258.相談があるんだ


「え、えっと……?」


 みなもの目が驚きで大きく見開かれたと思ったら、どんどんと困惑の色に染まり視線を泳がせる。

 一輝はそんなみなもの反応に戸惑うも、すぐさま今の自分の姿に気付く。


「あーその、海童一輝、です」

「え……えぇっ!? ど、ど、どどどどうしてそんな姿、っていうか本当に一輝さんなんですか!?」

「本人だよ。うちのクラスの出し物、女装キャバクラだから、それで」

「へぇ……すごいです。確かに声が一輝さんなんで、色々混乱しちゃいますね。見た目だけじゃ完全に別人だとおもっちゃいました」

「ふふっ、さっきサッカー部の先輩たちに会ってね、見事騙されてくれたよ。あの時の顔といったら! ちょっとクセになったかも」

「まぁ!」


 互いに顔を見合わせ、くすくすと笑う。

 こうして話してみると、みなもはいつも通りに見える。

 取り立てて変わったところはなく、先ほどのことは一瞬、勘違いかと思ってしまう。

 しかしこうして近くで顔を合わせれば、誤魔化しているものの僅かに目元を陰らせている隈があり。何かがあったのかを示していて。

 当然ながら、彼女が何かあったのかという心当たりはない。

 深刻な事情なのだろうか?

 一輝が踏み込んでいいものなのだろうか?

 そうした躊躇いがないかと言えば嘘になる。

 これまでの一輝なら、なぁなぁにしてここで退いていたことだろう。

 けれどみなもは、一輝にとって大切な友人だ。今まで何度も相談に乗ってもらっていたではないか。

 だから今はもう、みなもを放っておくだなんて選択肢はない。

 しかしどう切り出したものか言葉を探せども、なかなか見つからなくて。


「……一輝さん?」

「っ! え、あぁその……っ」


 すると、そんな考えが表情に出てしまっていたのだろうか? しばし黙りこくっているとみなもが小首を傾げ、気遣わし気に顔を覗き込んでくる。

 言葉を詰まらせる一輝。

 咄嗟に思い浮かぶのは、『慣れない格好で疲れちゃったのかも』『当日、同じ姿だと新鮮味がないから別の方がいいかな?』といった、その場を穏便に取り繕う言い訳ばかり。まったく、自分が嫌になる。

 だけどこんな時、隼人ならなんて言うだろう?

 あの決して口が上手いとは言えず、だけど打算や裏表がなくて、そして真っ直ぐに、時に強引に自分の気持ちをぶつけてくる彼ならばきっと――そう思った一輝は胸の奥底に在ったものを、心のままに言葉として形作った。


僕の・・の相談に乗ってもらえないかな?」

「え? 相談、ですか……?」

「っ!? あ、うん、ちょっと、ね……」


 自分でもビックリだった。これでは逆ではないか。

 咄嗟に被ったいつもの仮面も苦笑いに歪む。

 しかしみなもは驚きから何度か目を瞬かせた後、ふいに真剣な面持ちで目を細め、スッと一歩詰め寄り一輝の耳元で囁いた。


「もしかして、例の応援したい人と何かありましたか?」

「っ!? ……えっと、それは」


 予期せぬ言葉で図星を突かれれば、思わず動揺が顔に出てしまう。

 そういえばみなもには何度も姫子のことで相談していたではないか。

 彼女がそのことに思い至るのは当然といえる。迂闊だった。


「場所、変えた方がいいですよね?」

「……うん、そうだね。助かる」


 しかしみなもと話をするという目的を果たせたのは、なんとも皮肉だった。



「ここは……」

「ふふ、穴場でしょう? 鍵が壊れてるんですよ、ここ」


 そう言ってみなもは、少し眉を寄せて笑う。

 旧校舎の階段前に積まれている机を乗り越え、やってきたのはその屋上。特に何かあるわけでもなく殺風景で、周囲を囲むフェンスには錆も浮いている。

 文化祭準備の喧騒も遠く、どこか物悲しい場所だった。

 みなもは慣れた様子で、そこが定位置だと言わんばかりに学校と街がよく見渡せる一画へと歩いていく。

 それは如実に彼女が頻繁にこの場所へ足を運びたくなることを抱えていると表していて、ぎゅっと一輝の胸が締め付けられる。

 しかしみなもはそんなことを顔にはおくびにも出さず、一輝の顔を気遣わし気に覗き込む。


「それで、何があったんですか?」

「それは……」


 言葉を詰まらせる一輝。

 姫子のことで何かがあったのは確かだ。それで胸に澱のようにわだかまっているものがあることも。

 だがとても心の繊細な部分である。それを話すことに躊躇いがないといえば嘘だ。

 しかしそんな一輝の葛藤をよそに、みなもはただ一輝の身に起きていることを心配そうに瞳を揺らす。

 どうしてかだなんて明白だった。友達だからだ。一輝自身、そうではないか。

 そこまで思ってくれている友達に、隠し事のように秘しておくだなんてできやしない。

 ふぅ、と大きな深呼吸を1つ。

 一輝は少しばかりの気恥ずかしさと、しかし確固たる決意が滲む声色で、苦々しく胸の内を零す。


「気付いたら、好きになってしまったんだ」

「…………ぇ?」


 みなもは目を大きく見開く。

 それを見て一輝は困った顔で続ける。


「とても大切な人で、友人で、応援したいというのも本当だよ。だけどこの間、他の男が無理矢理彼女の手を掴もうとした時だったんだ。汚い手で触るなとか、誰かにとられるくらいならいっそとか……そんな身を焦がすような想いに支配されてしまったんだ……」

「それって……」

「好きだという気持ちを認めてしまってからは大変だったよ。自分が自分じゃなくなってしまったように思い通りにならないし、胸の中ではいつ暴発してもおかしくない感情がずっと渦巻いている。初めてのことだからね、自分でも振り回されてばかりさ」

「…………」


 一輝が自嘲気味に肩を竦めれば、みなもは瞳の色を驚愕、狼狽、思惟へと変えていく。

 みなもは胸に手を当て目をしばたたかせたながら、一輝の顔とフェンスの向こうへと彷徨わせる。

 やがて少し俯きながら何かを考えた後、パッと顔を上げ両手を胸の前で握りしめながら前のめりになって言う。


「一輝さんはその、少し不器用なところがありますが、友達思いで誰かのことを親身になれる素敵な人です。だからその人に伝われば、きっと……っ!」

「それは、できないよ」

「え、どうして……」

「彼女は今、とても大きな問題を抱えてるんだ。恋愛になんて割く心の余裕なんてないだろうし、僕はそれを応援したい。それに彼女には異性として意識されてないからね、何とも思っていない相手から想いを向けられて困るということはわかってるつもりさ」

「それは……」


 そう言って一輝が諦観混じりの顔でかぶりを振り、曖昧な笑みを浮かべる。

 そもそもこれは既に自分の中で答えが出ていることだ。

 だから別にみなもに何か言って欲しいわけでなく、相談ではなく愚痴でしかない。

 なんとも言いようのない空気が流れる。

 実にみなもも困っていることだろう。

 しかしこちらを見つめてくる彼女に、何か違和感を覚えた。


「……」

「……」


 責めるわけでもなく、もちろん同情するわけでもなく、何かを言うわけじゃない。

 みなもはただ目を逸らすことなく、その瞳には懇切の色を湛え、まるで「それだけですか?」と問いかけているかのよう。

 不思議な瞳だった。

 そして何かが見透かされているみたいだった。

 ごくりと喉を鳴らす。何かが暴かれていくような感覚。

 じくりと痛む胸に手を当て、まだ他に話していない大切なことがないかと思い巡らす。


(…………ぁ)


 ふいにあることに気付く。気付いてしまう。

 それはともすれば幼稚で、恥ずかしく、痛々しいもの。

 しかしみなもの真摯な眼差しに当てられれば、言わない方が不誠実な気がして。

 一輝はそっと目を逸らし顔をくしゃりと歪ませ、沈痛な面持ちで告解した。


「……本当は、怖いんだ」

「怖い、ですか?」

「もし想いを告げて失敗して、ぎこちない空気になって距離を置かれたり、もう二度と今の良好な友人関係にすら戻れなくなることが、堪らなく怖い……」

「一輝、さん……」


 情けない話だ。

 そのことを認めてしまえば、途端に自分が姫子の気持ちがどうだとか、理由を付けて尻込みしているだけに見えてくる。

 なんて滑稽で意気地なし。

 さぞかし、みなもも呆れていることだろう。

 そう思って一輝が向き直るのと、みなもがぎゅっと抱きついてくるのは同時だった。


「え、ちょっ!?」

「それは怖いですよね。大好きな人に相手をされなくなったり、嫌われたりするのは、とても怖いものですから……」

「みなも、さん………」


 そう言ってみなもはさらに腕に力を込める。いきなりの行動だった。

 彼女はまるで一輝を包み込むかのようにも縋りつくように見えて、なんともちぐはぐ。

 みなもとしても咄嗟の行動だったのだろう。その声は自分への驚愕で震えており、しかし直感的に彼女が心の奥底に抱えているものを吐き出そうとしているのだとわかった。わかってしまった。

 一輝は意識を切り替える。スッと背筋を伸ばし、ちゃんと話を聞きたいと、力になりたいという意思を込めて、優しくみなもの肩に手を置く。

 顔を上げたみなもと視線が絡む。

 しばしの沈黙。

 一輝がこくりと頷くと、みなもは泣きそうな顔で笑みを湛えながら、悩みを打ち明けた。


「私、大好きなお父さんに嫌われちゃったんです」

「えっ!? ど、どうし――」

「私が、本当の娘じゃなかったから」

「――……ッ」


 あまりにもの想定外のことに絶句する。頭の中が真っ白になってしまう。

 にわかに信じられないが、身を離したみなもの目尻に光るものが真実だと雄弁に語っている。

 思考はぐるぐると空回り。

 掛ける言葉なんて見当も付かない。

 ドラマやゴシップなどで、世間ではそういった複雑な家庭があることは知識として知っている。

 だけどそれを現実として目の当たりにした一輝の許容範囲を明らかに越えていて。

 唖然とすることしばし。

 するとみなもは申し訳なさそうに睫毛を伏せ、目を逸らた。


「……すいません、いきなりこんな重い話、迷惑――」

「――ッ!」


 それは先日、姫子も口にしたものと同様の言葉。

 一気に我に返る。

 一輝にとってみなもも友達で、特別だ。

 今まで彼女にどれだけ救われてきたことか。

 それ以上自らを傷付ける言葉を言わせてはならないと、咄嗟に腕を掴み言葉を被せた。


「僕はっ! 僕は絶対にみなもさんのことを嫌いにならないからっ!」

「ふぇっ!?」

「その、うまく言えないけど、ここに1人たとえ何があっても味方になる人がいると、覚えておいて欲しいんだ!」

「は、はいっ!」


 一輝の勢いに気圧されたのみなもは、目をぱちくりさせてこくこくと頷く。

 何が出来るかはわからないけれど。しかしそれは、一輝の偽らざる本音だった。

 すると一輝の想いは正しくみなもに伝わったのだろう。みなもの顔から次第に暗いものが取り除かれていき、ホッと息を吐く。

 しばらくそのままでいると、どんどんみなもの顔が紅潮していくことに気付く。

 そこで初めて一輝は、自分がみなもに迫っているかのような体勢になっていることに気付き、慌てて手を離して距離を取る。


「ご、ごめん、急にその……っ」

「か、一輝さんにそんな情熱的なところがあるだなんて、びっくりです」

「あの、これは勢いでというかっ」

「大丈夫ですよ。ほら、ちゃんと好きな人がいるってわかってますし」

「うぐ、それは……っ」


 揶揄われた一輝が頬を染め身を捩らし、それをみなもがくすくすと笑う。


「こうしてみると一輝さん、まるで恋する乙女みたいですね」

「み、みなもさん!?」

「ふふ、あはははははっ」

「……はははっ」


 そして一輝とみなもは顔を見合わせ、この陰鬱な空気を吹き飛ばせとばかりに声を上げて笑った。

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