89.どっち?


 隼人が家に帰ってきたのは、いつもよりかなり遅かった。

 下校時刻はとっくに過ぎている頃合いだが、夏の太陽はまだ高く、西の空もまだもう少しだけ青い。


「ただいま」

「んー、おかえりおにぃ。今日は遅かったねー」

「自分の分のカギを作り直してた。それに夕飯の買い物もしてきたからな」

「ふーん」


 家のリビングでは姫子が出迎えてくれたが、隼人の方に顔を向けることもなく返事も投げやりだった。その視線と意識はテレビ画面の方に釘付けになっている。

 映し出されているのは先日映画を見に行った作品のアニメシリーズ。きっと春希から借りたのだろう。


「……ほどほどにな」

「わかってるって」


 隼人はそんな受験生である妹の様子に呆れながらキッチンへ食材を下ろす。


(ったく、春希のやつは……)


 昼休みの事といい、1つ文句を言ってやろうと思いながら鞄と共に自分の部屋へと向かう。


「…………え?」

「…………~~っ!!??」


 そしてドアを開けた瞬間、驚き固まってしまった。


 どういうわけだか目の前には制服のブラウスを脱ぎ掛けている春希の姿。袖の片方は既に脱いでしまっており半裸の状態とも言える。思わずごくりと喉を鳴らす。

 透き通るような白く滑らかな肌、鎖骨、腰のくびれ、へそといった普段は隠されている部分は、この年頃の少女特有の蕾のごとき未成熟で危うい美しさを描いている。

 そして春希の平均より少しだけつつましい膨らみを包みこむ、先日とは違いオフホワイトにフリルをあしらった清楚で可愛らしいものが目に飛び込んでくれば、目を離せなくなるのは隼人でなくても仕方が無いだろう。


 一瞬の静寂の後、思考が再起動していくにつれ互いの顔が赤くなっていく。


「ご、ごめんっ!」


 隼人は慌てて扉を閉めて、そちらを見てはいけないとばかりに背を向けた。

 心臓はバクバクと扉越しに春希に聞こえてしまうんじゃというほど早鐘を打ち、やけに敏感になってしまった耳は衣擦れの音を明確に伝えてくる。

 脳裏には扉を閉める際に見えた、胸元へブラウスを手繰り寄せて己の身を隠そうとする恥じらう春希の姿が、焼き付いて離れてくれない。


(なんだ、これ……)


 わけがわからなかった。

 一体どうして? ここで何を? そんな疑問が沸き起こる。

 だがそれ以上に春希の均整の取れた肢体に、これでもかと異性を感じてしまい戸惑ってしまっている。


 そしてしばらくして扉が開き、春希は決まりの悪そうな顔を覗かせた。


「み、見苦しいものをお見せしました……」

「いや、べつに……着替えてたのか?」

「うんほら、制服ってなんか堅苦しいしさ、それに暑いじゃん」


 そういって春希はくるりと回る。

 いつもの制服から、裾に花をあしらったノースリーブのチュニックにふわりとしたミニスカートといった姿へと変わっている。

 部屋着の様だが、ちょっとそのへんに買い物に出かけるには十分な、カジュアルでさりげなく可愛さのある恰好だ。

 先ほどの光景もあって、余計に隼人は異性を意識してしまい、そっと目を逸らす。続く言葉がぶっきらぼうになってしまうのを自覚する。


「それはわかるが……何で俺の部屋なんだよ」

「ひめちゃんの部屋だと服とか混ざっちゃうと困るかなぁって……あ、いくつか置かせてもらったよ」

「……俺の許可は無しかよ」

「ふひひ。あ、気になるなら隼人も着てみてもいいよ?女の子・・・してみるのも案外楽しいもんだ」

「しねーよ、ていうか入らねーよ」

「隼人ってば随分大きくなっちゃったもんねー」


 そういって春希は屈託のない笑顔を見せて、つま先立ちになり自分と隼人の背を比べるように手のひらにかざす。

 隼人はそのいつもと変わらぬ言動に、自分だけが翻弄されてしまっているかのように感じてしまい、どうにもすわりが悪い。

 だからそれは、妙な対抗意識だった。

 普段なら絶対口にはしなかっただろう。


「で、今日は随分かわいいらしいものを付けてたんだな」

「~~っ!?」


 話題を掘り返された春希の顔は一瞬にしてに赤く染まり、驚き固まる。その目は大きく見開かれている。

 意趣返しに成功した隼人は、してやったりとほくそ笑むが、春希からの返事は予想外の言葉だった。


「……変、かな?」

「っ!!??」


 そして不安そうな色を顔に滲ませ弱気な感じで上目遣いで問われれば、逆に隼人の方が狼狽えてしまう。


「あーいや、そ、そんなことないぞ……似合ってる、と思う」

「そっかぁ……えとね、前の映画の時のと、ボクにはどっちが合ってるかな……?」

「ばっ……その、それはその、どっちもアレだよ、アレ」

「あ、アレかぁ……その、アレと今のコレ、どっちが好み……?」

「は、春希……っ!? いや、それは、ええっと……」


 隼人は必死に元の状態へ戻そうとするも、どうもうまくいかない。目も合わせられない。どこかもどかしい空気に飲み込まれていく。

 こんなのらしくない・・・・・と思う。

 だというのに、これも悪くないなと感じてしまうほど、隼人の何かが自覚無く重症だった。


「おにぃ、お腹空いたーって、2人とも何やってんの?」

「「っ!?」」


 突如、その空気もアニメの区切りがついた姫子によって破られる。

 隼人と春希は慌てて距離を取り挙動不審になってしまうがそれも一瞬、どうしようかと顔を見合わせ頷きあう。


「ゆ、夕飯何にしようかって話しててさ」

「そ、そうそう、ダイエットは終わったけどリバウンドも怖いしねって……ひめちゃん、何かリクエストある?」

「あたしはお肉がいいですっ!」


 それは隼人と春希だからこそ為せる意思疎通だった。そして姫子は単純だった。胸を撫で下ろす。


 再びアニメの続きへ向かおうとした姫子だったが、ふと思い出したように立ち止まり振り返る。


「そだ、おにぃにはるちゃんさ、グルチャしない?」

「「グルチャ?」」


 聞きなれない単語に隼人と春希は互いに顔を見合わせる。

 そんな様子の2人を前にした姫子は、やれやれといった顔でため息を吐き、そしてうざったいほどのどや顔を浮かべるのだった。


「グループチャット、複数人でメッセージをやり取りすることだよ」

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