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213.意外なんだよね


 文化祭の近付く足音が聞こえる校内は、どこもかしこもそわそわとした落ち着かない非日常の空気に包まれていた。

 そこかしこの教室では休み時間の度に何をするのか、したいのかという熱気を帯びた喧騒が繰り広げられている。

 一輝の教室では他と比べ一足早く出し物が決まったこともあり、一部の女子を中心として黄色い声を上げながら、詳細についてのアイディアを出し合っていた。

 このクラスにおいて、一輝の役割はキャストだ。

 当日の接客が仕事であり、その準備と言えばどんな格好で客を出迎えるかを決めることである。


「……」


 わいわいと騒がしい空気の中、一輝は彼らの邪魔にならないよう教室の隅の方でスマホを眺めていた。

 画面に映っているのは、モバイル版ティーンズ向けのファッション雑誌。女装キャバクラでどういう風なものにするかのイメージを掴むために読んでいる。

 そこでは様々なタイプのモデルが華やかに誌面を飾り、流行りの服や雑貨、制服コーデや初心者向けのメイク特集、他にも芸能界情報や女子向け楽曲など、記事の内容は多岐に渡る。

 そんな中にふと姉の姿を見つけ、苦笑を零す。

 こういった仕事に関わっているのは知っていたが、こうして見るのは初めてだ。少々気恥ずかしさがある。

 しかし家でのぐーたらな姿しか見ていないがなるほどどうして、中々に堂に入っている。

 姉の姿や記事の物珍しさもあって、次々に読み進めていく。

 世の中の同世代の女子たちも、これらのことに興味を持っているのだろうか――そう考えた時、ふいに姫子の顔が脳裏に過ぎった。

 最近の流行りものを追いかける彼女も、こうしたものを読んでいるのだろうか?

 そう思うと関心も高くなる。学校で友達に書いてある記事の内容で盛り上がったりするのだろう。

 快活な姫子のことだ。

 興味を引いた特集の話題などを積極的に口にして、どこかズレた発言から弄られたりなんかして、グループの中心にいるに違いない。そんな姿を想像して口元を綻ばすと共に、ズキリと胸を騒めかせた。

 彼女を弄るクラスメイトの中に男子はいるのだろうか?

 想いを寄せたり、アプローチを掛けるような相手は?

 姫子はモデルを務める姉を持つ一輝の目から見ても、愛嬌のある好ましい女の子だ。モテてもおかしくはない。一体クラスでの姫子はどんなのだろう?

 ……そんなことが気に掛かる。

 自分の胸の中で燻ぶっていた感情を自覚して以来、こうしたちょっとしたことでも彼女と関連付けて思い巡らせては、自分の知らない場所でのことを想像しては心を乱す。

 確認したくとも、1つの歳の差が大きな壁となって立ちはだかっている。

 隼人との会話でも姫子の名前が飛び出せばついつい反応してしまうし、スマホの通知を告げる度にまさかと思いつつ期待で胸を高鳴らす。

 いくら平常心を心掛けようと律してみても、まるで上手くいかない。いつか暴発してしまわないかと心配になるほどだ。だけどそんな自分も悪くないとさえ思ってしまい、苦笑を零す。


「海童くん?」


 その時、とあるクラスメイトの女子が興味深そうに一輝の顔を覗き込んできた。


「っ! 桐野さん……?」

「いやぁ、さっきからスマホを眺めて百面相してるからさ、一体何かなぁって思って」

「あぁ……」


 そう言って桐野は人懐っこそうな笑みを浮かべる。

 ふわふわしたボブの髪が良く似合う陽気な感じの彼女は、一輝もよく言葉を交わすクラスの中心人物の1人であり、オタク趣味にも造詣が深く、今回文化祭での女装キャバクラの発案者の1人でもあった。

 一輝は先ほどの考えが顔に出ていたのかと少し気恥ずかしそうに眉を寄せるもしかし、スマホで見ていたものは隠すようなものでもない。

 少し迷いを見せた後、画面を彼女の方へと向けた。


「あ、これって今月の」

「ほら、文化祭でどういった格好すればいいのかって調べててね。それで色々想像してみてたのだけど、僕はほら、身長も高いし肩幅もあるから、あまり似合わないかなぁって思って」

「あはは、なるほどねー」


 一輝が困った風に言葉を零せば、桐野はけらけらと笑い、片手首を振りながら同意を示す。

 そしてひとしきり笑った後、顎の人差し指を当て、「ふぅん」と鼻を鳴らしながら教室を見回し、ジッと一輝の顔を見つめる。


「てか海童はネタに走らず、ガチでやるんだ?」

「せっかくだからね」


 桐野は少し意外そうな声を出す。

 そもそも顔立ちや体格的に、女装が似合う男子なんてほとんどいない。

 確かに女子たちから熱烈なアプローチを受けているものもいるが、ごく一部。

 残りのほとんどのキャストの男子は、笑いを取るような方向で動く。

 特に、がっしりとした体格の運動部員はその動きが顕著だ。

 だから、桐野の驚きは当然とも言える。


「似合わない、かな?」


 やはり自分には無理があるのだろうか?

 一輝が弱気を滲ませ、それが顔と口に出てしまうと、桐野は違うと言いたげに慌てて目の前で両手を振る。


「や、そんなことないと思うよ! 海童は身体とか引き締まってるし、肩とか喉仏なんて服やウィッグでどうとでもなるし、それに女でも男顔って化粧映えして凛とした美人の要素だしさ!」

「え、そうなんだ?」

「うんうん、芸能人でも男顔の美人とかいるよー。例えば……MOMOとか」

「っ! へ、へぇ……」


 いきなり姉を例に挙げられドキリとしつつも、桐野の説明に感心を寄せる。

 やはり百花に色々教えてもらうのも有りかと思い、頭の中でどう姉に話を持ち掛けるか算段していると、またも桐野は一輝の顔を窺い、少し驚き交じりの声で呟く。


「しかし、意外だねー」

「え、何が?」

「海童が」

「僕が?」

「うん、こう言っちゃなんだけどさ、女装キャバクラなんて色物でしょ?」

「あはは、確かに。でも、だからこそ本気やってみるのもいいかなって思って」

「そんで海童がガチで美人になったら、他の男子の意識が変わるかも」

「どうだろ? そうなったら面白いことになりそうだね」

「そうそう……だからこそ、意外なんだよね」

「……え?」


 桐野の言い分がよくわからなかった。

 一輝が首を傾げていると、桐野は何かを探るかのように目を見つめ、そしてうんと頷き何かを確認するかのように問う。


「うーん、夏前までの海童ならさ、こういう行事って絶対波風立てないように上手に流してた・・・・・・・と思うんだよねー」

「それ、は……」


 桐野の瞳は確信に満ちており、まるで一輝の胸の内を見透かしているかのようだった。

 ドキリと胸が跳ねる。

 実際、図星だった。


「隙ができたというかさ、一歩引いて作られてた壁を感じなくなって、話しかけやすくなった。文化祭の出し物を決める時も、海童が面白そうだねって言ってくれたからこそ、こんな色物企画に決まったしさー」

「…………っ」


 桐野は動揺で目が泳いでしまった一輝を見て、ニヤリと笑う。


「私は前より、今の海童の方がいいと思うよ」


 そう言って桐野は一輝の肩をポンと叩き、先ほどまで話していたグループへと戻っていく。

 唖然とすることしばし。

 やがて揶揄われたということに気付いた一輝は、しかし案外それも悪くないなと思って自らに苦笑を零す。

 外から見て、そんなに自分は変わったのだろうか?

 わからない。

 だけど今までだったら、こうしてクラスメイト気安く揶揄われることもなかっただろう。そういう風に意図して動いていたのだから。

 いつのまにか変わってしまっていたとしたら、新しく出来た友人たちや、その妹のおかげだ。

 そしてふと、こんな時姫子ならどうするだろうと考えてしまった。

 彼女ならきっと……脳裏に思い浮かべた姫子にくすりと笑みを浮かべ、熱心に誰それにはどういう格好が似合うなどと話している女子グループに声を掛ける。


「ねぇ、ちょっと化粧のことで相談いいかな? 一から色々と教えて欲しいんだ」

「「「「……っ!?」」」」


 一輝に話しかけられた彼女たちは、一瞬唖然として会話を止めてしまう。

 そして言葉の意味を理解すると共に顔を見合わせ頷き合い、興奮気味の黄色い声で一輝を輪の中へ迎えるのだった。

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