90.あれ、もしかして?


 都会と違い空気の澄んだ月野瀬の夏の夜空には、幾多の星々が瞬いている。

 そして地上では煌めく天に負けじとカエルたちが鳴き声を上げていた。


「うぅぅ~……」


 お風呂上がりできっちりと肌を磨き上げた沙紀は、寝巻代わりの浴衣姿で神妙な顔をしながらベッドの上に正座をしていた。

 スマホを前にそわそわと落ち着かない様子の沙紀の胸は、外のカエルや星々と同じように騒めいている。


 その原因は先ほど連絡をくれた姫子のメッセージ。


『今おにぃにアプリ入れさせてるからさ、20分後くらいに顔を出すよー』


 どうやら先日頼んだグループチャットのお誘いに成功したようだ。

 だから慌ててシャワーを浴びて正座待機をしているのだった。


 嬉しい反面、少し怖い。何を話していいかわからない。

 自分から提案したことのものの、今になってこれでよかったのかと自問自答を繰り返す。頭の中はぐるぐるしている。


 だが現状で良いハズがなかった。せっかく連絡先を交換したにもかかわらず、何も話せていないのだ。

 そもそも友達の兄という間柄は近いようで遠い。異性ということもあって接点が微妙に重ならない。

 だから話すきっかけを上手くつかめず手をこまねいている……それが現状だった。それを変えたかった。


(ひ、姫ちゃんと一緒ならきっと……っ!)


 グループチャットならば親友と同じ場に混ざる。

 それに兄妹間の何気ない話にそれとなく参加すれば、今より交流する機会が増えるかもしれない。


 沙紀は期待と不安が入り混じった顔で、ぎゅっと浴衣の裾を握りしめる。


「っ!!」


 その時スマホが通知を告げ、沙紀はとっさに飛びついた。


『てすと。霧島隼人です。これでいいのか?』


 画面にデフォルト設定の無機質なアイコンとそんな文面を確認すれば、すぐさま返事を書き込んでいく。


『村尾沙紀です。大丈夫です、ちゃんと出来ていますよ』

『よかった。こういうの初めてでな』

『私もですよ。姫ちゃんくらいしか相手がいませんでしたし』

『はは、月野瀬は人がいないからな。でもよかったのか? 俺てっきり村尾さんに苦手だと思――』


 その文面を見るや否や沙紀の顔が焦りに染まる。かつてない勢いで指先が動いていく。


『誤解ですそんなことありません私が口下手なだけです、お兄さんとは些細なすれ違いですだからこそのコレなんです!』

『そ、そうか。なら改めてよろしくな、村尾さん』

『こちらこそよろしくお願いしますね』


 なんとか誤解を解けたかなとホッとため息を吐いていると、見慣れた顔のアイコンが飛び込んできた。


『はー、やっとアイコン決まった! どうよ!?』

『あはは、姫ちゃんばっちりメイク決めてるね。自撮りなんだ?』

『姫子……なんか部屋でごそごそしていると思ったら……そういや村尾さんのアイコンはどこかで見たような……』

『うちの神社で売ってるお稲荷さんのお守りです』

『なるほど、どこかで見た気がしたんだ。こうしてみると愛嬌があって可愛いな、それ』

『……そうですか』

『あー沙紀ちゃんのそれ可愛いよね。ていうかおにぃアイコン設定何もしてないじゃん、さっぷーけーだよ』

『と言われてもな……』


 沙紀はこれ以上なくご機嫌になっていた。

 自然と目元はにやけてしまい、にゅふふと口元も緩んでしまう。

 手に持つスマホの画面では、話し手である霧島隼人、沙紀⛩、ひめこの文字と台詞が軽快に踊りながら流れている。


 今この時も姫子が『おにぃらしいアイコンって言えばこれだよね』と宴会料理のような画像が流されている。

 それに沙紀が『おいしそうですね』と反応すれば、『これはだな』と嬉々としてレシピについて語る。


 何てことないのない会話だ。しかし自然な流れの会話だった。それは姫子の参入によって、より滑らかなものへと変化していく。これこそが沙紀の求めていたものだった。


(よ、よぉし! これからどんどんお兄さんと仲良くなっていくん…………え?)


 しかし突如、それまで忙しなく動いていた沙紀の指先が止まる。


 目の前に飛び込んだのは、料理をする隼人の画像。

 その横顔は鼻歌を歌い出しそうなほど上機嫌で、その眼差しは食べさせる人を思っているのかひどく優し気だ。

 そんな姿を不意打ち気味に見せられれば、沙紀の胸は驚きと共にキュンとばかりに締め付けられてしまう。


『やぁやぁ、面白い話をしているみたいだけど、隼人と言えばこれでしょー』


 そして画像の下にそんな言葉と共にゲームのキャラっぽいアイコンと†春希†という文字が目に入れば、沙紀の胸の高鳴りは質を変えて加速し、嫌な汗が背筋を伝う。


『春希、いつの間にこんなもの撮ったんだよ』

『あーでもわかる、おにぃといったらご飯だもんね』

『世話焼き顔してるからつい魔が差して撮った!』

『ったく……』

『で、はるちゃんこのアイコン何? 妖精ぽいけど、何かのゲーム?』

『この子はタンタカたん。ボクのやってるネトゲの自キャラだよー』


 画面では隼人の話題を軸にして盛り上がっていく。

 しかし沙紀は困惑から眺めているだけしかできない。


(え? え? 春希、さん……?! た、確かに月野瀬グループチャット作ろうって言ったけどぉ~っ)


 思わず涙目で姫子の事を恨めしく思ってしまう。


『そうそう、改めて初めましてかな? ボクは春希。昔、月野瀬に居たころはほとんど話さなかったよね?』

『え、はい。そうですね』

『ほらはるちゃん、神社前に村尾のおばーちゃんの駄菓子屋あったでしょ、そこの子なんだ』

『まぁ俺はどちらかと言えば巫女さんのイメージが強いけどな。ほらこれ』


「っ!?」


 急に話題を向けられたかと思えば、息を呑んでしまった。

 画面に流されたのは祭りの衣装を着た沙紀の姿。先日深夜テンションでポーズなり表情を作った自撮りの画像だ。そんなものを見せられれば、ボンとばかりに一気に頭の先まで羞恥で赤くなってしまう。


 しかもそれを見ているのは春希と姫子である。

 春希は同性から見てもため息が出てしまうほどの美少女であり、姫子も親友ながらスタイルが良く10人中10人が振り返るほど可愛らしいだ。

 そんな2人の前にノリノリの自分の姿を晒されるのは、拷問さながらに感じるのも無理はない。思わず涙ぐんでしまう。


『なにこれすっっっっごく可愛いんだけど!!!!』


 だから沙紀は、春希からの賞賛の言葉を理解するのに時間がかかってしまった。思わず「ふぇ?」と変な声が漏れる。


『え、まって、この髪って地毛?! 肌白っ! うわぁうわぁ、衣装も幻想的でかわいいしいいないいなー羨ましいなー……あと胸も結構あるし……』

『すごいでしょー! 沙紀ちゃん毎年これで舞うんだけど、そりゃあもう素敵なんだから!』

『い、いやその、別に大した……』

『そんなことないぞ。村尾さんの舞は俺も毎年楽しみにしている。今年の夏も見に行きたいな』


 沙紀はビックリしてしまっていた。


「あぅぅ……」


 褒められ慣れていないというのもあるが、春希から可愛いだの姿勢が綺麗だの巫女服ってどんな感じなのだとか矢継ぎ早に自分に興味を、しかも好意的に尋ねられれば悪い感情を持てという方が難しい。

 そもそも人見知りの激しい姫子親友が懐いている相手なのだ。きっと良い人なのだろう。


『ねね、沙紀ちゃん、袴ってどうやってつけるの? 難しい? 巫女服いいなぁ、女の子っぽくて。最近そういうのに興味出てきてさー』

『あ、あたしもー! 前から一度気になってたんだよね』

『何と説明したら……その、機会があれば着てみます? ええっと、お兄さんも良ければ』

『……勘弁してくれ』


 そして いつしか自然と話題も盛り上がる。隼人はどんどん加熱する女子トークに肩身を狭そうにしており、それが皆の笑いを誘う。


(春希さん、実は良い人なのかも~)


 気が付けば沙紀の懐にも、春希に飛び込まれてしまっていた。それが存外心地いいのが困りものだ。

 褒められたこともあり、沙紀はすっかり春希に絆されていくのだった。

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