3-2
91.勉強会と頼み事
天道の一番高いところでは、夏の太陽が燦々と自己主張することに余念がないお昼時。
都会の駅前は単線の月野瀬とは違って大きく人通りも多い。休日ともなれば尚更だ。野菜の無人販売所の代わりに様々な店も建ち並んでおり、隼人はそこにあるファミレスの中に居た。一輝と森も一緒である。
「あーもう、onとかinとかatとか、前置詞の使い分け意味わかんねーっ!」
「ははっ、もしかしたら日本語を習ってる人も『てにをは』に似たようなことを思っているのかもね」
「俺はコップを想像して、氷の上にかけるからon、梅干しを入れるとin、水で割るとwithって覚えてるな」
「へぇ、そうやって絵にして思い描くと分かりやすい、というかそれって……」
「ま、田舎では宴会によく駆り出されてたからな」
「なるほど、隼人くんらしいね」
談笑する隼人たちの目の前には教材が広げられている。いわゆる勉強会だ。
きっかけは今朝、森からの連絡だった。
隼人は最初ファミレスに長時間居座ることに抵抗を覚えたのだが、あまり混雑していないことと他にも似たような客がいること、そして空調もしっかり効いてドリンクも飲み放題ともなればすぐさまその利便さに飲み込まれていった。
「くぅ、肩凝った! そろそろ一息入れね?」
「そうだね、伊織くん。何か甘いもの頼もうか」
「んー、かれこれ1時間半か。じゃあ俺は何にするかな――」
隼人は妙にご機嫌だった。友人と一緒にわからないところを聞いたり教え合うということが、どうやら思った以上に楽しいらしい。
それに場所も快適だった。値段も高校生のお財布事情にやさしい設定である。
(これ、姫子に勧めてみるのもありかもな。それに春希、も……)
隼人は受験生でありながらすぐにテレビを見たりスマホを弄る妹を想い、くつくつを喉を鳴らす。そして当然春希も一緒にとまで考えを巡らせた時、急に頬が赤くなるのを自覚した。
最近どうにも調子が悪い。
今のようにふとした時に春希の事を考えると、どうにも胸が落ち着かなくなる。
「……っ、なんだよ?」
「いや、別にぃ~?」
そして隼人は一輝と森が自分を見ていたことに気付く。
どういう顔をしていたかは彼らのにやにやした目元が雄弁に語っており、気まずさからガリガリと頭を掻いてアイスティーを口に含む。
「隼人くんはさ、二階堂さんと一緒に勉強したりテストの点を競ったりとかしないのかい?」
「ぶぐっ!? ……げほっ、けほけほっ……一輝っ!」
そんな言葉を掛けられれば隼人が
その一輝はと言えば、にこにこと揶揄からかうというよりかは微笑ましいものを見守るかのような顔をしている。
森は2人のやり取りを見ながら、やれやれとばかりにズズッとコーラを飲みほした。
「ほんと、いつの間に仲が良くなったのやら」
「森、これは一輝が――」
「それ。一輝。オレは森。ん~、結構経つのにオレだけ何か仲間外れだ」
「と言われてもな」
「てわけでこれからは伊織な、隼人」
「も……あぁわかったよ、伊織」
そう言って伊織がにへらと笑顔を見せれば、何が楽しいのか一輝のにこにこ度が増す。
隼人はこのどうにもすわりの悪い状況から意識と視線を逸らそうとするも、伊織がそれを許さない。
「でさ、オレにもコレがどういうことなのか教えてくんない? 隼人もさー、随分洒落っ気出してんじゃん」
「っ!? これ、は……」
そして隼人は自分に向けられた伊織のスマホの画面を見て、息を呑んだ。
映し出されていたのは映画館前で姫子に怒られ詰め寄られている隼人の姿。かなり親密さを感じさせる距離感である。兄妹だから当然だとは言え、事情を知らないものが見たらどう思うものか?
伊織がそれをどういう経路で入手したかはわからない。だがあれだけの人がいたのだ、春希か姫子の知り合いの誰かが撮っていてもおかしくはないだろう。
眉を寄せた隼人は、チラリと事情を知っている一輝に視線を投げるも、まるで「いいんじゃない?」と言いたげな笑顔でうんうんと頷くだけである。
はぁ、と少し恨めし気なため息を吐く。そういえば貸し・・もあったなと思い出す。
隼人は観念したとばかりに、興味津々な様子の伊織に向き直った。
「そいつは姫子、俺の妹だ」
「妹ねぇ……あれ待てよ、二階堂はその子のこと幼馴染って触れ回ってなかったっけ?」
「……そうだよ、俺と春希も幼馴染なんだよ」
「はぁ、なるほどねぇ」
隼人は不貞腐れたかのようにぷいと顔を逸らし、頬杖を突く。
そして伊織はにやにやしたままスマホに視線を戻し、愉快気に言葉を続ける。
「隼人もさー、普段から髪とかちゃんと弄ればいいのに。これとかなかなか決まってんじゃん」
「知らねーよ、大体その日は妹が無理矢理セットしたんだよ。普段の姿で隣を歩くなって」
「もったいねーな」
「へいへい」
隼人はそんな伊織の話を受け流しながら、そろそろ勉強の続きに戻れとばかりにシャーペンを手に取れば、それまでにこにこと見守っていただけの一輝が爆弾を落とした。
「僕もその辺はしっかりした方が、二階堂さんも彼女として鼻が高いと思うよ?」
「か、彼女じゃねぇっ!!」
ダンッとばかりに机を叩き、思わず立ち上がり大声を出す。その拍子にベキリとシャーペンが悲し気な音と共に折れてしまう。
そして客数が少ないとはいえ周囲から一斉に視線を集めれば、ごほんと誤魔化すように咳払い、隼人は色んな意味で顔を赤くしながら席に座る。
「隼人、お前ら付き合ってなかったのか」
「付き合うわけないだろ、春希とは単なる幼馴染なんだから」
「でもオレ、幼馴染の恵麻と付き合ってるぞ?」
「っ、それは……」
伊織は驚きつつもさぞ不思議そうな顔で口走れば、隼人は眉を寄せながら口ごもる。一体、普段どういう風に見られているというのだろうか。
春希と付き合う。
隼人は今までそんなことをちらりとでも考えたことの無いことだった。むしろ考える事すら許されないとばかりに意識したことがない。
だからこうして指摘されると、胸にいきなり生まれたこそばゆく焦れる感情を、どうしていいかわからなくなってしまう。
そんな隼人の様子を見ていた一輝が、すこし意地の悪い色を滲ませた言葉を重ねていく。
「僕が言うのもなんだけどさ、二階堂さんってかなりの美人だよね」
「……それは誠に遺憾ながら、認めざるを得ない客観的な評価ではあるな」
「うかうかしていると誰かに取られちゃうかもよ?」
「そんなこと……っ!」
「そんなこと?」
「……何でもねぇよ。ほら、勉強に戻るぞ」
「ははっ」
再び大声を出しそうになった隼人は、残りのアイスティーと一緒に胸で渦巻く苦いものと一緒に無理矢理飲み込んだ。
一輝はやれやれと言った様子で肩をすくめ、伊織は少しこまったような複雑な顔で呟いた。
「うーん、そうなると隼人に頼みづらくなるな……いや、却って好都合なのか」
「何がだよ?」
「試験が終わったらみんなでプールに行こうぜってお誘い。隼人には二階堂を誘って欲しいんだ」
「プール?」
「恵麻が1人だと恥ずかしがって渋っててさぁ、ああいうところだからナンパとかも気になるし。俺は恵麻の水着姿が見たい。隼人は二階堂の水着姿、見たくねぇの?」
「っ!? いや、その……別にどうでも。まぁなんだ、誘えば来ると思う」
「そっか、じゃあ頼んだ」
そういって伊織はにへらと笑顔を零す。その顔は少しホッとした色をしている。
「面白そうだね、僕もご一緒させてもらってもいいかな? 二階堂さんに伊佐美さんならその、
「もちろん大歓迎だ。大丈夫って……あぁ、なんとなくわかった」
「飢えた男子や女子と一緒なのはもうコリゴリでさ」
「モテ過ぎるというのも大変なんだな」
隼人は了承したものの、その胸中は複雑だった。
水着姿の春希――それを少しでも想像すると、先日部屋で居合わせたときの半裸の春希が脳裏をよぎってしまう。そしてどうしてか、そんな春希を他の人に見せたくないという独占欲染みた想いが胸を焦がす。
(ああ、くそっ!)
赤くなったり渋くなったり忙しなく顔色を変える。
隼人は自身のその百面相を、一輝がにこにこと、伊織がにやにやと見ているのには気付かないのであった。
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