93.それは知らなかったけど
その後、すぐにマンションを出た。姫子には適当に言い訳をして。
最寄り駅から電車で2駅。
まだまだ陽射しは強く、少しでも涼を求め大通りの街路樹に寄り添うようにしながら病院を目指す。
「ん~案外近いね、と言っても徒歩はちょっとな距離だけど。あ、自転車ならアリじゃない?」
「それだけど来月誕生日だし、どうせなら原付の免許取ろうと思ってる。まぁ中古だとしてもバイト探さないとだが」
「あ、そういや高1だし、ボクたちもうバイト出来――ってちょっと待って、隼人って来月誕生日なの!?」
「おう、8月25日だ」
「もう、そういうことは早く言って……よ、ね……」
「すまん……って、春希?」
不意に隣を歩く春希の足が止まる。
どうしたことかと振り返れば、困った顔で苦笑を零している。
「ん、ボクさ、そんなことも知らなかったんだなって」
「……そういや俺も、春希の誕生日知らないな」
「3月14日だよ。随分先だね」
「姫子と同じ早生まれか。アイツは1月7日だ」
「そっか、姫ちゃんも早生まれなんだ」
おもむろに再び歩き出すも、どうにも気の重い空気だった。
そんな隼人と春希を白亜の巨大な建物が見下ろしている。
時折無言の2人の横を、車とバスが通り過ぎ病院へと吸い込まれていく。
そして門を間近に控えた時、隼人は足を止めガリガリと頭を掻いた。
「あーそのなんだ、誕生日は知らなかったけど、春希が開けるのが下手なくせにラムネが好きなのは知っている」
「……隼人?」
「他にも負けん気が強くてゲームにのめり込むと身体ごと動かすのも知っているし、虫や動物を見かけるとふらふらと追いかけるのも知っている。最近は横断歩道の白い部分だけを踏んで渡ってるのも知ったな」
「み゛ゃっ、み゛ゃっ、み゛ゃっ!?」
春希の顔はみるみる赤く染まっていった。
隼人は眉に皺を寄せつつ真剣な表情で、なおも自分の知る春希の子供っぽいとも言える部分をあげつらっていく。そして春希はますます赤くなる。
「他にも源じいさんの羊小屋で――」
「ストーップ! もういい、もういいからわかったからっ! それを言ったらボクだって隼人が川の上の岩に飛び乗ろうとして滑って落ちたり、ガムを調子に乗って膨らませ過ぎてべちゃっと割れて顔や前髪に張り付けたこととか、最近学校でスマホでスーパーの特売調べてることとか知ってるんだからね!」
「ちょっ、おま、春希っ?!」
今度は隼人が慌てる番だった。
そして頬を膨らませた春希と目が合えば、互いにぷっと笑いが転び出る。
「ははっ、そのなんだ、ガキの頃なんて誕生日とかよりも毎日どうやって遊ぶかの方に夢中だった」
「ふふっ、そうだね。これから知らなかった部分を埋めていけばいいよね」
「あぁ、これからはずっと一緒なんだしな」
「…………」
「……春希?」
「隼人ってさ、時々すごい不意打ちしてくるよね」
「は?」
春希はいきなり不満混じりの声を漏らしたかと思えば、ぷいとばかりに顔を逸らし、小走りで病院の門をくぐる。
突然の春希の態度に隼人は何か可笑しなことを言ったかと訝しむが、振り返った時のその顔はいつも通りだった。
「行こ?」
「あぁ」
◇◇◇
病院のロビーは嘘臭いほど広く明るく清潔で、隼人はムッと眉をしかめた。
休日の大病院は見舞いに訪れる人が多いのか、血色の良い人ばかりが目に入る。
「こっちだ」
「う、うん」
慣れた足取りで受付に向かう隼人に対し、春希は物珍しいのかきょろきょろとせわしなく周囲をうかがっている。
隼人は素早く手続きを終えて面会用ストラップを受け取ると、いつもの流れでエレベーターの方に向かおうとし、足を止めた。春希の方へと振り返れば、どうしたものかと隼人と受付の方へと視線を彷徨わせている。
「っと悪ぃ、そこの面会簿に名前を書いて、見舞い用のストラップをもら――」
「隼人ってさ、
「っ! それは……」
「とりあえず手続きしてくるね」
「……あぁ」
事実を指摘され、隼人はガリガリと頭を掻く。この件に関しては姫子の事情も絡むので、何と言っていいかわからない。
しばらくしてストラップと共に戻ってきた春希は、そんな隼人の顔を真っ直ぐに覗き込む。そしてふわりと笑う。
「もしさ、それを話して隼人の心が軽くなるならさ、遠慮なくボクを頼ってよ。一緒に悩んで背負ってあげるくらいはできるからさ、ね?」
「……その時は頼む」
「約束、だよ?」
そして小指を差し出してきた。
軽い口調に反しその目はやけに真剣で、真正面から隼人に立ち向かってくるものだった。
隼人はその気迫に呑み込まれるかのように小指を絡ませる。そして春希がふふっと笑い声を零せば、ドキリと目が離せなくなる。
心の中はぐちゃぐちゃだった。
姫子が見舞いを避けていることだとか、繋がっているのが小指だけなのが物足りないだとか、そんなことがぐるぐる巡る。やがてその場で立ちっぱなしで、周囲に邪魔になっている事に気付く。
「…………行こう」
「うん……あーちょっとボク緊張してきた」
そして絞り出すように声をだし、百面相になっているだろう顔を見せまいと、背を向けようとした時のことだった。
「どうして君がここにいるんだ!?」
「え……痛っ」
「春希?」
聞き覚えの無い声が隼人の思考を切り裂く。
どうした事かと振り返れば、見知らぬ男性が並々ならぬ剣幕で春希の腕を掴んでいるのが見える。
誰だ? 一体何が? 隼人はそんなことに考えるよりも先に身体が動いてしまっていた。
「おい、あんた春希に何をするっ!」
「隼人っ!」
「っ!」
パンッ! と乾いた音が周囲に響き渡る。
隼人は過剰なくらい力を込めて春希を掴む彼の手を払いのけ、そして掴まれていたところを上書きするかのように掴んで自分の方へ庇うように抱き寄せる。威嚇して唸るようにこぼれ出た声色は、春希が驚くほど低かった。
改めて相手を見る。
見知らぬ男だった。
涼し気な印象を受ける端正な顔立ちで、スラリと背も高く目を引く美丈夫だが、年の頃は1回り以上は離れていそうだ。30かそこいら、それ以上か、もしかしたら2回り以上離れているかもしれない。どちらにせよ、見るからに同世代ではない。
まじまじと観察する隼人、そして春希も眉をひそめ小さく首を傾げる。
「いやその、僕は……」
訝しみ、睨みつけるかのような隼人の視線を受けた彼は、そこでようやく自分のしたことに驚いているようだった。
慌て動揺する様は、どうやら彼としても衝動的な行動だったらしい。
「春希、知り合いか?」
「うぅん、知らない人」
そうして春希が首を横に振れば、男性は瞠目し、そして申し訳なさそうな、しかしやけに真剣な顔で頭を下げた。
「すまない、人違いだった。その、雰囲気がよく似ていて……急に手を掴んだことを許してほしい」
「う、うん、ボクは別にそのっ……あ、頭を上げてくださいっ!」
男性は顔を上げると、控えめではあるが観察するかのように春希を眺め、そして口の中で何かの言葉を転がした。
「そうか……ありがとう」
そして何事もなかったかのように足早に去って行く。
(……何だってんだ?)
隼人はそんな彼の後姿を怪訝表情で見やっていた。何だか自分でもわからないが、彼の事が無性に気に入らなかった。思わず春希を掴む手に力が籠る。
「……隼人?」
「っ! 悪ぃ」
そして春希が心配そうな顔で見上げてくれば、抱き寄せ密着していることに気付き慌てて身を離す。
「あっ……うぅん、何でもないならいいけど」
少しだけ切なそうな声が聞こえたのは気のせいだろうか? 隼人は纏まらない頭をガリガリと掻き、そして先を促す。
「……行こうか、6階だ」
「うん」
そして今度こそ背を向け歩き出した。
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