44.この新たな環境で、確実に訪れた変化
都会の夕陽は田舎の月野瀬と違い、山ではなくてビルを赤く染める。
「ばいばい、姫子ちゃん」
「じゃねー、霧島さん」
「そんじゃまたー」
「うん、皆また明日ね」
幹線道路から住宅街へと入る道、大きなコンビニがある前で、姫子はクラスメイト達と別れて帰路へと着く。
早めに点ともされた数多くの街灯は辺りを照らし、都会の道は姫子の知る夕暮れよりも随分と明るい。
しかし、その足取りは少しだけ重かった。
(今日も食べ過ぎちゃった……うぅ、美味しいけど単価高いんだよね……)
姫子はお腹をさすりながら足を緩慢に動かす。
その理由は、コンビニスイーツにあった。
月野瀬でお菓子と言えば、個人が趣味でやっているとしか思えない個人商店で、日持ちしそうな駄菓子ばかりが置いているだけである。
ただでさえ甘いものに対する耐性が低い姫子にとって、その誘惑は抗えるものではない。ちなみに鳥飼穂乃香をはじめ、姫子のクラスメイト達が面白がって、あれもこれもと勧めていたりもする。
その結果、姫子のお小遣い事情は大変厳しいものとなってしまっていた。
「はぁ、ただい……ま?」
「おぅ、おかえり」
「…………おかえり、ひめちゃん」
そんな姫子であるが、家に帰ると同時に首を傾げることとなった。
どこか困った様子で野菜を切り刻む隼人と、真剣な顔でソファーで胸を隠すようにクッションをもって三角座りをする春希。2人の間には、どこか不穏とも言える空気が流れている。
ちなみに春希であるが、しっかりと靴下は脱いでおり、胸を隠すと言っても正面から見れば、ばっちり下着が見えてしまう程度のガードの緩さだ。姫子の口から変なため息が漏れる。
「えーと……はるちゃん、これは一体どうしたの?」
「ひめちゃん……隼人はケダモノだったんだよ……」
「……は?」
どうしたことかと尋ねてみれば、返ってきたのは深刻そうな顔で、ギュッとクッションを抱きしめる春希の言葉である。
そんな幼馴染の姿を見せられると、一瞬にして姫子の冷静な部分は吹き飛ばされてしまう。
もちろん、姫子は普段の2人の関係を知っている。仲の良い幼馴染だ。だからこそ、この身を守るかのような春希のリアクションも気になるし、そして普段通り夕飯を作っている兄という状況がわからない。色々なことを考えてしまって目を回す。
「も、も、も、もしかして揉まれたの?! おにぃがケダモノってそれ?! はるちゃん結構あるよね?! あたしもちょっとだけ触っていい、ていうか御利益下さい?!」
「ひ、ひめちゃん?! 違うよ、ボクじゃなくて園げ――ひゃん、そこお腹ーっ!」
「こら、何やってんだ姫子、やめとけ」
いったいどう解釈したのか、暴走しだした姫子は春希のソレを確かめようと襲い掛かる。
さすがに見ては居られないと隼人が引っぺがすが、その目は半ば本気のモノであった。
「半分……いや3分の1でいいから分けて下さい!」
「む、無理だよーっ!」
隼人はますます眉間に皺を寄せて、大きなため息を吐くのであった。
◇◇◇
「ははぁ、なるほどね。おにぃが女子の胸をねぇ」
「それはもう、すごい鼻の伸ばしようだったんだよ」
「……勘弁してくれ」
夕食時の話題、それはひたすら春希と姫子による隼人弄りであった。
既に姫子の誤解も解けており、また春希も、先ほどまでと違ってその声は
隼人もそれが分かっているのか、肩身を狭そうにしつつ苦笑い。
今日のメインは茄子を小さく角切りしたものをひき肉と一緒に炒め、ニンニク、舞茸、青唐辛子と一緒に醤油、みりん、オイスターソースと少量の味噌で甘辛く味付けした、変則的なマーボーナスとも言うべきものだった。
白米との相性も抜群で、隼人は自分の分を皿に取り分けず、直接ご飯にかけて丼にすると、春希と姫子もそれに倣ってばくばくと食を進めている。
「そういや、はるちゃん、その子ってそんなに大きいの?」
「う~ん、小柄な子だけど、ボクより2ランクは上かな?」
「な……っ、ただでさえあたしとはるちゃんで2ランクは離れているというのに?!」
「あはは、正直ボクもそこに目が行っちゃってたんだよね」
「むぅ、それは仕方がないね。おにぃ、許します」
「……はいはい、話してばっかでなくて、ちゃんと飯も食ってくれよ」
「「はーい」」
そんなこんなで食べ終えて一服し、春希も家に帰ろうかという頃にはすっかりいつも通りに戻っているのであった。
隼人が食器の洗い物をしている間、姫子に負けず劣らず我が物顔でごろごろとリビングで転がっている。
(あー、そういうこと)
姫子は春希の心境を悟る。
昼間の件で何かしら拗ねてしまったのだろう。だから仲直り、というか普段通りに接するきっかけが欲しかっただけに違いない。姫子はまんまとそれに乗せられていたわけだ。
「はるちゃんって、素直じゃないよね」
「い、いきなりどうしたの、ひめちゃん?」
「べっつにー?」
姫子が呆れたように言いつつ隼人の方に目を向ければ、春希は見透かされたとを感じたのか、何かを誤魔化すように身支度をし始めた。
「あー、うん、帰らないとね。今日もご馳走様でした、と」
「おぅ、おそまつさま」
「はるちゃん……」
よっこいせと身体を起こし、もそもそと脱ぎ捨てていたハイソックスを履きだす。
そんな春希の姿を見ながら、先程の話を思い出していた姫子は、ぼそりと他愛のない会話の延長だという風に呟く。
「そういやおにぃにも困ったもんだよねー。ここに可愛い女の子が2人もいるっていうのに、他の子のをだなんてねー」
「あはは、そうだよね。まったくボクで妥協して満足していれ……ば…………」
「ま、実際そんな目で見られたら困……はるちゃん?」
「……」
どうしたわけか、急に春希の動きが止まってしまった。片方の靴下だけ履いて、残る右のハイソックスを履いてる最中の、なんとも中途半端な恰好である。
さすがの姫子も数十秒もそのままで固まっていられると、訝し気な顔になってしまう。
「はるちゃん? おーい、はるちゃんってば」
「――っ! ひ、ひめちゃん! あ、あはは……う、うん、今日はもう帰るね! 見送りとか要らないから、んじゃっ!」
「はるちゃんっ?!」
姫子の声で再起動した春希はハイソックスも中途半端なままに、妙に慌てた様子で勢いよく家を飛び出して行った。制止する間もない、あっという間のことだった。
呆気にとられる姫子に、同じく呆気にとられている隼人が、洗い物を中断して話しかけてくる。
「春希のやつ、帰ったのか」
「うん、そうみたい」
「送らなくて大丈夫なのか?」
「おにぃ一緒だと、胸をガン見されると思われたんじゃない?」
「……んなわけあるか。馬鹿言ってないで、風呂沸いてるから入って来い」
「はーい」
そんな軽口を叩きあいながら、姫子は脱衣所に向かった。
タオルなどを用意しながら、先ほど軽口で自分が言ったことがあながち間違いでもないのでは、と思ったりもする。
(おにぃ、もしかして今まではるちゃんをそういう目で見たことが……いやいやいや、ないか)
しかし、それは即座に否定した。
普段の家で見る春希の姿は、それはもうアレなものである。さして姫子自身と変わらないほどの寛ぎっぷりだ。
そんな春希を、隼人が変に意識しているというところを見た事が無い。むしろ自分を見る目と変わらない。
(逆に、はるちゃんがおにぃを意識し出しちゃったとか……あはは、まさかね)
ならばとそんなことを考えるも、どうしてか胸がモヤモヤしてしまい、これも否定する。
その考えを打ち消すかのように勢いよくセーラー服を脱ぎ捨てて、一糸まとわぬ姿になる。
ふと、目の前に体重計があるのに気付いた。ここしばらく測っていない。少しぽっこりしたお腹が目に飛び込み、おそるおそる足を乗せる。
「~~~~~~~~っ?!?!」
そして声にならぬ悲鳴を上げてしまった。
「姫子、何があった、大丈夫か?!」
「バカ、来るな、覗くな、アホおにぃっ!!」
「す、すまん!」
姫子は羞恥でその場に蹲ると、今度は焦燥感から頭を抱える。
(ど、ど、ど、どうしよう……っ?!)
およそ10日ぶりに乗った体重計の数字は、ここの所コンビニスイーツの暴食のおかげか、およそ先日比+10%近い成長率を示しているのであった。
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