43.なんだよ、もう
午後の授業。
「平城京は710年、唐の長安を模倣して建造され、現在の奈良県の――」
昼下がり特有のどこか弛緩した空気のある、日本史の時間。
しかし隼人の隣の席からは、不穏な空気が発せられていた。
「……ぷいっ」
「……はぁ」
その様子を窺おうとして横を見てみるも、隼人の視線に気付くとすぐさま顔を逸らされてしまう。
どうやら春希を拗ねさせてしまったようだった。
(……困ったな)
原因は、はっきりしている。
隼人が三岳みなもの汗で張り付いた制服の、女子特有のモノに視線が行っていたからだった。
そこについ目が行くのは年頃の男子の本能的なことなので、何とか理解して許して欲しいところなのだが、どうやら春希的には中々許容できないものらしい。
「――また、様々な制度も改革され、租庸調といった税制も……あー、これは先月やった飛鳥時代と比較すると面白い。渡したプリントの――」
「……あ」
それは、隼人が持っていないプリントだった。
隼人が転校してはや半月、クラスや授業にも馴染み始めてきているものの、まだ時折こうして、隣の席の春希の世話にならなければいけないこともある。
「あーその、二階堂、さん……?」
「……ふぅ」
絶賛へそ曲げ中の春希であるが、大きなため息を吐きつつもプリントを隼人の方に向けて机を寄せてくれる。
(そういや転校当初も似たようなことがあったな)
確かあの時も今みたいに不機嫌だったけれど、なんだかんだと世話を焼いてくれた。
「ありがとな」
「……む」
なんだか一緒だなと、そのことを思い出し、小さな笑いが零れる。
だけど春希はそんな顔をする、隼人の態度がお気に召さなかったらしい。
「プリントですが、
「んなっ!?」
眉をひそめつつ、プイと顔を背ける春希の小さいながらも鈴を転がすような声は、教室によく響く。
一瞬の静寂の後、ドッと笑いの渦が巻き起こった。
「おいおい、霧島のやつ何やって」
「ちょ、どんな目だよそれ」
「霧島ー、セクハラはいかんぞセクハラはー、ほら授業の続きだ」
「てめっ……くぅっ……」
なかなか笑いの熱が冷めやらぬ中、隼人も羞恥で顔を熱くさせて縮こまる。
隣の席の春希は相変わらずそっぽ向き、ふんっ、と鼻を鳴らしていた。
◇◇◇
授業が終わるや否や、隼人は男子達に囲まれた。
「おい霧島、いったい二階堂さんにどんな目を見せたんだ?」
「あの子って、やっぱ例の幼馴染の?」
「思わずそんな目になってしまうくらい過激なものを見たのか?!」
「いやその、待ってくれ俺は……」
彼らの目は一様に興味津々の色を映しており、何かを聞きだすまで逃さないと語っている。
その理由は、先ほどの春希の態度にあった。
清楚可憐で文武両道、そして誰にでも優しく人当たりが良い。
そんな彼女の口から初めて出た、誰かを咎めるかのような物言いである。
興味を持つなという方が難しい。
「まぁ霧島、エロい目って具体的にどういう目をしたんだ? 二階堂があんなこと言うほどだから、何か変なフェチでもさらけ出したか?」
「も、森?!」
突如森が、隼人や周囲を煽るかのように、そんなことを言った。
「なるほど、そういうことか……実はオレ、
「実はくるぶしのあたりのラインが気になって」
「…………鎖骨」
「だから、そんなこと言われても、俺はっ!」
そして男子が集まっての女子の話のことである。
どんどんと話がそういった妙な方向に、女子の目を気にせず広がっていく。
隼人の席を中心に、にわかに色付き始めたフェチ談議は、隣の席からさらなる燃料が投下された。
「胸ですよ、胸。霧島君はおっぱいが大好きなんですって」
「ちょっ、はるっ、二階堂ーっ!」
「つーん」
それは半ば叫びに近い声だった。
男子達からは「おおーっ!」「まぁ基本だよな!」「二階堂さんの口からおっぱい……!」といった喝采に近い声が上がる。
女子達には「うわ、男子キモッ」「霧島君も、ああ見えてやっぱり……」「でも写真の子って……ああ、そういう趣味ね」というヒソヒソ声が広がっていく。そんな女子たちの中には春希の姿もある。
事態は今朝のように混沌としたものになっていき、その中心はやはり隼人であり、またも注目の的になるのであった。
「勘弁してくれ……」
隼人は自分の机で頭を抱えて突っ伏してしまう。
騒ぎはやがて男子と女子の不毛な言い合いに発展していき、見てみぬふりを決める。
だがそんな中で、森の驚きと困惑の入り混じった声も聞こえるのだった。
「……二階堂って、あんな顔もするんだな」
「森……?」
「あ、霧島。いや、なんでもねぇよ」
「……」
どういうことかと思って春希を探してみると、女子達に混じって呆れた顔を向ける姿があった。
その目は少しだけ、隼人が見慣れているイタズラっぽさの色が含まれている。
(……なんだよ、もう)
何だか落ち着かない気分になる。
果たしてそれは自分が話題の中心になっているのか、それとも――ただ、何かを誤魔化そうとガシガシと、片手で頭を掻きむしり、そんな姿を春希に見つめられた。
「――――ふふっ」
「……っ、あいつ……」
隼人にだけ分かるように、どこか勝ち誇った顔でチロリ紅い舌先を見せる。
それを見ると、不思議なことに、なんだか悪くない気分になるのだった。
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