73.力作だよね?


 月明りの無い月野瀬の夜は深い。

 今夜は曇りということもあり、村は墨をこぼしたような漆黒の闇が広がっている。


「うぅぅ~……」


 そんな月野瀬の山間にある神社、その住居部の一室。ため息を吐く沙紀の顔には、そんな外の闇を体現したかのような暗い表情が落とされていた。

 沙紀は受験生らしく自室の机の上にノートを広げ唸り声を上げる。そこにはいくつもの引かれた訂正線や注釈の赤文字が踊っており、いかに難問なのかを物語っていた。


『盛夏の候、隼人さんにおかれましてはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

先日お送り致しましたダイエットレシピの件、その後いかがでしょうか?

もし問題や追加が必要があるようならお申し付けください。

いくつか目星をつけて用意しているものがあります。

乱筆乱文失礼しました。   村尾沙紀』


 それは隼人に送ろうとしているメッセージの下書きだった。

 使い慣れない言葉の注釈や意味を調べるために、何度も辞書を引いたり検索をした力作だ。

 しかし悲しいかなそれはまるでビジネス文章じみており、少なくとも女子中学生が親友の兄へと送るものとは間違っても言えない。


「一体メッセージってどうやって送ればいいの~っ?!」


 沙紀は嘆きながらぐってりと机の上に伸びて涙ぐむ。

 ダイエットレシピと自撮りの画像を送ってから数日、沙紀は何度も隼人にメッセージを送ろうとしては消すというのを繰り返していた。


 月野瀬に居た頃も、沙紀と隼人にはあまり接点がなかった。

 特に同じ趣味があるというわけでもなく、せいぜい共通の話題になりそうなのは姫子くらいである。その姫子も現在は物理的に距離が離れているということもあって、何か話すようなことが起きるわけではない。


(このまま、また疎遠になっちゃったらどうしよう……)


 沙紀の胸に弱気が滲みだす。

 せっかく掴んだ隼人とのか細いつながりが、このままだと今までと同じように消えていくのは明白だった。

 しかしそれだけは許容できない。してはいけない。


『うわぁ、すげぇ! きれいなだけじゃなくてカッケェーッ!』


 かつての彼の言葉を思い出す。

 それは驚き、喜び、戸惑い、興奮、羞恥、渇望、様々な沙紀の感情を揺さぶり変革させた、魔法の言葉だった。

 自分が変われば世界が変わる。

 ただただ厳しいだけと思っていた練習の中に存在する家族のフォローやさりげない気遣いや愛情、村の人たちから期待と共に注がれる見守ってくれているという慈愛の視線。

 それらはこの言葉をきっかけに気付くようになったものだ。


 だから沙紀にとって隼人は恩人という言葉では言い切れないほどの大きな存在であり、特別な存在である。

 もっと近付きたい。だけど上手く接することのできない自分に、ほとほと呆れてしまう。


「姫ちゃんに相談……したいところだけど、お兄さんのことを好きだって言うようなものだし……あれ?」


 丁度その時、沙紀のスマホがメッセージの到着を告げた。

 差出人は姫子。今しがた親友の事を考えていたこともあって、なんだか見透かされたかのような気恥ずかしさを感じてしまう。


「一体なんだ……ろ……ン――~~~~っ?!?!」


 そして沙紀は固まった。固まらざるを得なかった。


『おにぃもさー、結構捨てたもんじゃないよねー?』


 メッセージと共に添付されていたのは見たこともない困った顔をした隼人の姿。

 沙紀の記憶の中にある伸びるに任せたボサボサの髪でなく、全体的に根本から毛先まで丁寧に流れが作られており、ナチュラルで爽やかさを感じさせる。

 更に姫子の面影があるすっきりとした顔立ちに、大きな部屋着のシャツから覗かせる鎖骨と程よく筋肉の付いた身体はほんのりと艶めかしい。


 それは朴訥とした印象だった隼人が爽やかな好青年然とした姿へと変身した画像だった。


(はわ、はわわわわ、こ、これは……っ?!)


 その画像は沙紀にとって凶器以外の何物でもなかった。

 彼女の心臓は一瞬の静寂の後、一気に加速を開始して全身を真っ赤に染め上げる。

 ただただ両手で掴んだスマホの画面を食い入るように前のめりになり、わなわなと全身を震わせることしかできない。キュンと鳴る心臓は痛いほどに喧しい。


 だから沙紀は溢れ出す情動のまま、姫子に通話せずにいられなかった。


『あ、沙紀ちゃん? どう、見てくれた? おにぃもさ、ちゃんとすれば結構見られ――』

「け、けしからんっ!」

『――け、けし? さ、沙紀ちゃん?!』

「……あ、いや、そのぅ……」


 随分と大きな声を出してしまった。

 衝動のまま叫んだことで少し冷静さを取り戻した沙紀はコホンと咳払い。そして気になったことを聞いてみた。


「い、いきなりでビックリしたよ~。で、でも一体どうして急にこんなことになっているのかなぁって……」


 先ほどとは打って変わって語尾はどんどん小さくなっていく。

 よくよく考えれば沙紀の知る隼人はオシャレには無頓着である。興味があるそぶりも見たことがない。

 それなのに何故急に色気づいたのか? いやな想像ばかりが浮かんではぐるぐると頭の中を駆け巡る。


『あーそれね、今度おにぃと一緒に映画に行くんだけどさ、隣に居るのがダサいのとか嫌でしょ? だから弄ってみた。我ながら力作だよねー』

「そ、そうなんだ。ビックリしたよ~、えと、なんていうかその、カッコいい、です」

『ほぅほぅ、沙紀ちゃんのお墨付き貰えるとは。あ、おにぃにも教えてやろっと。なんか微妙な顔してたからさぁ』

「え、えぇぇえぇ~、わざわざいいよぉ~っ」


 しかし姫子から事情を聞けば今度は一転、安堵と共に思わず飛び出たカッコいいという言葉に照れが広がっていく。

 今夜の沙紀の心境は色々と忙しなくて仕方がないようだ。


『でもおにぃが持ってる服っていまいちなものばかりなんだよね。既存のに合わせるか……あ、そういや他にも髪を弄ったやつあるんだよね。おにぃ画像のおかわりいる?』

「っ!!」


 その質問は沙紀にとって答えは1つしか存在しない。

 色んな髪型の隼人――それを想像するだけで沙紀は軽く興奮状態になってしまい、だから階下からの受験勉強をしていると思っている母親からの声には気付かなかった。


「沙紀~、お夜食作ったわよ~」

「おかわりもお願いしますっ!!」

「さ、沙紀?! おかわりも?!」


 ――その後、夜中にお腹を抱えながら2人前の鍋焼きうどんを食べ終え、「ごちそうさま」と半泣きになった沙紀の姿があった。

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