94.勘違い

 

 エレベーターに乗り6階へ。

 見舞い自体何度か来ているが、春希と一緒となると少しだけ背筋が伸びてしまう。

 緊張しているのは春希も同じなのか、猫背気味にきょろきょろ周囲を伺っている。


 617――そう書かれた部屋の前で立ち止まり、ノックした。


「はーい、空いてますよって、隼人じゃない」

「……母さん」


 返事と共に扉をスライドさせるや否や、目に飛び込んできた光景に隼人は頭を押さえる。

 あちこちに散乱しているやたらと刺繍が施された生地に、手の込んだレース、そしてベッドの上の机で型紙を引いている母の姿。

 しばらく見ないうちに病室がまるで、服飾デザイナーか何かの部屋のようにすっかり様変わりしていたのだった。


「……何やってんだよ」

「いやね、リハビリがてら刺繍を始めたら思いのほかはまっちゃって……どうせならと手編みレースにも手を出したら、いっそ服も作っちゃおうかなーと」

「ったく……」


 隼人は呆れながらも散らかっていたものを片付けていく。

 手に取った刺繍とレースを見やる。どれも可愛らしく、店で売られているものとそん色ないほどの出来栄えである。

 それは、それだけ手を思い通りに動かすことが出来るということを証明しており、ホッと少しだけ胸を撫で下ろす。


「あら悪いわね。それに来るなら家の裁縫セットも持ってきてもらえばよかったかな」

「今度持ってくる、というか服でも作る気かよ」

「案外病院って暇で。どうせなら手の込んだドレスとか作っても面白そうじゃない?」

「作ってどうすんだよ、そんなもの。誰がどこで着るんだ……」

「確かに……それならいっそ、コスプレ衣装とかの方がいいわね……文化祭とかでそのうち使う機会もでてくるんじゃない? うん、そうしましょ!」

「はぁ……」


 隼人は心の中で姫子にご愁傷様と思いながら、ふと隣が静かなことに気付く。


「……あれ?」

「どうしたの?」


 ふと周囲を見回してみるも、一緒に来ていたはずの春希の姿が見えない。が、扉越しに何やら躊躇うような気配がするのはわかる。磨りガラス越しに人影が揺れている。


(……自分から言い出したのに)


 呆れながらも扉をスライドさせれば、そこで自分の長い黒髪を指先でくるくると弄ぶ春希がいた。

 隼人がジト目でガリガリと頭を掻きながら見下ろせば、春希は困ったやら気恥ずかしそうな顔で見上げてくる。一瞬、その仕草にドキリとしてしまう。


「……ぁ」

「ったく、行くぞ」


 それを悟られたくなかった隼人はぶっきらぼうに腕を取り、強引に病室へ招き入れる。


「母さん、実は今日、会わせたい人がいるんだ。ほら」

「ぼ、ボクまだ心の準備……あのその、お久しっ」

「まぁ……まぁまぁまぁまぁ!!」


 隼人に背中を押される形で前に出た春希の姿を見とめた母は、一瞬にして目をキラキラと輝かせた。

 そしてジッとはしていられないとばかりに、ベッドを抜け出しその手を掴む。


「その、思ったよりもお元気そうでよかったというか、えぇっと……」

「あらあらあら、こんなに可愛い子を……隼人、あんたやるじゃない! 隼人の母です! あぁもう、あの子ったら身だしなみとか無頓着で……でも悪い子じゃないのよ? ちょっとお節介なところはあるけれど」

「か、かわっ……ぼ、ボクはその、隼人の世話焼きなところが変わってなくて安心というかっ」

「まぁまぁ! もう名前で呼び合ってるだなんて、仲が良いのね! うふふふ、もしかしてそういうことかしら? かしらっ!?」

「待て落ち着け母さん、何か勘違いしている」


 何かが噛み合っていなかった。

 緊張からしどろもどろになっている春希は、やたらとテンションの高い母の勢いに、目を回して呑み込まれてしまっている。


(そういや姫子と初めて出会った時もこんなだっけ……?)


 隼人はどこか憶えのあるやりとりに、額に手を当てながら割って入る。


「母さん、春希だよ春希。小さいころよく一緒に遊んでいた、あの春希」

「……………………え? 春希って、あのはるきちゃん……?」

「あのそのおばさん、改めてお久しぶりですっ。二階堂春希、です……っ!」


 母の顔に理解が広まると同時に固まってしまった。

 ぎぎぎと音が聞こえてきそうな様子で隼人を見た後、まじまじと春希の姿を観察していけば、どんどんと目を大きく見開いていき、その感情を爆発させた。


「ええぇええぇぇえぇぇえぇ~~~~っ!!??!?!?」


 もはや絶叫とも言える驚きの声だった。

 さすがに隼人と春希もその驚き様にビクリとしてしまう。

 春希はどうしようと視線を送ってくるが、肩をすくめて首を振るしかできない。

 母の春希を掴む手には一層力がこもり、わなわなと肩を震わせている。


「は、ははははははるきちゃん、男の子なのにこんなにかわいくなっちゃったのーっ!?!?」

「み゛ゃっ!?」

「か、母さんっ!?」

「き、霧島さんのお母さん、何かあったんですかっ!?」


 何か盛大に勘違いをしているようだった。

 そして驚く3人の前に1人の小柄な少女が飛び込んでくる。


「みなもちゃん、ちょっと聞いて!? 隼人がね、彼女を連れてきたと思ったら実はすごく可愛い男の子でどうしよう、親としては応援すべきかしら!?」

「ぼ、ボク男の子じゃない、って、みなもちゃん……もしかして三岳さん!? うそっ!?」

「に、二階堂さん!? って、かかかか彼女っ!?」


 既に母の手によって弄られた後なのか、三岳みなものくりくりの癖っ毛は綺麗にセットされ、学校とは見違えてた姿である。春希は再び驚いて、ぐるぐると目を回している。

 そして三岳みなもは驚いたかと思えば聞き逃せない単語があったのか、キッと眉を吊り上げ隼人に迫り抗議する。


「霧島さん! ふ、二股はいけないと思いますっ!」

「はっ!? 待ってくれ、一体何の事だ!?」

「あらあらまぁまぁ!!」

「は、隼人ーっ!? どういうことかな? ボクそんなこと全然知らないんだけど!?」

「俺だって初耳だ、勘弁してくれ!」


 より一層と驚きから混沌としていく病室は、「お静かに!」と乗り込んで来た看護師長さんにこってりと絞られるまで続くのだった。

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