116.アレはその、非常にアレだな


 巨大かつ複数のコースがあるこうじえんのウォータースライダーは、このプールの目玉だ。

 直線、曲線、それに回転やとぐろを巻いたもの、複雑怪奇で様々な種類がある。

 列をなして多くの人が並び、コースからは「きゃあああっ」「うおおぉおおっ」といった黄色い歓声や野太い絶叫が響き渡っている。春希と姫子も、彼らに負けじと喝采の声を上げていた。


「ひめちゃん、隼人、今の凄かった! ぐるぐるぐる~ってなってぐわ~ってきて、うわぁ~ってなっちゃってさ!」

「もっかい行きたい、次に別のもいきたい! 今度はあれ浮き輪に乗って滑るやつ、神の河を渡るケルピーライド、あれやりたい!」

「春希に姫子……どんだけ滑る気だ……」


 集合した隼人たちは、姫子に先導される形で真っ先にウォータースライダーへと突撃した。6人連れ立って何度も周回している。あまりに回数が多いので、隼人は5回を超えたあたりで数えるのを止めた。

 大小さまざまなウォータースライダーは、カナヅチで泳げない春希もこれならばと大いに楽しませ、姫子に負けじと高いテンションを見せていた。


 流れる水と共に滑るウォータースライダーは結構なスピードも出てスリルもある。そこが面白いところであるのだが、その分体力もそれなりに使う。

 まだまだ周回を止めそうにない女子2人のきらきらとした顔を見て、隼人はため息を吐いてしまう。そこへ、やたらと機嫌のいいにこにことした一輝が話しかけてくる。


「でもさ隼人くん、せっかくのフリーパスなんだから元を取るまで滑らないと損だよ?」

「む、確かにそれもそうだな……」


 元を取る――その言葉に隼人の顔色が変わる。さながら使命を帯びた武士の顔だ。そして春希と姫子の下へと向かう隼人の背中を見て、一輝はにこにこと笑顔を輝かす。


「姫子、春希、次はどれにするつもりなんだ?」

「あ、おにぃ。あのケルピーライド――浮き輪? ボート? それに乗るやつがいいかなって思うんだけど……」

「一番の目玉でさ、水着だからこそ思いっきり水を被ったり水中に突っ込んだりする派手なコースがすごく面白そうだと思うんだけど、2人乗りで……」

「うん? それが何か問題あるのか?」


 意気揚々と話しかけたものの先ほどまでの興奮はどこへやら、どこか歯切れの悪い返事である。隼人が首を傾げれば、春希と姫子は苦笑いと共にある場所へと視線を向けた。


「……ほら、あれ」

「…………なるほど」


 視線の先に居たのは緊張で身体を硬くしている伊織と伊佐美恵麻だった。

 2人とも顔を真っ赤にしながらそっぽを向き、だけど手ではなく人差し指を繋いでいる。それでもよほど恥ずかしいのだろう。

 いつも教室で見かける抜け目なく調子のよい伊織や明るく活発なイメージのある伊佐美恵麻からは考えられないとても初々しい、付き合いたてともいうべきカップルの模範とも言うべき姿だ。


 ちなみに最初は指すら繋いでいなかった。

 姫子からの『カップルですよね恋人ですよね付き合ってるんですよね、あたしたちの目を気にせずいちゃついてください、さぁさぁさぁ!』攻撃を受けてこれである。


「……」

「……」


 伊織と伊佐美恵麻は、互いに意識しつつもどこかぎくしゃくしている。

 どうやらこれが今日、隼人たちをプールに誘った理由らしかった。

 幼馴染という関係から一歩進めた2人であるが、なまじ互いに色々知っているということもあり、2人きりになるとこのように緊張してしまうらしい。


 隼人や春希たちの視線に気付いた伊織は、眉を寄せながら恐る恐る訊ねてきた。


「な、なぁ、今度はあのケルピーライドに乗るのか? あれってその……」

「2人乗りで凄く密着するな。うんうん、伊織たちカップルにとってぴったりじゃないか?」

「い、いやそうだけど、その、オレと恵麻にはまだ早いというか……」

「あっはっは、何を言ってんだよ。むしろ仲を深めるチャンスなんじゃないか?」

「て、てめぇ隼人……っ!」


 伊織の顔がますます赤くなり、隼人の顔がますます微笑ましいものを見るものへと変わっていく。

 事実、他の3人もこの初心うぶなカップルを見守る目はひどく優しい。


 ケルピーライドは専用の浮き輪を使う人気のアトラクションだ。

 馬の背中を模したものに跨る最大2人乗りのそれは、仲睦まじく密着して滑るカップルの姿ばかりが目に映る。


「もぅおにぃ、揶揄からかわないの! せっかくあたしたちがどうやって乗ってもらおうか相談してたのに! ほら恵麻さん、恥ずかしがってないで、ね?」

「え、ちょっ、姫子ちゃん!?」

「おっと悪ぃ。てわけで伊織、伊佐美さんと楽しんできな?」

「おい、隼人!?」


 隼人を窘めた姫子は、ぐいぐいと伊佐美恵麻の背中を搭乗口に向けて押す。そして隼人も姫子に倣い伊織の背を押す。

 どぎまぎしているカップルへとお節介をする霧島兄妹の顔は、何か良いことをやり遂げたと言わんばかりに清々しい。

 そんな隼人と姫子を、春希はあちゃーと言わんばかりの呆れ顔で、一輝はよりにこにこと笑顔を輝かせて見守っている。


「な、なぁ隼人、これ1人ずつ乗るっていうのは?」

「あっはっは、これだけ人が並んでいるのに、そんなことしたらダメだろう?」

「ぐっ……隼人も二階堂と一緒に乗って、気まずい思いをしやがれっ!」

「んなっ!?」

「み゛ゃっ!?」


 せめてものお返しとばかりに、伊織はそんな言葉を投げつける。今度は隼人と春希の顔が真っ赤になる番だった。

 互いに顔を見合わせケルピーライドへと視線を移せば、彼女を背後から抱き着く彼氏といったものが目に飛び込んでくる。

 昔と違って今の体格差なら、隼人の腕のなかにすっぽりと春希が入ってしまうに違いない。


「…………」

「…………」


 お互い水着である。あんな形で密着すれば、肌の大部分を重ね合わせてしまうことになる。想像するだけで頭に血が上ってしまう。

 肌を見せるのと触れ合うのは違う。手を繋ぐどころじゃない意味を持つ。

 どうして伊織と伊佐美恵麻があれほど躊躇っていたかを理解する。


「アレはその、非常にアレだな……」

「そ、そうだね、アレでアレだね……」


 もじもじと自分の指を絡めている春希を見る。

 白磁の様に透き通る白い肌、男子とは違うやわらかさやなめらかさを感じさせる肢体に、楚々とした可憐な顔立ち。

 幼馴染の贔屓目を差し引いても、明らかに周囲より飛びぬけたレベルの容姿だ。


 触れたいと、抱きたいとも思ってしまう。だけどそれは、決して友達・・に抱く想いではない。隼人はその感情を誤魔化すことが出来ず、ごくりと喉を鳴らす。


「…………きちゃんに……」

「……春希?」


 ふと春希の表情が翳り、何かを呟く。騒がしい心臓のせいでよく聞き取れない。


「隼人くん、二階堂さんと一緒に乗るのに抵抗があるなら、姫子ちゃんと乗るかい?」

「えぇ~、おにぃとですか~?」

「「っ!?」」


 そこへ一輝から揶揄うような声を掛けられ我に返る。姫子はしかめっ面をしている。


「べ、別に嫌とかそういうんじゃねぇよ、その、ちょっとアレってだけで!」

「そ、そうだよアレだよ! ボクと隼人が一緒になると、ひめちゃんが海童と一緒になっちゃうでしょ!? 行こ、ひめちゃん!」

「あーうん、それもあった。あたしもさすがにおにぃの友達と一緒は気まずいかなー」

「あらら、姫子ちゃんにフラれちゃった」


 慌てた春希が姫子の腕を引っ張り、おどけた様子の一輝が残念そうに肩をすくめる。


「…………」


 一瞬、ほんの一瞬だが、隼人は春希が一輝と一緒に乗る光景を想像し、胸にドロリとした感情が沸き立つのを感じた。

 その気持ちを誤魔化すようにガリガリと頭を掻き、ぶっきらぼうに言い放つ。


「で、俺と一輝が一緒に乗ると」

「僕たちも裸の付き合いといこうか、隼人くん」

「裸じゃねえっ!」

「ははっ!」


 伊織に混雑しているのにと言った手前、1人で乗るのは筋は通らないだろう。

 隼人はげんなりとした様子で春希と姫子の背中を追う。


 その時、一輝が何てない風に言葉を零す。


「二階堂さんもそうだけどさ、姫子ちゃんも負けないくらい綺麗で可愛いよね」

「姫子が? まぁ確かに色々オシャレに気を配ってるが……そうかぁ?」

「っ!? え、あ、いやその、二階堂さんと並んでても遜色ないというか、天真爛漫で純粋だけどそこが見ていて危なっかしいというか……っ」

「うん? 単に田舎者で目が離せないだけだろ…………一輝?」


 隼人が振り返ると、どこか驚き慌てふためく一輝の姿が目に入る。


「んんっ! 僕たちも急ごう、置いて行かれちゃう」

「ちょ、押すなよ一輝!」


 すると咳ばらいを1つ。

 いつものにこにこ笑顔に戻した一輝は、強引に隼人の背中を押す。

 そして何かを確認するかのように呟いた。


「姫子ちゃんも隼人くん同様、面白くて良い子だってだけだよ」

「はぁ、なんだそれ?」

「ははっ、なんだろうね?」

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