ギリッと奥歯を噛みしめ、拳を握りしめる。

 ちらりと春希を見てみれば、恵麻や鶴見と先ほどのことについて盛り上がっている。

 それらを見て逡巡するも一瞬。

 隼人は気合を入れるようにピシャリと両頬を叩き、パンケーキに沸く教室を飛び出した。

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