気に入らないや

74.不意打ち


「なぁ、まだ弄るのか?」

「おにぃ、動かないで!」


 日曜早朝の霧島家に、姫子の鋭い声が響く。

 リビングのソファーに無理矢理座らされた隼人は、かれこれ30分近く姫子によって髪をセットされていた。どうやら中々姫子の納得いく仕上がりにならないらしい。


 本日はこの間約束していた映画館に行く日だった。

 身の回りに無頓着な隼人を、「今日はあたしも一緒なんだからね!」と鼻息荒い姫子が躍起になって整えている。


 その姫子はと言えばノースリーブの落ち着いたデザインのブラウスに紺色のアシンメトリーのロングスカート。スラリとしたスタイルもあり大人びた雰囲気もあって、端から見ればどちらが年上かは分からない構図だ。


「よし!」

「……なんか変な感じだな」


 やがて姫子は満足そうな顔で頷く。

 隼人は初めてのワックスで整えられたごわごわとした髪の感覚に、少しばかり情けない声を上げる。


「さて、春希を待たせるの何だしさっさと――」

「は? 待っておにぃ、もしかしてその格好で出掛けるの?」

「へ? 何かマズイか?」

「……はぁ」


 隼人がいざ家を出ようと立ち上がれば、怪訝な顔をした姫子に変な声を上げられた。理由はわからない。きょろきょろと自分の姿を見回すが、モスグリーンのゆったりとしたシャツに黒のチノパンという至って普通の恰好だ。


 そんな困惑している様子の隼人を見た姫子は大きなため息を一つ。そして片手を腰に手を当て空いた手で指を差す。


「そのシャツ! 色は剥げかかっているし襟もよれよれ、あと袖口も擦り切れちゃってるじゃない!」

「そ、そうだな」


 一言で言えば経年劣化でボロくなっていた。さすがに姫子としても見過ごせないらしい。

 その後隼人は自分の部屋に強制連行され、妹に服を選ばれるのであった。




◇◇◇




 休日午前の駅前は、平日ほどではないものの、それでもやはり混んでいる。

 普段電車を使わない人たちも利用する為か、券売機にも数人並んでいる。隼人もその1人だった。


「ええっと、いくらだったかな……」


 月野瀬の田舎に住んで居ると、まずこうして切符を買うという習慣は身につかない。

 当然だ。自家用車が無いということは身動きが取れないと同義語で、軽トラこそが大正義の土地なのだ。

 だから隼人はわざわざ券売機の前に来てから料金表を確認し、それから財布を出す。その所作は大変もたついている。


「早くしてよね、おにぃ」

「すまん……って、姫子は切符買わなくていいのか?」

「ふふ~ん、あたしにはこれがあるからね!」


 そう言って姫子は得意気になって見せたのは、メロンのマークが特徴的なICカードだった。電車やバスだけでなくお店でも電子マネーとして使えるものである。

 どうやら隼人の知らぬ間に入手していたらしい。


「これがあればいちいち切符買うのに並ばなくていいし、コンビニでの支払いもスムーズなんだから!」


 そういって姫子はいっそうざったいほどのドヤ顔でICカードを隼人に見せつけ、改札をくぐる。


『残高が不足しています。チャージして下さい』


 そして無機質なアナウンスが鳴った。


「……姫子」

「うぅ……」


 姫子は半泣きになりながら券売機に並ぶのだった。




◇◇◇




 最寄駅から快速で3駅、電車に揺られること20分。先日春希と一緒にスマホを選びに来た時と同じ都心部、その鳥のオブジェ前。そこが本日の待ち合わせ場所だった。


 ここに来るには二度目であるが、雑多で複雑に入り組んだ駅舎を移動するのは慣れそうにない。その人混みを掻き分けて、緩慢な動きで目的地を目指す。

 隼人は家も近いし春希も一緒にどうだと言ったのだが、口元をにやりと三日月を作って断られていた。あれはロクなことを考えていない顔だった。


 待ち合わせ場所に着いた姫子は落ち着かないのか、頻繁にコンパクトミラーを取り出しては前髪を弄っている。

 隼人にとって目まぐるしく流れる人波は物珍しく、色んな人を眺めているだけで退屈はしない。


 もしあの多すぎる人波の中に入れば、埋没して溺れてしまうだなんて感じてしまう。事実、隼人と姫子は人の流れに翻弄されながらこの場にやって来ていた。


「……へ?」

「……あ」

「あ、はるちゃんだ! え、なにそれかわいーっ! ていうかあざといーっ!」


 だからその人波に居てなお目立つ少女を目にすれば、思わず変な声が出てしまう。姫子も歓声を上げている。


 春希は随分と可愛らしい恰好だった。空色の生地に花をあしらったショート丈のキャミワンピース。スカート部はティアード状になっており、ハイウェストのあたりからは左右に分かれインナーの色違いのスカートがアクセントになっている。

 それにレースのカーディガンをボレロ状に合わせたそれは、いかにも女の子というものを強調したガーリーコーデだった。しかも今日の春希は髪をツインテールにしてリボンまでつけている。姫子があざといというのも頷ける格好だ。


 少々幼く見えるものの、春希の10代半ば特有の少女のあどけなさとあやうさが引き立てられており、隼人としても驚きから目をパチクリさせることしかできない。


 そしてそれは春希も同じ様だった。


 いつもの伸びるに任せた髪や着の身着のままの服でなく、姫子の手によって丹念に手入れされたそれは爽やかな印象で、思わず春希が口を開けたままにさせてしまうほどの変貌ぶりであった。


「だ、誰だーっ!」

「誰って、俺だよ」


 先に硬直が解けたのは春希の方だった。驚きと共にズビシと隼人を指差す。


「ふふ~ん、おにぃもこうすれば中々のもんでしょ?」

「くっ、不意打ちとはっ! そうだ、隼人にはひめちゃんがいるんだった……っ!」

「あ、おい……ったく」


 春希は悔しそうに唸り声を上げる。

 そして姫子は出来の良い作品を自慢するかのように隼人を推し出せば、春希はぷくりと頬を膨らませる。


 隼人はそんな見た目同様、どこか子供っぽい反応をしている春希を見ているうちに、呆れた声を漏らした。

 そんな隼人の顔を見た春希は、一瞬何かに気付いたかのような顔を見せコホンと咳払い。そして慣れないレースとフリルに彩られた短いスカートの裾を正し、ここ最近見せていたどこか鼻につく感じの挑発めいた表情を作り迫る。


「ふふん、初手はしてやられたけど、今日のボクは今までのボクとは違うんだからね」

「そ、そうか。まぁ確かにいつもとイメージが違ってビックリした」

「実はそれだけじゃないんだなぁ~。ね、どこが違うと思う? 知りたい? 知りたい?」

「え、いや別には……」

「んん~~っ、そんなこと言って~っ! ね、本当は知りたいんでしょ?」


 今日の春希は見た目だけでなく、纏う雰囲気も随分と違う。

 有体に言って隼人はどぎまぎとしてしまっていた。自然とそっけない態度になってしまう。

 しかし春希はそんな隼人の心境が分からず、不貞腐れてその唇を尖らせる。


「ふぅん、じゃあこれを見てもそんなことを言ってられるかな~? ……えいっ」

「~~~~んなっ?!?!」


 痺れを切らした春希は隼人と姫子の前へとにじり寄り、くいっと胸元のキャミソールを引っ張って見せた。そして次の瞬間、隼人は瞬間湯沸かし器になってしまう。春希はそのどこまでも赤くなってたじろぐ隼人の姿を見て、留飲を下げる。


 チラリと隼人や姫子に見えたそれは、黒の下着だった。


 シックな感じのレースに彩られたそれは、妙な色気を漂わせる大人な雰囲気で、春希の来ている少女然とした服とは非常にミスマッチがゆえに際立つものだった。

 隼人は完全にそのギャップにやられてしまっていた。頭の中は完全にぐちゃぐちゃで、表情にそれが表れてしまっている。


 その顔をみた春希はしてやったりとばかりにほくそ笑み、姫子は隼人の心境を代弁するかのように小さく低い声を零す。



「えっっっっっろ!!!」



 春希はそんな2人の反応に満足していた。

 かつて月野瀬で悪戯が成功した時のように得意顔になり、ますます調子に乗ってしまう。そして気を良くした春希は、ここぞとばかりに隼人にうざ絡む。


「ねね、ドキドキした? しちゃった? 顔真っ赤だもんね~、ふふ、言わなくても分かるよ~。やっぱりさ、表面じゃなくて見えないところまでこだわってこそって言うの? ボクの内面からにじみ出る色気? わかるかなー、ってわかってるからこそ隼人はこんなに赤――」

「うるせーっ!!!!」

「――み゛ゃっ?!?!」


 そして煽られた隼人は赤い顔のまま、このまましてやられてなるものかとばかりに、春希の鼻を掴んで引っ張り上げた。せっかくの美少女が台無しになる酷い顔を作ってしまっている。

 言葉で返せないから、つい手が出てしまった……子供によくあるそれと、まったくの同質の理由からの行動だった。


「こ、このっ!」

「ふごっ?!」


 春希もやられてばかりにはいられない。隼人の鼻に指を突っ込み、空いたもう片方の手で耳を引っ張る。

 それは完全に子供同士の喧嘩であり、意地の張り合いだった。2人とも折角のオシャレが台無しになる無様な姿を晒していた。

 姫子はそんな兄と幼馴染を見ながら、心底呆れた表情をしてジト目で見やる。そしてタイミングを見て諫めようとした時のことだった。


「おにぃ、はるちゃん、目立つからやめ――」

「――くく、くは、あはははははは! 一体何やってるんだ、君たちは……ははははっ!!」


 突如、隼人と春希に向かって低めだがよく通る笑い声が浴びせられた。


 その声の主は心底おかしいとばかりに腹を抱えている。それは普段のどこか落ち着いている学校の様子からは考えられないような、無邪気な笑い声だった。


 だから隼人はより一層しかめっ面を作って呟く。


「…………海童」


 隼人達の視線の先には、海童一輝が腹を抱えていた。

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