139.バーベキューの闖入者


 太陽が西の空へと傾きかけている。

 昼食にするには少しばかり遅い昼下がり。

 山の手の少し高いところにある霧島家の庭先はがやがやと賑わい、もくもくと煙を上げていた。

 隣の誰の所有とも知れない空き地には、いくつかの軽トラと軽自動車、それと自転車が停められている。


「うわ、すごい炎! 沙紀ちゃん今の見た!? 火柱みたいに上がってたよね!」

「バラ肉は脂が……ひ、姫ちゃん、早く裏返して~」

「マシュマロ、焼くのたのしい……!」


 炭火を起こしたコンロの前では姫子や心太が嬉々としてはしゃぎ、沙紀がはらはらとたしなめている。

 焼かれているのは月野瀬産のトウモロコシやピーマン、玉ねぎ、トマトにエリンギといった野菜類に、猪の肉。

 じゅうじゅうと焼けるいい音と炎が舞い、煙を上げて笑い声が響く。


「おーい、ビール追加持ってきてくれーっ!」

「トウモロコシはもういけるんじゃねぇの?」

「焼きトマトはいけるぞ、なんたって生でもいけるからな、がっはっはっ!」


 そしてバーベキューに興じるのは何も隼人たちだけではなかった。

 あの後、養鶏を営む兼八さんに連絡を取った源じいさんは、頼んでいた野菜とハーブだけでなく、兼八さんとお肉とその他大勢の住人を連れて霧島家にやってきた。もちろん、お酒も一緒に。


 隼人も最初は面食らったものの、頼んだ以上の量の食材を持ってきてお代はいいよと言われれば、家計の財布を握る身としては否とは言えない。

 むしろ2つ返事で嬉々として受け入れ、こうして真昼間から宴会が始められたのだった。

 娯楽の少ない月野瀬では、こうして宴会の予兆をかぎ取って参加者が勝手に増えていくという、よくある現象である。


「隼人、まだかなまだかな!? これすっごく美味しそうな匂いが漏れてきてるんだけど!」

「あー、そろそろいいかもかだな」


 そわそわとしている春希の視線の先にあるのは、本日の目玉である2種類のチキン。

 少し多めに塩を振り、炭火で皮がパリパリになるまで焼きを入れて後、タイム、バジル、ローズマリーといった摘みたてのフレッシュハーブと一緒にアルミホイルに入れて包み焼きしているグリルハーブチキン。

 そして塩コショウ、レモン汁で揉み込んだ後、すりおろした生姜、ニンニクに、クミン、コリアンダー、ターメリック、チリパウダーとヨーグルトを合わせたソースに漬け込んだ後、串を打ってバターを塗って焼いていくタンドリーチキン。

 どちらも香り、見た目的にも申し分なく美味しそうである。


「うぅぅ~、どっちももう結構な時間焼いてるよね!?」

「ま、火は通っているだろうし大丈夫だろ。試しに1つ開けてみるか」

「はいはいはい、ボクが開けま――うわぁ!」


 言うや否や春希がアルミホイルを開放すると、たちまち濃縮されたハーブとチキンの合わさった強烈な爽やかな香りが周囲へと広がっていく。

 そして、周囲のお喋りが止んだ。

 それまで騒いでいた皆の興味がグリルハーブチキンに注がれている。どこからともなく、ごくりと喉を鳴らす音が聞こえてくる。

 まさにこの場の主役が現れた瞬間だった。


「っと、まずは切り分けないとな」

「おにぃ、早く早く!」

「お、お兄さん、紙皿はここに用意してます~」

「隼人、ボクの分だけ皆より少なくない!?」

「はいはい慌てるな、いっぱい焼いてあるから」


 隼人がチキンを切り分けた傍から春希と姫子が獅子奮迅の食欲を発揮して、どんどんと胃袋へと収めていく。

 2人の勢いに煽られた心太も、頬をぱんぱんに膨らませては咽て、沙紀から水を貰って背中をさすってもらっている。

 そして、食欲を刺激されたのは彼女たちだけではない。


「おーい隼坊、こっちにも持ってきてくれーっ」

「ちょっぴり辛いやつの方がいいな、なんたってビールに合う!」

「ちげぇねぇ!」

「がっはっはっ!」

「はいはい、ちょっと待っててくれ」


 源じいさんたち大人組も早く食べさせろと急かしてくる。

 隼人は苦笑しながらもテキパキと切り分けていく。

 こうやって誰かの世話を焼くのは嫌ではない。

 習慣になっているところもある。

 確かにこういうことは手間だし、大変だ。

 それでも、おいしい、おかわり、また食べたいだなんて言われれば、かつて穿たれた古い傷跡の残る心が満たされる。口元が緩む。


「あ、源さんや兼八さんたちのところには私が持って行きますよ~」

「村尾さん?」

「お兄さん、さっきからずっと作ってばっかで食べてないじゃないですかぁ。あ、残りの切り分けも私がやっておきますね~」

「いやでも……あ」


 そう言って沙紀は、ひょいっとばかりに隼人の持っている紙皿を取り上げた。

 突然のことで隼人が目をぱちくりとさせていると、返事とばかりにくぅっとお腹の音が鳴る。

 すると沙紀に、ほらね、と言わんばかりの苦笑を零されれば返す言葉もない。


 そして目の前のグリルハーブチキンを紙皿にとって食べ始めた。


「ん、うまっ、いい出来」


 パリパリに焼いた皮と溢れ出す肉汁と共に、ハーブの爽やかな香りが口の中で広がっていく。

 青空の下、一面に広がる田畑を見ながら風に吹かれて食べるのは、格別の解放感も手伝い美味しさが際立っている。

 なんだかんだと空腹感も手伝って、食べる手が止まらない。

 あっという間に皿が空になる。

 すると、脇からひょいっと新しい皿を差し出された。猪肉と野菜が乗っている。ちゃっかり大盛りだ。


「ほら、こっちも食べないとね、隼人」

「春希」


 どうやら春希が追加で持ってきてくれたらしい。

 そして隣で腰掛け、確保していた自分の分を食べ始め舌鼓を打つ。隼人もそれに倣う。

 誰かと――春希と一緒に食べると、更に美味しさが倍増した気がした。


「思ったんだけどさ、バーベキューって向こうじゃ絶対できないよね」

「そうだな、うちはマンションだし、春希んは庭がそこまで広くない」

「ふふっ、それにもしやったら煙で近所迷惑になって怒られちゃうよ」

「煙と言えば、焼肉屋の排煙機がしっかりとしてたな」

「む、焼肉! ボクたちに内緒で海童たちと行ったこと、覚えてるから! 今度連れてってよね!」

「はいはい」


 そんな下らない話をしながら、肉を焼いては食べる。それを繰り返す。

 姫子と心太もお腹を苦しそうに抱えながら食べており、その様子を見守っている源じいさんたち大人組は、ほらもっと食べなと面白がって勧めては、沙紀にたしなめられている。

 だけど皆、笑顔だった。

 ふとその様子を眺めていた春希が、ポツリと、なんてことない風に呟く。


「隼人やひめちゃんだけじゃなくて、沙紀ちゃんや心太くん、それに源さんや兼八さんたち……たくさんの人がいるね」

「そうだな」

「ボクさ、月野瀬に来てよかった」

「……春希?」


 そして春希は困ったような嬉しいような、どこか寂しいような、複雑な笑みを零す。

 どこかで見た覚えのある貌だった。

 だがよく思い出せない。

 何かを言おうとして言葉を探すも見つけられず、隼人の胸が締め付けられる。

 しかし何かを言わなければ――そんな使命感も似た想いに駆られ、無理やり言葉を捻りだそうとした時のことだった。


「あーその――」


「んめぇ~~~~っ、めぇっ、めぇぇぇ~~~~っ!!」


「「っ!?」」


 どこか剣呑になりかけた空気を、やけに切羽詰まった様子の鳴き声が切り裂く。

 現れたのはどこか見覚えのある羊。

 予想外の闖入者に驚いたのは隼人たちだけではなく、突然のことに全員がどうしたことかと顔を見合わせている。


「あらぁ? どうしたのかなぁ……あれ~?」

「んめぇ~~~~、めぇ~~~~っ!」

「っ!? 沙紀ちゃんじゃなくてわし!?」


 羊はよく懐いている沙紀を素通りし、一直線に源じいさんのところへ向かい、服の裾を噛んで引っ張る。

 源じいさんのところの羊は時々脱走してのんびりとお散歩することがある。

 だがそれにしては様子がおかしい。

 何か伝えたいことがありそうなのだが、それが何かはわからない。

 皆はますます困惑し首を捻っていると、今度は「おーいっ!」という、先ほど追加のお酒を自転車で取りに行った人が、血相を変えて大声で叫んでいる。


「大変だ、源じいさんのところの羊が産気付いているっ!」


「「「「っ!?」」」」


 この時季外れの羊の出産の報せは、皆の酔いを吹き飛ばすには十分なものだった。


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