140.殺し文句
田舎と違って都会のクマゼミは、森の樹木でなく建物の外壁に掴まり朝からシャンシャンシャンと鳴いている。
そんなクマゼミたちが唄う住宅街、とある一画にある古めかしい日本家屋、その洗面所。
みなもは鏡の前で難しい顔を作り、ブラシと髪ゴムを手に悪戦苦闘していた。
「うぅぅ、変じゃないでしょうか……」
不安の色が滲む呟きが漏れる。
鏡に映っているのは、くりくりの癖っ毛をハーフアップに編み込んだみなもの姿。
あどけなさと大人っぽさが同居しており、みなもの魅力を引き出している。
いつもなら隼人の母、真由美にしてもらっている髪型だ。
最近春希にも教わりながら、1人でも出来るよう練習していた。
「と、そろそろ行きませんと」
そう言って制服に着替えて家を出る。
すると、隣の家の庭から「わんっ!」と元気よく挨拶の声を掛けられた。
視線を向ければラフコリーのれんとが、フェンスまで尻尾を振って駆け寄ってくる。
「れんと、おはよう。今日も暑いね~」
「わんっ! わんわんっ、わふっ!」
「あら、みなもちゃん、おはよう……まぁ、まぁまぁまぁ! 今日は随分可愛らしい髪をしているのね!」
「
「いいえ、全然! うふふ、良く似合っているわ。今から学校かしら?」
「はい、部活です」
「あら、あらあらあら、部活! 青春ねぇ……ふふっ、いってらっしゃい」
「はいっ!」
すごくいい笑顔を見せる隣人の声を受け、みなもは学校の花壇を目指し通学路を歩く。
さて、今日はどんな世話が必要だろうか?
そんなことを考えるものの、普段と違う髪型なので少しばかり周囲の目が気になり落ち着かなくもあった。自然と早足になってしまう。
そして校門を潜れば、グラウンドから活発な掛け声が聞こえてきた。
夏休みとはいえみなも以外にも、部活などで学校を訪れる生徒は多い。
「よぉし!」
花壇に着いたみなもは、ぐっ、と胸の前で握りこぶしを作って気合を入れる。
この時期様々な夏野菜が収穫の盛りを迎えていた。いつもたくさん花を咲かせている。
また、油断しているとすぐに雑草まみれになるので、細かな手入れも欠かせない。
ざっと見た感じ、今日の収穫は無さそうだった。
その代わり生命力旺盛な夏野菜たちの伸びるに任せた枝葉を剪定したり、雑草を引っこ抜いたりと手入れをしていく。
見た目がどんどんすっきりしていく花壇の様子を見て、どこか自分の髪の毛の手入れにも似ているなと、くすりと笑みを零す。
そして一通り作業を終え、ふぅっと一息吐き、額の汗を手の甲で拭う。
するとその時、ふいにスマホが通話を告げた。
「あら? ……もしもし、春希さん?」
『やほー、久しぶりみなもちゃん、今何してる? 大丈夫? あれ、もしかして外? 忙しい?』
春希からだった。
その声は興奮に彩られており、やたらとテンションが高い。
みなもは何かいいことあったのかな、と苦笑を零し、作業の手を完全に止めて日陰に移動する。
「丁度花壇の野菜の世話に一区切りついたところです。何かあったんですか?」
『うんうん、それがね、聞いてよ、すごかったの! 出産が! 羊の! 昨日の昼からずっと! 季節外れで大変で、皆てんやわんやで、徹夜になっちゃって!』
「まぁ!」
『準備とか何もできてなくて、難産だし、遠くまで獣医さんも呼びに行かないとだし、源じいさんだけじゃなくて村中の皆もあわあわしちゃって! ついさっきやっと全て終わったところだったの!』
どうやら昨日の昼間から今までずっと、羊の出産に立ち会っていたらしい。
春希にとっても思いがけない、そして忘れられない出来事だったようだ。
未だ興奮冷めやらぬ様子で『藁いっぱい集めた!』『縄で母羊のお腹から、綱引きの様に引っ張り出した!』『月野瀬では羊の出産自体まだ3回目!』と、その時の様子を必死になって語る。
スマホの向こうで、春希が身振り手振りをしている姿が目に浮かぶよう。月野瀬中を巻き込んだ一大イベントに発展していたらしい。
『皆すごい頑張ってた。隼人は色々頼まれてて、沙紀ちゃんは裏方フォローの要になってて……でも、ボクはてんやわんやで……だけどさ、生まれた瞬間は本当に凄かったんだよ。夜明けと同時でさ、わぁって皆手を上げて喜んでさ、思わず涙が出ちゃったよ』
「そうですか。命の産まれる瞬間に立ち会ったんですね」
きっとそれは春希が話す以上に大変なことで、神秘的なものだったのだろう。
みなもは目を細め、花壇に咲き誇る夏野菜の花たちを眺めながら想いを馳せる。
初めて実が生った時の感動を思い返せば、誰かに話したいという春希の気持ちがよくわかる。その気持ちを自分に話してくれたことに、胸にくるものがあった。
『……そうだね、ボクと同じで計算違いで産まれてきたっていうのに、皆喜んでたんだよね』
「春希、さん……?」
ふいに春希がポツリと呟く。
その声色はやけに無機質で、感情の色が窺えない。否、何かを必死に押し殺したモノのようだった。
みなもは零されたその言葉に息を呑む。胸が軋む。
春希の家庭の事情のことは、ある程度聞いている。
友達として何か言いたかった。
でもその言葉は見つからなかった。
それでも空回る頭で、必死に想いを捻りだす。
「も、もうすぐお祖父ちゃんが退院するんですっ!」
『へ?』
「隼人さんのお母さんも、近いうちにって、その……っ」
『……あはっ! うん、そっか。そうなんだ。…………ありがとね、みなもちゃん』
「春希さん……」
『ふわぁ~~~~っふ、っと。ボクもすごく眠気来ちゃったや。ごめん、また連絡するね』
「ぁ……」
そしてみなもの返事を待たれず通話が切られる。
明らかに気を遣われていた。
はぁ、と情けない声色のため息を1つ。
空を見上げれば丁度真上にあった太陽が、わた雲によって隠され地面に影を落とす。
と同時に、お昼を告げるチャイムが鳴った。
「っと、片付けないとですね」
気を取り直したみなもは、手早く剪定した枝葉や雑草をゴミ袋に入れて纏め、そして集積場へと足を向けた。
校舎裏、そこにある集積所は平時でもあまり生徒が訪れることはあまりない。今は夏休みでもあるのだから、尚更。
だからそこに誰か居るとは、思いもよらなかった。
「どうしてですかっ!?」
「その、僕には他に、想いを寄せる人が……」
「それは嘘ですっ! 噂と違って一輝くんが二階堂さんのことを本当にどう思っているかだなんて、私にはわかりますっ!」
そこに居たのは痴話げんかで言い争うかのような1組の男女。
ここは告白スポットとしても有名な場所だ。
みなもも何度かその現場を見て、ある程度慣れている。男子が一輝というケースは、特に。
いつもなら息を潜めてやり過ごすところなのだが、二階堂という明らかに春希を指す言葉に動揺し、ビクリと肩を震わせドサリとゴミ袋を足元に落としてしまう。当然、彼らもみなもに気付く。
「っ!? ……ぁ」
「だ、誰!?」
「……君は確か、隼人くんと同じ園芸部の」
「あのその、わ、私はゴミを……」
バツの悪い表情を浮かべたみなもは、落としたゴミ袋を拾って掲げつつ、覗くつもりはなかったとアピール。
そして、そのことがわからない彼らではない。
何とも言えない空気の中、みなものあははと乾いた笑いが響く。
「……私、諦めませんからっ」
「高倉先輩っ!」
「……ぁ」
そう言い残し、2年の女子生徒――高倉先輩は身を翻し去っていく。
彼女のことはみなもも噂では聞いていた。
演劇部所属で良いところのお嬢様にして、去年のミスコンの圧倒的覇者である彼女は、去っていく姿も様になっている。場違いだと思っていても、見惚れてしまう。さすがは2年の有名人である。
しかし、どうやら一輝にご執心な上、ただならぬ仲というのも見て取れた。
思い返せば以前にも、彼女から一輝に告白しているところを見ている気がする。
おそらく2人の間にはかなり込み入った事情があるのだろう。
そんな気まずさがみなもの顔に出ていたのか、一輝は取りなすように苦笑を1つ。みなもに向き直る。
「あはは、変なところを見せちゃったね。その、先ほどのことは忘れてくれると嬉しいかな? ……それじゃ」
そう言って一輝は軽く手を上げ、この場を去ろうとする。
「あ、あの、待ってください……っ!?」
「っ!? え、ええっと……?」
だけどみなもは、反射的に一輝を引き留めてしまっていた。
驚いたのは一輝だけでなくみなもも同じで、その声の語尾には完全に困惑の色が滲んでいる。
そもそもみなもと一輝に直接的な接点は無い。
せいぜい春希や隼人の話に上る程度で、いいところ友人の友人だ。
それにみなもは散々この場所で一輝が女子を振るところを見てきている。珍しいことじゃない。
だというのに今日に限って引き留めてしまったのはどうしてなのか?
「い、今の海童さん、春希さんや隼人さんと同じ、つらそうな顔をしています……っ!」
「っ!?」
それは彼らと同じ、心の中にある何かから必死に堪えようとするものだった。
どうしてかみなもには、無視することが出来なかった。
先ほど春希との電話があったからこそ、尚更。
一輝は固まり、大きく目を見開く。
そして天を仰ぎ、嘆息を1つ。
「まいったな、それは今の僕にとって最高の殺し文句だ」
一輝は降参とばかりに、軽く両手を上げてそう呟くのだった。
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