233.どうして、こうなるんだろ……
中に何もないのが幸いか。しかしさほど大きくない掃除道具入れの中は、2人が入るとぎゅうぎゅう詰めになってしまう。
必然、春希は柚朱と向き合い、背の高い彼女に抱かれる形になる。足だって際どく絡み合い、互いの胸は押しつぶされており、手を無造作に動かせば相手のどこに当たるかわからない。
眼前には彼女のほっそりとした白い首が広がり、そこから立ち上るシトラスの甘酸っぱい香りが鼻腔を満たせば、頭はくらくらとしてしまう。嫌でも彼女の熱と柔らかさを感じてしまい、ドキリと胸が跳ねる。
(え、わ、いい匂い、柔らかっ!?)
春希はいきなりのことで混乱してしまった。
こうやって誰かに、母親にさえハグされたという経験がなかったから、ことさらに。
わずかに外からの光が漏れる暗い掃除道具入れの中、互いの吐息が零れ、視線が絡まり合う。身体が熱を帯びていく。
するとその時、ガラリと教室の扉が開いた。
春希と柚朱はわずかにビクリと身体を強張らせ、息を潜め外の様子に意識を傾ける。
「遮光カーテン、どこかな?」
「パッと見た感じ、どこにも見当たらないね。あそこの段ボールの中のどれかと思うけど」
「うへぇ、たくさんあるなぁ」
「あはは、僕も探すの手伝うよ。段ボールの横とかに何が入ってるかのラベルとか貼られてないかな?」
「あ、ある! これは石膏、10年前の記念ボールペン、こっちは磁石? 輪投げセットまで! こんなの残してどうすんだってものまで色々あるねー」
「こういう文化祭で使うかもしれないからじゃない?」
「なるほど」
そんなことを話しながら目的に物を探す一輝と女子生徒。
ややあって女子生徒が「お!」という声を上げた。
「見つかったかい?」
「うん。でもあそこ……」
女子生徒が指差す先は、いくつもの段ボールが積み上げられたところの一番下。
彼女が少し困った様子を見せていると、それを見た一輝はひょいっと上の物を持ち上げた。
「ほら、今のうちにそれ出しちゃって」
「あ、うん……あった、遮光カーテン!」
「それはよかった。僕の持ってた段ボールの中にでも入れといてよ」
「え、でもこれくらい私が……」
「いいから。僕にカッコつけさせてよ。ね?」
「ふふっ、海童くんってば!」
そう言って一輝が茶目っ気たっぷりに片目を瞑れば、女子生徒もくすりと笑う。
彼女が目当ての物を取り出し、一輝が持ち上げていたものをもとに戻す。
すると女子生徒は興味津々といった様子で、ぺたぺたと一輝の腕を触ってきた。
「へぇ……ほぉ……」
「「(っ!?)」」
「あの、何か……?」
「いや随分な力持ちだし、どうなってるのかなーって気になって」
突然のことに困惑しつつも、されるがままになる一輝。
彼女はやけに親し気な空気を醸しつつ、一輝との距離を詰める。
明らかにクラスメイトとしては一線を越える行動だった。
その様子を見ていた柚朱は硬く唇を結び、ぎゅっと春希の腕を掴む。
一方その間も彼女の行動はエスカレートしていき、一輝のいたるところに手を回す。
「いやぁ、部活で鍛えられてるからなのかな? 筋肉すごいねー、腹筋とかカチカチじゃん!」
「……それくらいで勘弁してくれないかな? さっきからくすぐったくて」
「あはっ、ごめんごめん。こうやって男子の身体に触れる機会とかなくて、つい」
さすがに一輝が苦言を呈すれば、彼女はひょいっと1歩離れ、ごめんとばかりに軽く両手を上げる。
そして女子生徒は何かいいことを思い付いたとばかりににんまりとした笑みを浮かべた。
「あ、じゃあお詫びに私の身体触ってみる? ほい、っと!」
「え、あ、ちょっと!」
「「(っ!)」」
「私さー、大きさと形は結構自信あるんだよねー」
そう言って女子生徒は背後から一輝に抱き着き、その中々に目立つ胸をぐいぐいと押し付けた。
文化祭は人間関係を大きく変える切っ掛けになる。きっと、あの彼女にとってもそうなのだろう。軽い感じで接しているものの、彼女の顔にはどこか余裕の無さを感じる。
一輝だってさすがに驚きと動揺を隠せず、顔を強張らせ固まってしまっている。
彼女はそんな一輝をどう思ったのか、身体を押し付けるようにして甘い声で囁く。
「海童くんってさ、前と違って隙が多くなったよね」
「そう、かな?」
「うん、親しみやすくなったというか、勘違いしちゃうというか……ね、今ってカノジョいないんだよね?」
彼女のそれは、決定的なところに踏み込もうとするそれだった。
柚朱は今にも飛び出そうとしている。きっと嫉妬の炎が、彼女の感情を焦がしているのだろう。
春希はふいに沙紀のことを思い浮かべた。
もし自分が隼人を揶揄うようにあんな風に身体を使ったスキンシップをしたら、きっと沙紀は胸が張り裂けそうになるに違いない。今は、その痛みが明確にわかってしまう。
だから春希はぎゅっと柚朱に掴まれていた手を包み込む。どうしたことかとこちらに目を向けてきた柚朱に向かって、ふるふると小さく
柚朱はそんな春希に瞠目し、それから自らを落ち着かせるよう、ふぅぅぅと小さく長い息を吐く。
そして一方、
ビクリと肩を震わせると共に、纏う空気も少し冷えたものへと変化する。
そして一輝はゆっくりと彼女の手を剥がし、少し困ったような、しかし真剣な目で告げた。
「……ごめん、僕には好きな子がいるんだ」
「っ!?」「「(っ!?)」」
今度は女子生徒が驚く番だった。
少しばかり意外そうな声を震わせ、一輝に問いただす。
「もしかして1組の二階堂さん? いやでも
「それは……」
一輝は眉を寄せ、口籠る。
「「……」」
「「(……)」」
しばし無言の、緊張した空気が流れる。
校舎からの喧騒は遠く、引き延ばされたかのような時間の中、見つめ合う。
「――ごめん」
やがて一輝はその一言だけ絞り出す。
短いが確固たる感情の入り混じった声色だった。
その意図がわからない者は、この場には居ない。
「……あは、そっか。じゃあ、うん、私は先に戻るね!」
やがて彼女は乾いた笑みと共に、逃げるように教室を去っていく。
1人残された一輝は足音が聞こえなくなるまで、まるで自らが傷付いたかのような顔でぎゅっと胸を掴みながらこの場で佇み、やがてはぁ、と切なげなため息を吐く。そしてのろのろと荷物を持ち、教室を後にする。
「「(……)」」
掃除道具入れの中を気まずい空気が支配する。
胸中は複雑だ。
一輝の様子からは明らかに誰かに想いを寄せ、悩んでいるということがわかった。その相手が、春希じゃないということも。
そして柚朱はそのことを目の当たりにした形になる。だから、余計に何を言っていいかわからない。
やがて一輝が去ってたっぷり10分は経ってから、外へと出た。
春希はふぅ、と安堵の息を吐きつつ伸びをしながら、ちらちらと柚朱を窺う。
すると視線に気付いた彼女は、泣き出しそうな顔を必死に笑顔で取り繕い、気丈を装い声を上げる。
「あんな一輝くんの顔、初めて見たわ」
「ボクもです」
「さすがにそろそろ戻らないと。妙なことに付き合わせて悪かったわね」
「……ぁ」
そう言って柚朱も足早に去っていく。
演劇部とは違う方向へと走っていったことを言及するほど野暮じゃない。
廊下へ出た春希は校門のある方を見て、くしゃりと表情を歪ませながらポツリと呟く。
「どうして、こうなるんだろ……」
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