92.どんなのが好き?


 まだまだ太陽が高い位置にいる昼下がり。

 その後、伊織が彼女の伊佐美恵麻に呼び出されたのを機に解散となった。


「ただいま」

「あ、おにぃ」

「おかえり、隼人」


 隼人が家に帰るとリビングには、姫子だけでなくそこにいるのがさも当然とばかりに春希も居た。テーブルの上には教材が広げられており、姫子と一緒に試験勉強をしているようだ。

 集中力が切れかかっているのか机の上で溶けてだらけている姫子と違い、隼人に気付いた春希は、すかさずワンピースのスカートの裾を気にして居住まいを正す。

 そして「えへへ」と笑みをこぼし、今までと違う普通の女の子っぽい反応を見せられれば必要以上にドキリとしてしまい、ついつい不満気な声色で誤魔化す様に言葉を吐いた。


「あーその、気になるんなら、もっとダラけてもいい恰好にすればいいのに」


 春希の服装は、夏らしく襟ぐりの大きく開いたシンプルながらもスカート部分のティアードが可愛らしいワンピースだ。

 姫子のキャミソールに短パンというよそ様にはお見せ出来ない姿や、いつぞやの家で披露されたセンスのかけらもないダサいものとは大違いである。


「ん~、ボクさ、今までそういうとこ全然だったでしょ? だからそういうところも頑張ろうと思って」


 そういって春希は立ち上がり、どうかなと言いたげにくるりと身を翻す。

 長い髪と短いスカートの裾がふわりと舞い、危うげに足の付け根を晒す。

 そんなものを見せられた隼人は慌てて赤面する顔を逸らしぶっきらぼうに答えるも、春希の顔はえへへと笑顔だった。なんだかしてやられたと思ってしまい、眉間に皺も寄る。


「っ! 別に……あーその、悪くないんじゃないか?」

「それよりもおにぃ聞いてよ、はるちゃんってば絶対変だよ」

「ひ、ひめちゃんーっ!」

「っ!? な、何がだ?」


 だからいきなり姫子からそんなことを言われると、動揺から声が上ずってしまう。

 当の姫子はそんな隼人の様子に気付いたことなく話を続ける。


「だってさ、数学教えてもらってたらどこにも2なんてないのに『ここのnは2を代入して』とか言ってくるんだよ。しかもそれで答えは合ってるし、余計にわけがわかんなくなっちゃう」

「あーわかった、みなまで言うな。それ、学校でもそうだったから」

「は、隼人もーっ!」


 勉強に関して春希は、独自の嗅覚ともいうべきものが優れている。だから時に色んな過程をすっ飛ばして答えを導き出す。特に理数系は顕著だ。春希は人に勉強を教えるというのが壊滅的に下手だった。

 隼人は最近放課後の教室とかで、三岳みなもや伊佐美恵麻といった女子達と勉強会を開いているのを思い出す。


 春希に問題を聞くも上手く教えられず、それを周囲が逆に分かりやすく教えるにはと問題をかみ砕くので、結果的に勉強が捗るいう奇妙な構図が出来ていた。春希は肩身を狭そうにしているが周囲の反応は悪くない。しかし下級生の姫子には随分と不評の様だ。


 唇を尖らせ拗ねる春希をよそに、隼人はくつくつと喉を鳴らせば、なんとかいつもの・・・・の調子を取り戻す。

 ならば今のうちにと思い、伊織や一輝に頼まれていたことを切り出した。


「なぁ、試験後の予定って決まってるか? みんなでプールに行かないかって誘いがあるんだが」

「ぷ、プール!? プールってその、泳いだりするあのプール?」

「はい! あたしウォータースライダーやりたいです! 浮き輪やボートで下るやつ!」


 2人の反応はそれぞれ顕著だった。

 驚き、そしてどこか歯切れの悪い春希に、もはや事前に調べていたとしか思えない自分の望みを述べる姫子。


「あーその姫子、俺も誘われた方だから他にも俺の学校の奴も来るんだ。俺はいいけど……その、いいのか?」

「うっ、それは……ちょっと考える……」

「それから春希、嫌だとか都合が悪いとかなら無理していかなくていいぞ。俺の方から断りを入れておくし」

「ええっとその、イヤとか予定があるというわけじゃないのですけれどね」

「……春希?」


 ちらちらと隼人の様子をうかがう春希の顔は、やたらと赤かった。

 長い髪の毛先をくるくると弄び何かを言い躊躇ためらうその姿は、どう見ても恥じらっているようにしか見えない。


『俺は恵麻の水着姿が見たい。隼人は二階堂の水着姿、見たくねぇの?』


 ふと、伊織のそんなセリフを思い出す。そして伊佐美恵麻が恥ずかしがっているということと、他に女子が行くということも伝えていないことに気付く。

 もしかしたら春希にそういう風に受け取られたかもしれない。

 隼人は慌てて弁明しようと向き直れば、どこか意を決して見上げてくる春希と目が合った。


「お、泳げないの……っ」

「はる…………え?」

「そのボク、カナヅチなのっ!!」

「そ、そうなのか」


 そういえばと思い出す。

 確かに月野瀬に居た頃はよく川遊びをしたことがある。

 渓流を転がる岩に登って飛び降りたり、サワガニを探したり、タモを持ってイワナやアユをを追いかけまわしたりで、泳ぐということはしていない。そもそも泳げるような場所でもなかった。


 隼人は意外そうな顔で春希を見つめ返せば、「わ、悪い!?」と言いたげな顔で、ぷいっと俯き加減で顔を逸らされ唇を尖らせる。

 そんな拗ねた顔を見せられれば何だか可笑しくなって、自然と春希の頭に手が伸びた。そしてあやす様にぐりぐりと撫でまわす。


「ほら、泳ぐばかりがプールじゃないだろ? 浮き輪で浮かんで流されたり、飛込やスライダーだって楽しそうだし」

「それは泳げる人だからだよ……大体さ、カナヅチって恥ずかしいじゃん」

「何なら教えてやろうか?」

「お、言ったね? じゃあボクは人体は決して水に浮くように出来ていないってことを教えてあげよう」

「アホか」


 隼人と春希のじゃれ合うようなやり取りを見ていた姫子は、ジト目でむくれて唸り声を上げる。

 人見知りの激しい姫子は、兄の級友に混じってついていくというのは中々にハードルが高いらしい。


「うぅ~、2人して盛り上がっちゃってさ、もぅ!」

「悪ぃ悪ぃ」

「まぁでも水着の問題もあるんだよね。あたし、ちゃんとしたの持ってないや」

「あ、ボクも持ってない」

「俺も月野瀬の学校指定のしか持ってないな」


 さすがの隼人もそんなものを着て行くつもりはない。

 とはいえ、変に悪目立ちしなかったら何でもいいやという程度だ。最悪当日プールで買えばいいと思っているが、女子としてはそうはいかないらしい。


 姫子と春希も困った顔を浮かべながら思案し、スマホで検索をかけ始める。

 隼人はそんな2人を見て目を細め、自分の部屋に戻ろうと背を向けると、くいっと春希にシャツの裾を引かれた。


「ね、隼人はさ、どんなのが好き?」

「す……っ!?」


 不意にそんなことを聞かれれば、思わず大きな声を出しそうになり、無理やり驚きと共に飲み込ませる。一気に頬が熱を帯びていくのがわかる。


「ピンクの可愛いのとか、黒のちょっと大人っぽいのとか、どういうのがいいかなーって」

「ばっ、そ、そんなのわかるわけねぇよ! つ、月野瀬には学校のプールしかなかったし……っ」

「あはは、そっかぁ……じゃあ当日楽しみにしてくれるようなの選ぶね」

「お、おぅ……」


 それは暗に参加するという事を告げていた。隼人はガリガリと頭を掻いて了承する。

 水着姿の春希がどんなのか見たいと思う一方で他の人に見せたくないという思いも渦巻き、だけどこの胸のざわめきが心地いいとさえ思ってしまう。不思議な感覚だった。


 そして春希は、依然としてシャツを掴んだままで、何やら少し様子がおかしかった。

 少し困った顔を浮かべ隼人と姫子の顔を交互に見やり、何かを言いにくそうにしている。


「春希……?」


 訝し気にそう尋ねれば、まなじりを決して頷き、そして唇を隼人の耳に寄せて呟いた。


「あの、ボクも隼人のおばさんのお見舞いに連れて行ってもらっていいかな……?」

「っ! それ、は……」


 それは完全に不意打ちだった。

 隼人は驚き目を見開き、そして春希の胸の内を探るかのように眺め回す。

 その視線をどう受け取ったのか、春希は顔色を次第に曇らせ、そしてぽつりと謝罪の言葉を零す。


「……ごめん、そういうのって家族以外は無理だという場合もあるよね」

「っ! あぁいや、違う。突然の事で驚いただけで、その……見舞い自体は全然問題ない。誰かに伝染るようなもんでもないしな」

「じゃあボクも行ってもいい?」


 隼人が慌ててそうではないと取り繕えば、春希はずずいと前のめりになって目を覗き込んでくる。

 そんな射貫くかのようにまっすぐで、綺麗な色を湛えている目を向けられれば、ドキリとしてしまうのも無理はない。

 隼人は騒めく胸中を悟られまいと目を逸らせば、テーブルの上で溶けている姫子の姿が飛び込み、そしてため息を一つ。


「ボクさ、もっと隼人やひめちゃんのことを知りたいんだ」


 そんなことを言われれば、隼人の答えは1つしかなかった。


「……わかったよ」

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