212.意外な相談
早足で沈む太陽を追いかけるように降ろされた夜の帳はすっかり暗く深くなっており、街灯に照らされる色付いた木の葉たちは、時折沙紀の心境を鏡に写したかのようにざわざわと楽しそうに唄う。
霧島家からの帰り道、沙紀は足取り軽く春希と共に歩く。その胸の内を占めるのは、もちろん隼人と春希の高校の文化祭について。
姫子ではないが、中学の文化祭の内容を聞いた時の第一印象は案外地味、だった。
少しばかり肩透かしを食らったというのが正直なところだ。引っ越してきて以来、漫画やドラマの中の賑やかで刺激的な光景をよく目にしてきたから、なおさら。
しかし隼人と春希が夕食の席で語ってくれた高校は違った。今まで憧れ夢見てきた物語そのままの世界がそこにあった。
もしその世界を訪れたならと想像すれば、胸が躍るのも無理は無い。
「文化祭かぁ、楽しみですね」
「っ! え、うん。そう、だね」
その気持ちを分かち合おうと隣の春希に話しかけるも上の空というか、気の抜けた声が返ってくる。
何かを考え込んでいるようだった。
「春希さん……?」
霧島家を出る直前までそのことで盛り上がっていただけに、何だろうと思って小首を傾げていると、春希は「うーん」と唸りながら眉を寄せて、遠慮がちに口を開く。
「ひめちゃんってさ、男の子にモテる……よね?」
「…………へ?」
そして紡がれた言葉に足を止め、目をぱちくりさせる。
姫子が男子にモテる。
そんなこと、考えたこともなかった。
学校での姿を思い描いてみるも、そういった浮いた話も聞かず、鳥飼穂乃香をはじめとした女子たちによく弄られている姿ばかり。
漫画やドラマといったそういうものでの色恋沙汰の話は好きなものの、姫子本人はそういったことにがまだ、興味が向いていない。普段の言動を見ていればわかることだろう。それは春希も分かっているはず。
いきなりの質問の意図を図りかね、まじまじとその目を見つめていると、やがて顔を前に向け歩みを再開し、とつとつと話しだす。
「ほら、文化祭って他校の人が出会いを求めてやってくる人も多いわけで。ひめちゃんって可愛いし明るいしそれにちょっとした隙があるというか、そういう人たちに狙われたらって思うと心配になちゃってさ」
「あー……ちょっと話して仲良くなった人がお好み焼きとかチョコバナナって囁くと、ほいほい着いてっちゃいそう……」
「でしょ?」
「ふふっ、ですね」
その姿が容易に想像でき、お互い困ったような呆れたような顔を見合わせて笑いあう。春希の心配ももっともだ。
しかしその一方で、沙紀には確信していることがあった。
「でも、姫ちゃんなら大丈夫ですよ」
「……え?」
今度は春希が目をぱちくりとさせた。
沙紀はその顔を見ながら、
確かに姫子は初対面だと人見知りするし、忘れ物やポカも多いし、興味の惹かれたものへフラフラ引き寄せられたり、マイペースなところがある。
「姫ちゃんって思った以上に芯が強い子ですよ。それに悪意はしっかり看破して、屈しないし」
「……ひめちゃんが?」
「えぇ、そうです。聞いた話ですけど姫ちゃんって目立つから、今まですれ違いざまにボソッて『調子乗ってる』とか悪口言われたり、田舎者やっちゃったときのことをモノマネされたり、変なあだ名をつけられそうになったらしいですけど、それら全て跳ねのけちゃってるのだとか」
「そう、なんだ……」
そう、姫子という少女の心根は強い。
嫌なことにはきっちり嫌と言える。かつて幼い頃に母親が倒れ失意のどん底に居た時だって、結局は自ら立ち上がった。
いつだって変わらない我が道を行く親友の姿を見てきたからこそ、都会へ足を踏み出そうと決心したし、今だって勇気付けられることも多い。
だから沙紀は春希に大丈夫ですよと思いを込めて、力強い笑みを浮かべ頷いた。
◆
春希とマンションの入り口で別れ、自分の家へ入って灯りを付けた。「ただいま」と呟いた声が虚しく誰も居ない部屋に響けば、嫌でも1人だということを意識させられる。
引っ越してきて1か月以上、まだまだこの瞬間は慣れそうにない。じくりと胸に寂しさが滲む。
「……ぁ」
するとその時、狙いすましたかのようにスマホが通知を告げる。反射的に画面を覗けば、父親からだった。
『こんなに大きくなりました』
そんな文字と共にお気に入りの段ボールで目一杯収まり、お腹を見せて幸せそうに寝ているつくしの写真。その隣にはまだ小さく余裕があった頃のものも添えられている。
村尾家にやってきて2ヶ月近く、つくしも随分大きくなってきた。
とはいえ、まだまだ子猫。最近は離乳食の割合も増えているらしく、これからもどんどん大きくなっていくことだろう。
沙紀はくすりと口元を緩ませ、この写真をグルチャに『本日のつくしです』と書いて投稿し、制服を着替えるついでにシャワーへと向かう。
引っ越してきて以来お風呂の準備が億劫で、シャワーで済ませることが多いが、秋も深まってきた昨今は湯船が恋しくなってきていた。
風呂場を後にして手早くいつもの浴衣に着替え机の上に置いたスマホを見れば、通知を告げている。
つくしの写真の反応かなと思い画面を開けば、意外な相手からのメッセージに、にへらと緩ませていた顔がぴしゃりと固まってしまう。
佐藤愛梨。
今をときめくモデルにして、彼女の正体を知らず連絡先を交換した、綺麗な人。
彼女と出会ったきっかけは、ほんの偶然だ。
知り合いと呼ぶのも烏滸がましい。
そもそも住む世界が違うのだ。
一体何が? どうして私に?
思考がぐるぐると空回り、動揺から心臓がドキドキと痛いくらいに早鐘を打つ。
震える指で恐る恐る画面をタップする。
『あの、文化祭のことで聞きたいというか、相談したいことがあります。お時間よろしいでしょうか?』
ふいにゾクりと、背筋に氷柱を刺し込まれたかのように冷たいものが流れた。
そして先ほどの春希との会話を思い返す。
――出会いを求めてやってくる人も多い。
そして彼女が、好きな人がと言っていたことも。
軽く頭を振る。彼女にそのことは当てはまらない、はず。
しかし愛梨の公私ともに仲の良いMOMOの弟が一輝であり、隼人とも知り合いのようでもあった。
まさか、とは思う。
そもそも口ぶりから、彼女の想いへの思慕は年季が入っていたし、必死になって否定する。
画面を眺めたまま、何かを返事をしようとして指先をふらふらと彷徨わす。
頭の中はぐちゃぐちゃだった。
そして春希の『ひめちゃんってさ、男の子にモテる……よね?』という言葉を思い返す。
隼人はモテるのだろうか?
……わからない。そんなこと考えたことない。
しかし都会では積極的にいく女の子も珍しくないという。
女の子に迫られる隼人を想像すれば、どんどん胸のモヤモヤが肥大していく。
だから沙紀は、その懸念を払拭したい一心で、愛梨への通話をタップした。
『――ぁ』
「あの、もしもし――」
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