236.すぐ傍にいるから


「せっかくあの子の好きなパウンドケーキ焼いたのに……」


 そう言って真由美は残念そうな呟きを零しながら、少し行儀悪くパウンドケーキの刺さったフォークを弄ぶ。春希も困ったような曖昧な笑みをべる。

 夕食後、姫子にデザートがあると声を掛けたものの「いらない」と一言。けんもほろろだった。

 姫子の好物だというパウンドケーキはバナナの甘みとバターの香りがたまらなく、その美味しさも納得の一品だったがしかし、この場にいる皆の顔には苦々しいものが広がっている。

 真由美は「困ったわねぇ、難しい年頃なんだから」と明るい調子で言っているが、このままでいいわけじゃないだろう。

 春希は胸に手を当て、姫子について思い巡らす。

 霧島姫子。

 幼い頃、月野瀬の田舎で遊んだもう1人の幼馴染。

 初めて出会った時は、待ち合わせに来た隼人の背中からひょっこりと、おっかなびっくり顔を出していたのをよく覚えている。

 人見知りしつつも瞳は好奇の色で輝かせ、いつも春希たちと一緒について回ってきた、少し大人しい女の子。

 そして再会してからは当時の性格の面影を残しつつも、いつだって明るい笑顔と呆れた表情、都会のあれこれに慌てふためきなく姿を見せがらも、閉じ籠もりがちだった自分をぐいぐいと色んな場所に引っ張り出してくれた妹分。

 あぁ、やはり春希にとって姫子はかけがいのない存在だ。

 だからこうも心配になって胸が軋むのだろう。あんな顔をする姫子は見たくない。

 先ほどの帰り道、隼人から悩みを聞いて助言をするのが得意と言われたことを思い返す。

 そう言ってくれた相棒隼人の期待に応えたい。

 春希は残っていたパウンドケーキを少し喉に詰まらせながら一気に掻きこみ、席を立つ。


「んぐっ、ごちそうさま! ちょっとボク、ひめちゃんのとこ行ってくる!」

「春希!?」「あらあら?」「っ!?」


 3人の驚く声を背に、春希は姫子の部屋に向かう。

 その勢いのままコンコンとノックし、「ひめちゃん、入るよ!」と言って返事を待たず中へと身体を滑らせる。

 パステル調の女の子らしいしかし床には雑誌や参考書、服が広がる部屋の中、姫子はまだ制服姿のままベッドの上でクッションを抱きかかえながらスマホを弄っていた。

 姫子はいきなり自らの領域テリトリーに侵入してきた相手春希に目をぱちくりとさせ、ぎこちない笑みを浮かべる。

 それは明らかに侵入者春希を警戒し、寄せ付けない空気を醸していた。

 しかし春希は敢えてその空気を読まず、姫子の隣に腰掛け手元を覗く。


「はるちゃん、えっとその、何、かな……?」

「あはは! ひめちゃんさっきから何見てるの? あ、これって……」

「初配信で胃カメラの写真載っけたりしたVtuber」

「ボクもこの人の放送ちょくちょく見てるよ。口調とかリアクションとか面白いよね」

「学校でも話題で、笑えて楽しい気分になれるからってお勧めされて」

「そっかぁ」

「……うん」


 そう言って姫子はぎこちなく笑う。

 しばし2人して言葉は交わさず、ただただ姫子のスマホで動画を眺める。

 お題からどうしてそうなるんだとツッコミたくなる発想、ついついクセになってしまう独特な言い回し、時々飛び出すがマニアックなネタだがついつい興味を持ってしまう軽妙なトーク。そんな人気が出るのも納得の内容。

 普段なら見ていてクスリとしてしまうものだが、生憎と今は心を空滑り。

 いつもそうしてきたように、春希は姫子になってその気持ちを知ろうとする。だけど何度試みても上手くいかない。

 ギュッ、と強く手を握りこむ。

 姫子が何かしら抱えているのはわかる。

 そして今のままじゃダメで、どうにかしようと足掻いていることも。

 けれどその原因は母親への想いゆえだから――だから、春希には姫子の気持ちに手を伸ばすも、靄がかかっているかのように、何かに蓋がされてるかのように、掴めない。沙紀の時と同じように……

 自嘲の笑みが零れる。

 それでも姫子は大事な幼馴染なのだ。何かをしたいという想いが胸で渦巻いている。

 事情は見当つかない。

 聞き出そうにも、言いにくいことなのだろう。

 春希だって、隼人に田倉真央の私生児だということを言い出せなかったではないか。

 あの時の隼人は――当時のことを思い返すと少し頬が熱くなると共にくすりと笑みが零れ、そして自然と身体が動いてしまっていた。


「は、はるちゃん!?」


 春希は強引に姫子を胸に引き寄せ、抱きしめた。

 突然のことに驚く姫子をあやすように頭を撫でながら、優しく囁く。


「ボクはさ、ひめちゃんのすぐ傍にいるから」

「……ぁ」

「何かあったら、頼ってね?」

「……うん」


 今はすぐに手が届くところにいて、いつだってどんな時でもすぐに駆け付けられるから――隼人みたいに。

 そんな春希の、言葉にした想いが伝わったのか、姫子は腕の中でこくりと頷き、しがみ付くように腕を背に回す。

 春希も姫子に応え、ギュッと力を込めて抱き返した。

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