6-4

234.そう見えるんだ


 太陽は西の彼方へと落ちようとしていた。

 茜色に染まる帰路を、隼人は影を長く引き伸ばされながら足早に歩く。

 なんだかんだとその後も準備に忙殺され、下校時刻に追われる時間になってしまっていた。

 さほど時を置かず、夜の帳も降りるだろう。

 もしかしたら、そろそろ姫子から夕食の催促があるかもしれない。

 隼人は空を見上げつつ、さて今日の献立は何にしようかと思い巡らす。

 昨夜の豚肉とナスの残りに、冷蔵庫にあるものを一掃してもいいだろう。調理時間の短縮にもなる。そんなことを考えながら大通りにあるコンビニを通りがかった時、「あ、隼人」と声を掛けられた。

 声がした方向へと目をやれば、コンビニの前でエンボスカップ片手に佇む春希。遅いぞと言いたげに唇を尖らせ、隼人の下へ小走りでやってくる。


「春希。もしかして待ってたのか?」

「まぁね」

「どうせなら学校で待っててくれたらよかったのに」

「……学校はちょっとね。その、居たら何かと仕事を押し付けられそうだし」

「それもそうか」


 げんなりした様子で愚痴を零す春希の顔には、疲労が滲む影が落とされている。

 傍目からは上手くこなしていた印象があるものの、文化祭運営の大元ともなれば、隼人には想像も付かない様々な苦労があるのだろう。苦笑を零す。

 春希を手伝いたい気持ちはあるものの、実務のコミュニケーション能力も乏しい隼人では、あまり力になれることはない。せいぜい力仕事くらいだ。

 そのことを思えば再び胸にもやっとしたものが生まれそうになり、誤魔化すように小さくかぶりを振る。

 すると春希はふぅ、と息を吐き、エンボスカップを掲げた。


「あと、新発売のトルコ珈琲も気になってたからね」

「トルコ珈琲……確か特徴的な淹れ方をするって聞いたことあるような……」

「珈琲の粉を専用の小鍋の中で煮だして、その上澄みだけを飲むやつだよ」

「へぇ。どんな感じ?」

「んー、苦みが強くて独特な香りだけどおいしいよ。ただ、ちょっと口の中が粉っぽくなるから他に水気があるものが欲しくなるかも」

「あはは、そっか」


 そう言って春希が眉を寄せ、困った顔でんべっと珈琲色に染まった舌を見せれば、隼人も釣られて笑みを零す。

 そんな他愛もない話をしながら家へと足を向けた。

 他にも今日互いにこんなことがあった話をする。

 クラスの吸血姫カフェのメニューがどうだとか、白泉先輩にクレーム処理を任されてばかりだったとか、普段授業している時間に外に出るのはわくわくするだとか、未提出のパンフレット原稿の回収に行ったら部室をひっくり返して探し始めただとか。思わず笑みを零すような話題を面白おかしく。

 すると隼人はふと、買い出しでみなもとした約束のことを思い出す。


「そうだ、みなもさんのことだけどさ」

「え? あ、うん、みなもちゃんがどうかしたの?」

「今度みなもさんに遊びに行く予定を取り付けてたんだった。いつにしよう?」

「……へ?」


 春希は目をぱちくりとさせ、疑問の表情を浮かべ顔を覗き込んでくる。

 隼人は確かに春希にとってはいきなりのことだなと思い、順を追って説明しだす。


「買い出しの時、みなもさんと出会ったんたんだ」

「うん、それで?」

「クラスの皆と大きなものは買い終えて、どうも残り細々としたものを引き受けてたみたいでさ、一生懸命に役目をこなそうとしている姿が無理をしているって感じちゃって――」


 ひどく憶えのある姿と重なった。かつて母が一度目に倒れた時の、自分と。

 隼人はそこで言葉を区切り、そしてじくりと痛んだ胸に手を当て、少し情けなさと無力感を滲ませた声色で言う。


「何を言っていいかわからなかったんだ」

「隼人……」


 そう、かつてふさぎ込んでしまった姫子に、何もできなかったように。

 自分の無力は痛いほどわかっている。

 弱気混じりの言葉を零せば、春希が気遣わし気な瞳で覗き込む。

 しかし隼人は努めて明るい表情を作り、ポリポリと赤くなりつつある頬を掻きながら、少々気恥ずかしそうに口を開く。


「でも、春希なら何とかしてくれると思ったから」

「……え?」

「春希、そういう誰かの話を聞いてアドバイスをするのとか得意だろ? ほら、今日も色々揉め事を解決してたみたいだし……だから、切っ掛けだけ作ってきたというか……」


 みなもの事情に嘴を突っ込もうとしたが上手くいかず、後は春希に丸投げにした形だ。まったくもって決まりが悪い。自分でもどうかと思う。

 だけど、春希なら何とかしてくれるという信頼があった。

 その春希はといえば呆気に取られたような顔で目を何度か瞬かせた後、ふっ、と意外そうな、しかし嬉しさを滲ませた笑みを見せる。


「そっか、隼人からボクはそう見えるんだ」

「違うのか?」

「ふふっ、さぁどうだろ?」

「なんだよ……」

「でも、思い立ったら即座に手を伸ばす……隼人らしいね」

「俺らしい?」

「そうだよ。幼い頃から、ずっとそうだった」


 そう言って春希はふわりと笑う。かつてと同じ隼人を信頼している笑みだった。

 だけど今の春希とは重ならず、ドキリとしてしまい、照れ隠しから目を逸らし片手を上げる。


「まぁその、後は任せた、相棒・・


 隼人がそう言うと春希はニッと笑い、パンッと叩き返す。そしてバトンを受け取ったとばかりに握り拳を作り向けてくれば、隼人も同じく握り拳を作りゴツンとぶつけ合う。


「うん、任された! これも"貸し〟ね」

「おぅ、頼む」


 そして春希はにこりと笑い、ぐいっと隼人の手を引き足取り軽く走り出す。


「じゃ、早く帰ろう!」

「って、おい、春希!」

「今日の夕飯は何っ? 帰りにスーパー寄って帰るっ!?」

「もう遅いし、昨日の残りと冷凍っ!」

「あはっ、手抜きだ!」

「たまにはいいだろ!」


 息を弾ませながらそんな言葉を交わす。

 夕暮れの道を高校生の男女が手を繋いで駆け抜ける。なんともアレで目立つ光景だろう。現に道行く人たちも隼人と春希を振り返っており、少しばかり気恥ずかしい。

 これはきっと春希からだからだろう。どうしてか心が軽くなっていた。

 だから2人は自然と無邪気な笑顔を咲かす。

 幼い頃と変わらず、同じように。



 さすがにマンションが見えてくれば、どちらからともなく手を離し、足も緩め歩く。

 走ってきたせいか身体は火照り、うっすらと汗をかいていた。

 その時吹き付けた夕暮れの秋風が、2人の熱を奪う。

 同時に少しばかりのぼせ上っていた頭も冷えた隼人と春希は、互いに顔を見合わせ何やってんだかと苦笑を零す。


「うん? あれは……」

「姫子に、沙紀さん?」


 視線の先にはマンションのエントランスに備え付けられている長椅子に座る妹と、その親友に姿。

 訪ねてきた人が使っているところを見かけたことはあるが、基本的に住人が使うことは無い。事実隼人も、そして姫子も利用した記憶はなかった。

 一体どうしたのだろうか?

 今朝の妙な様子だった姫子が脳裏を過ぎる。

 春希も隼人同様、眉を寄せた。

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