16.もし、それがあれば……


 その日は朝から雨だった。

 昨晩からしとしとと降り続く宿雨は、陰鬱いんうつな空気も振り撒いている。こんな日に仕事や学校に行きたいと思う人は稀有けうだろう。


「うぎーっ! 髪がまとまらーん!」


 霧島家にも、朝からそんな空気に対する抗議の声が上げられていた。

 隼人はそんな姫子の声をBGMにしつつ、『あぁ、毎度のことか』と思いながらお弁当を作っていた。

 レンジで温めるだけでいい冷凍のから揚げに、昨夜の夕食の残りのごぼうと人参のきんぴら、ミニトマトを添えたものである。


「もぅ雨の日はイヤ! せっかくの髪がぶわーってなるしてっぺんはペタンコになっちゃうし!」

「俺は結構好きだけどな。渇水(かっすい)で手伝いに駆り出される心配が無くなるし」

「おにぃ、もうこっちに畑は無いんだよ……」

「そ、そうだったな」

「それよりも、うーん、アプリによるとお昼過ぎには雨上がるんだよね。帰りに傘、忘れないように折り畳みで行ったほうが良いのかなぁ」

「スマホ?」

「うん、そう。結構当たるし便利だよ」

「そうか、便利なのか」

「おにぃが興味持つなんて珍しいね」

「……春希に、何で持ってないんだって怒られた」

「あぁ、はるちゃんに……」


 姫子はうんうんと、何か納得したかのようにうなずき腕を組む。そして隼人を見つめる瞳は、批難と呆れの色が含まれている。


「ちょっといいですか、おにぃ? スマホはもはや現代では生活必需品です。各家庭に冷蔵庫があるように、各農家にトラクターがあるように、各個人で持っていて当然のものなのです。もっていないおにぃが異常なの」

「マジか……それほどなのか……」

「月野瀬は基本電波1本しか立ってなかったけどね。でもやっぱりあると便利だよ。あたし、沙紀ちゃんと毎日やり取りしているし」

「あぁ、村尾さんと」


 村尾沙紀むらおさき。月野瀬では珍しく同世代であり、姫子の同級生であり友人である。

 大人しく物静かな女の子で、昔から姫子とよく遊んでいた。しかし隼人が近付くと、すぐに姫子の影に隠れてしまったりしており人見知りの激しい妹の友人、そんな認識がある。姫子にとっては大切な幼馴染とも言える。


(なるほど……)


 姫子と村尾沙紀は、この引っ越しで離ればなれになってしまった。月野瀬とこの街では、車で数時間はかかる距離だ。おいそれと会いに行ける距離じゃない。

 運転免許や車を持たない隼人や姫子にとっては、丸一日かけなければ会いに行けないような隔たりがある。幼い子供にとっては、永遠の別れになるような距離だ。


 だけど、いまでも姫子は積極的に連絡を取っている。手のひらサイズの端末による、か細い繋がりかもしれない。だけど、確かに2人は繋がっているのだと感じられた。


「そうか……村尾さん、元気にしてるのか?」

「うーん、いつも通り? あ、でもおにぃのこと結構気にしてたみたいだけど……何かしたの?」

「は? 俺が? てか、村尾さんにはどちらかと言えば苦手にされてただろ」

「だよねー? うーん、昔からあの子、おにぃを前にすると変になってたんだよね。生理的なものかな?」

「やめろ、姫子。それは結構傷付く」

「あはっ、じゃあちょっとは良い所言ってアピールしといてあげるよ」

「頼む」


 そう言って、姫子は彼女にメッセージを打ちこみ始める。

 隼人はそれを見て、もし幼い頃スマホなり春希と繋がりがあったままならば、きっと今とは違う未来があったのかもしれないんじゃないか――そんなことを思ってしまう。


 姫子はメッセージを打ちこみつつ、隼人に話しかける。


「はるちゃんもさ、久しぶりにおにぃと出会えて嬉しかったんだと思うよ。今でも友達なんでしょ? 色々積もる話もあるだろうし、もっとおにぃと話がしたいんじゃないかな?」

「そうかな……そうかも」


 正直な所、隼人は何故昨日、春希があんな風に怒鳴ったのかは分からない。


 思えば、春希のことは知らないこと、わからないことだらけだ。

 春希が女の子だったってこともそうだし、ジオラマを作っていたというのもそうだ。他にも勘違いや行き違いがあるかもしれない。それでも隼人にとって春希は、特別で大切な幼馴染である。


(スマホがあれば、お互い色々もっとわかるようになるかな……)


 隼人は前向きにスマホを持つことを検討するのであった。




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