45.乙女心は大変です
下弦の月が未だ東の空に現れない時間。
月明かりはないものの、街灯のお陰で夜道も暗くはない。
「はっ、はっ、はっ、はっ……!」
そんな道を少女が1人駆けていた。長い髪を振り乱して全力疾走。
明らかに異様な光景である。
その顔は首筋まで真っ赤なこともあり、きっと昼間なら多くの注目を集めていただろう。
「ただいまっ!」
春希はいつもと同じ挨拶を暗闇に投げかけ、そのまま脱衣所へと飛び込んだ。春希自身は気付いていないが、ただいまの返事の確認を待たないというのは初めてのことである。
汗だくになったブラウスなどを直接洗濯機に投げ入れて、まだ温まりきらない冷たいままの状態のシャワーを頭から引っ被る。
「冷たっ?!」
そんな当然のことを口にしながら、やがて温かくなってきたシャワーを浴び続ける。べたべたした汗はとうに洗い流され、身体はサッパリとしているのだが、胸にかかるモヤのようなモノはいつまで経っても晴れそうにない。
どうも先日から、ちょっとしたことでこんな調子なのである。
「うぅぅ……」
時々自分でも突拍子もない言動をしているなという自覚もある。
だというのに隼人は再会した頃からさして変わりも無く、それが何だか悔しくさえ思う。
唯一、女の子に慣れていないのか、大胆なスキンシップをすればたじろがせることができるということに、優越感とも切り札とも言えるものがあって、心の平穏なり均衡を保っていた。
しかし今日の昼間、それが揺らいでしまう出来事があった。
それはクラスの女子たちの質問大会から、なんとか誤魔化せたなと思って離脱した後のこと。
秘密基地に赴くとそこはもぬけの空で、それならばと隼人が良く行く場所として向かったのが野菜の植わった花壇であり、案の定そこに彼の姿があった。
「はゃ……霧し――」
見つけるや否や声を掛けようとするも、どうしてか出来なかった。
肥料袋を片手に花壇を慣れた様子で手入れをし、時折優し気な声色で園芸部の女子――三岳みなもの世話も焼いている。
彼女も隼人を頼りにしているのか、自分のこのやり方であっているかどうか熱心に質問している。
それは春希の知らない隼人の姿でもあった。
(あーうん……、隼人って世話焼きなところあるもんね……)
秘密基地でこれからはお昼は一緒だと約束したこと、無理矢理にでも自分を家へと送っていったときのこと、強引に春希を1人にしたくないと言って泊まらせたときのこと――そんな様々なことを思い出す。
春希にとって隼人は掛け替えのない友人であり、目の前で彼が行っていることは、この親友の美徳であり誇らしいと思う部分だ。
だというのに、何故か胸がチクリとしてしまう。
春希はそんな自分に戸惑いつつも、三岳みなもを観察する。
彼女に関しては、中学も別と言うこともあって、知っていることはとても少ない。大人しい性格で春希よりも1回りほど小さいけれど、特筆すべきスタイルをしている。
そして小動物っぽさを感じさせ、可愛げとも愛嬌とも言える、隼人を前にした時の春希には持ちえない女の子らしいところがあった。
(あ、れ……)
なんだか嫌な感じがした。だけどそれが、どういうものなのかはわからない。
三岳みなもと笑顔で土いじりに興じているのを見ていると、どんどんと苛立ちにも似たものが募っていく。
そしてそれは、隼人が彼女の自分よりも大きなソレを見て顔を赤くした時に、我慢の限界を超えて、2人の間に割って入ったのだった。
その後の態度は、春希も我ながら子供じみているという自覚はあった。ただ拗ねているだけのようなものである。
だから姫子には驚かされたものの、感謝もしていた。引っかかっている部分はあるものの、このまま気持ちもリセットされて明日には元通り――そのハズだった。
『あはは、そうだよね。まったくボクで妥協して満足していれ……ば…………』
他愛無い会話から、突如として己が感じていた違和感の答えを思い知らされたのである。
(隼人が取られると思っちゃったとか!)
それは幼稚なやきもちとも言えない、独占欲に似た何かである。
春希としても、隼人は健全な思春期男子であり、そういう風なものだということは分かっている。理解しているからこそ、からかっている。そして隼人もそんな春希のことを分かってもらえてるという信頼と確信もあった。
それでも、自分以外の女の子に照れるような顔を見せているのが、気に入らなかったのだ。
(ボクだって別に、小さくは……)
そんなことを思ってしまい、誤魔化そうとシャワーを強めるが、既に一番強くなっていた。
「あー、もうっ!」
生まれてしまったモヤモヤをどうにかしようと、ガシガシと全身を強く泡立て洗っていくが、一考に動悸は収まる気配は無い。
今日のシャワーも長くなりそうだった。
◇◇◇
「あー暑ぃ……」
シャワーを長く浴び過ぎた身体はのぼせ上がる寸前だった。
暑さにやられた春希は、このままでは堪らないと冷凍庫からアイスを取り出し自分の部屋に戻ってクーラーをつける。
「あ痛っ、でもおいしーっ」
一気に齧りついたアイスのお陰で頭痛を引き起こすがそれも一瞬、ばくばくと勢いよくアイスを頬張っていく。
今だ悶々としたものが胸に残っていたこともあり、それはヤケ食いとも言えるなにかだった。
(とにかく、隼人が悪い!)
色々と感情を掻き乱されながら考えた結果、そんな結論に至る。完全に八つ当たりであり、大人気ないのは承知の上だ。だけど、そうせずには居られなかった。
それだけ、春希の心は大変な状態だった。
振り回されるのは同じだけれども、しかし昔と同じようにはいかない。その事を痛感する。
しかし、これもどこか悪くないと思ってしまっていて――春希はそんな自分に一番呆れたりもしていた。
「いつまでもこんな関係が続けばいいのに」
そんな願望を口に出してみる。
だけどそれが叶わないというのは、かつての経験から嫌でも知っている。
~~~~~♪
「っ!」
その事を思い知らせるかのように、スマホが通知音を上げた。
『…………はるちゃん』
「んんっ、なんだ、ひめちゃんか。ど、どうしたの?」
『……はるちゃんは大丈夫?』
「えっと、何が、かな……?」
姫子の声はやたらと暗く、深刻な声色だった。
先程までの自分の心を見透かされたかのように感じてしまい、春希の鼓動は否応にも早まってしまう。
『……あたし、――kgも体重増えた』
「――――っ」
そして春希は言葉を失った。思い当たりがあるからだった。
『はるちゃん、今日
「あっ、あっ、あっ、あっ……!」
最近、正確には隼人の家で夕食を一緒にし出してからは、ご飯がやたら美味しく感じるのである。
今まで栄養の摂取とばかり機械的に摂っていた食事と違い、皆で食卓を囲んで話しながら食べると、ついつい箸が進んでおかわりをしてしまう。
そして今のように、返って来てからも1人で悩んでアイスをヤケ食いする日も増えてきた。
『はるちゃんは、どうかな?』
「待って、ちょっと待って、ボクはその大丈夫かも? うん、きっと」
『現実見よう? 手遅れになる前になんとかしよう? 今すぐ測ろう?』
「あ、あはは、大丈夫だって……」
そんなことを言いつつも、このところお腹周りや二の腕付近に不穏なものを感じているのも事実だった。
会話しながら脱衣所に戻った春希は、洗面台にスマホを置き、体重計に足を乗せようとして一旦止める。そしてやおら服を脱ぎだし一糸まとわぬ姿となる。
それはたとえ数百グラムだとしてもという、些細な抵抗だった。
「み゛ゃ~~~~~~~~っ?!?!」
しかし現実は非情、姫子と同じく春希も、先日比およそ+10%近くの成長率を示していた。
『ふふっ、ダイエット同盟結成だね?』
洗面台のスマホから、仄暗くも同士を引きずり込まんとする姫子の声が響き渡った。
春希は心だけでなく身体も確実に変化させており、芽生え始めた乙女心はより一層、大変なことになっていくのであった。
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