235.つい、張り切っちゃって
疑問はある。しかしこのまま突っ立っているわけにもいかないだろう。
隼人は意を決し、なるべく普段を装いながら声を掛けた。
「よぅ、姫子に沙紀さん」
「あ、お兄さん!」
「おにぃ……」
こちらに気付き、どこかホッとした顔を向ける沙紀。対照的に、感情の読み取れない顔を上げる姫子。その反応に隼人も僅かに顔を顰める。
他に何か話題をと思い2人を見てみるも、足元置かれた鞄と手に持つスマホが目に入るばかり。特に何かをしていた痕跡はなく、家に帰らずここで何をしていたのかはわからない。
それでも何かを話さなければと思い、口を開く。
「あーその椅子、使い心地とかどうだ?」
「……悪くないよ、おにぃ」
「え、えっと、私も初めて使いましたけど悪くないと言いますか、もし背もたれがあったら居ついちゃいそうですっ」
「そ、そうか。でもそれってここを訪ねてきた人が待ってる間とかに使うものだからな、椅子に根っこ生やされたら困るもんなっ」
「で、ですですっ」
とりあえず目についたものに言及するも、なんとも話題は空回り。噛み合わない。
姫子も話はそこで終わりとばかりにスマホに視線を戻す。隼人と沙紀は互いに困った顔を見合わせる。
相変わらず姫子は本調子ではないらしい。こちらの調子も狂ってしまう。
すると春希がスッと前に出て、強引に姫子の手を引っ張った。
「……ぁ、はるちゃん」
「ひめちゃん、家に行こ? 隼人と沙紀ちゃんも。ボク、もぅお腹ぺこぺこだよ~」
「春希……って、痛っ!?」
そう言って春希はもう片方の手でバシンと背中を急かすように叩く。
振り返りざまに目が合えば、片目を瞑る。どうやら春希なりに気を遣ったらしい。苦笑しつつ慌てて後を追う。
マンションのあまり広いとは言えないエレベーターの中、春希は言葉を続ける。
「今日みたいに遅くなった時って冷凍食品が多いけどさ、今までボクが買って来た冷凍食品って海老チーズドリアや昔ながらのナポリタン、豚玉のお好み焼きといったそれだけで一食になっちゃうものばっかだったんだよね」
「あ、私もです。レンジで手軽に用意できるのっていいのですよね」
「そうそう! だけど隼人が買う冷凍物って大容量のから揚げとかコロッケ、たこ焼きに餃子にピラフもそうだけど、揚げたり炒めたり調理が必要なもの多くてさ」
「うん? あとは揚げたり炒めるだけだし、凄く楽だろう?」
「えー、フライパンやお鍋用意したり、洗いもの増えるじゃん」
「それくらいやれよ」
「いや、それがめんどくて」
「あはは。私も春希さんのその気持ち、わかります」
「……おにぃがそうだから、あたし冷凍って結構手間がかかるイメージあるんだよね」
「ほらーっ」
「むぅ……」
春希とのいつも通りのやりとりを呼び水に、姫子も釣られてツッコミを入れる。隼人が唸れば、皆から笑いが零れる。おかげで少しだけ空気が緩む。
ホッと息を吐きつつ家の前へ。
そしてカギを開けようとして、「え?」という声が漏れた。既に開いている扉を訝し気に開けた。
「あら、おかえりなさい! 遅かったのね? いつもこんなに遅いの?」
「あ、あぁ、ただいま。今日はその、文化祭の準備があったから」
そして中に入ると、母真由美の声で出迎えられた。
引っ越してきて以来なかったことに、一瞬虚を衝かれたような顔をしてしまう。
春希や沙紀も同様に、目をぱちくりとさせながら咄嗟に背筋を伸ばす。
「きょ、今日もお邪魔していますっ」
「い、いつもお世話になってますっ」
「あらあらあら、はるきちゃんに沙紀ちゃんも全然お邪魔だとか思ってないから! 自分ん
真由美にそう促され、隼人は言われるがまま途中自分の部屋に鞄を放り込みリビングに顔を出す。
そしてダイニングテーブルに広がる光景に目を
「これは……」
「わぁ!」
「すっごい……」
「久しぶりだから、つい張り切っちゃったわ!」
右手で力こぶを作り、パシンと叩く真由美。
そこにあるのはロールキャベツのトマト煮、五目おこわ、ポトフ、ゆで卵の断面が見えるミートローフ、水菜と大根のシャキシャキサラダにタコとアボカドのマリネといった、見た目にも豪華な料理が所狭しと並べられている。
「どうしたんだよ、これ」
「一度作り始めちゃったら色々凝っちゃって。あ、昨日の残りはお昼に食べたわよ?」
「それはいいけど……限度があるだろ」
「皆食べ盛りだから平気よ。沙紀ちゃんにはるきちゃんもいるしね。余ったら明日に回したりお弁当にすればいいだけだし」
「ったく……」
そんな隼人と真由美のやり取りを見ていた春希と沙紀は、互いに顔を見合わせ、しみじみと言う。
「おばさんって、ほんと隼人とひめちゃんのお母さんだよね」
「ふふっ、私もよくそう思います」
「あらあら、おほほほっ」
「春希、それに沙紀さんまで何を……」
何とも微妙な顔になる隼人。
満更でもなさそうに手振りをする真由美。
春希と沙紀はくすりと笑い合いながら席に着く。
隼人も2人に倣えば、少し遅れてリビングやってきた姫子も定位置に無言で座る。
「「「「いただきます」」」」「……ます」
手と声を合わせ、いつもより少し早い夕食に舌鼓を打つ。
「わ、このポトフにごろりと入ってるキャベツ、芯まで蕩けるくらいに煮込まれてる!」
「このサラダに掛かってる和風ドレッシング、すごく合います!」
「タコとアボカドのマリネ、もしかして中にわさびが? 意外だけど、アリだな……」
隼人は夢中になって箸を進める。数か月ぶりの母の料理というのも最高のスパイスだ。
おいしそうに食べる皆の顔を見てにこにこしていた真由美だが、ふいに眉を寄せた。
「うーん……」
「どうした、母さん?」
「いやミートローフなんだけどね、ケチャップだとハンバーグとあまり変わらない気がして。他に何か合うソースないかしらねー?」
「んー……甘酸っぱいブルーベリーソースとか、合うかもな。ジャムで作れるよ」
「え、ブルーベリージャムで!? どうやって!?」
「ジャムに中濃ソースとか合わせて。ネットにレシピとかあるから送っとく。それよりこのロールキャベツだけど――」
「あぁ、それは――」
他にもロールキャベツを煮込むトマトにクリームを入れてもいいだとか、五目おこわは炊飯器どう作ったのだとか、手作りしたドレッシングやマリネの隠し味がどうだとか、そんな料理についての話に花を咲かす。
やがて隼人は春希と沙紀から向けられる、どこか呆れを含んだ視線に気付く。
さすがに
「あら、最近は料理できる男子とかポイント高いんじゃないの?」
「わ、私的には高いです! その、引っ越してきてからずっとお世話になってますし」
「ボクも文化祭の喫茶店メニューを決める時とか、色々頼りにされてるって聞いてるよ」
「あらあらあら、隅に置けないわね!」
「……普通だよ」
いきなりそんな話の水を向けられた隼人は、気恥ずかしさから目を逸らす。
そんな息子を見た真由美はふふっと笑みを零し、「あ!」と、はたと何かに気付いたような声を上げ、やけに真剣な声色で春希に問う。
「で、実際のところこの子ってば学校でどうなの? 女の子の評判とかさ」
「へ?」「か、母さん!?」「っ!?」
突然の言葉に驚く面々。
春希は寝耳に水とばかりに目を白黒させ、隼人はやめてくれとばかりに声を荒げ、沙紀はやけにそわそわと落ち着かなくなる。
「いや、最近髪型変えたり急に色気づいたでしょ? そういう浮いた話があるからって思うじゃない?」
「だからこれは、そういうんじゃ――」
「――実は隼人、女子の間で結構好感度が高いっていう話は聞きますね。料理の腕もそうだけど、ソーイングセットでさり気なくつくろいものしてくれたり、おかんのようにちょっとした世話を焼いてフォローしてくれたりで」
「あらあらあら!」
「っ!? 春希さん、その話詳しくお願いしますっ!」
「おい、春希! 沙紀さんまで!?」
「他にも隼人ってば――」
そして春希からクラスの女子たちの好意的ともいえる評価が語られれば、どうにもむず痒くなって居た堪れなくなる。
隼人が春希へ抗議の目を向ければ、いつものどこか悪戯っぽい笑みを返されるのみ。どうやら確信犯らしい。
春希が煽るような物言いをすれば、当然話は盛り上がる。きゃいきゃいと黄色い声が霧島家のダイニングに響く。
しかしそんな中、いつもならこの手の話に一番に飛びつきそうな姫子は、かちゃりと箸と食器を置き、静かに席を立った。
「ごちそうさま」
「あら姫子、もういいの?」
「うん、なんか食欲なくて」
「大丈夫? 風邪?」
「ううん、なんでもない。平気」
姫子はそう言って母にぎこちなく笑い、リビングを出ていく。
食事もあまり手を付けた痕跡はない。
後に残された隼人たちは姫子に閉められたドアを眺めたあと、困った顔を突き合わせるのだった。
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