138.羊の群れに放り込まれる沙紀


 太陽が真上から降り注ぐ日盛り。月野瀬川沿いの生活道路。

 そこにぽたぽたと水滴の足跡が作られている。

 皆、程度の差はあれ服が濡れるのを厭わず、川を遊び倒していた。


「いやぁ、たまにはびしょ濡れになるまで川遊びするのもいいもんだね!」

「つめたくて、きもちよかった!」

「もぅ、はるちゃんってば川の中頃まで入っていくからびっくりしたよ!」


 からからと笑いながら話に花が咲く。

 川で尻もちついた隼人以外で、特にびしょ濡れなのは春希。

 シャツがぴったりと身体に貼り付いてしまっており、その少女らしい線や下に着ているキャミソールなんかも浮かび上がってしまっている。

 さすがに隼人にとって目に毒だったので、何か言おうとして――やめた。

 代わりに熱を持った頭をガリガリと掻く。陽射しは強く、このままでもじきに乾くだろう。

 来た道を戻りながら話すのは、仕掛けにかかった獲物のこと。


「それにしても、魚は全然捕れなかったねー、隼人」

「あれだけ仕掛けの傍でばしゃばしゃ騒げば、魚も警戒して来ないだろうよ」

「そういやここってアユやヤマメ、釣れなかったっけ?」

「いるけど数少ないぞ。狙うなら山向こうの遊漁区行った方がいい」

「あそこは遠いし有料だからねぇ……ま、別に何も引っ掛からなかったわけじゃないし?」


 そして春希と隼人は心太が熱心に見つめている仕掛けのペットボトルへ視線を移す。

 中にいるのは親指くらいの大きさのサワガニが十数匹。唯一罠に掛かっていた獲物だ。

 活発に動きまわるもの、大人しくジッとしているものに、こちらの顔を見てハサミを上げて威嚇するものと、見ていてなかなかにどれもが個性的だ。ほっこりして口元も緩む。


「うんうん、サワガニもいいよね!」

「そうだな、活きもいいし、まずは一晩真水に漬けて泥を吐かせないとな」

「でもおにぃ、これくらいの数だとせいぜい1人前のおやつくらいにしかならないんじゃない?」

「ちょ、隼人にひめちゃん、サワガニ食べるの!?」

「「……えっ?」」


 春希の驚く声に、霧島兄妹のポカンとした声が続く。

 互いに顔を見合わせ、一瞬沈黙が流れる。

 そして春希は信じられないとばかりに心太の傍に駆け寄り、仕掛けの中にいるサワガニを見つめながら同意を求めるかのように言葉を紡ぐ。


「こんなにちっさくてかわいい子たちを食べるなんて、ひどいこと言うよねー……ね、心太くん?」

「サワガニのから揚げ、さくさくかりかりで好き」

「心太くんっ!?」


 しかし心太からの返事に、春希が固まる。

 そしてまさかという面持ちで沙紀へと視線を移せば、困った顔が返ってくるのみ。


「宴会でもビールのお供として人気です……」

「沙紀ちゃんまで!?」


 どうやら月野瀬でサワガニは人気の食材らしい。

 頭を抱える春希以外から、あははと色々誤魔化すような笑いが広がる。


 そして食べ物の話していたせいか、誰かのくぅっというお腹の音が鳴った。もうお昼時だ。


「おにぃ、お腹減ったー。お昼どうする?」

「何にしようか……どちらにせよ買い出しに行かないとだなぁ」

「あ、そういえば! 隼人、バーベキューでの炭起こしの裏技あるって言ってたよね? 気になるんだけど!」

「わぁ、ばーべきゅー!」

「おにぃ、あたし葉っぱまみれにして焼いたりヨーグルトであれこれしたチキン食べたい! コンロとか出すよー!」

「ぼ、ボクに出来ることは何でも言ってよ!」

「ばーべきゅー、ばーべきゅー!」


 春希と姫子がバーベキューだと騒ぎ始めれば、それまでサワガニにご執心だった心太も嬉々として話に入ってくる。

 6つの期待に満ちた瞳を向けられれば、隼人としても否とは言い辛い。


「今からだと結構時間かかる……って、はいはい、わかったわかった」

「わ、私も手伝います~」

「はは、頼りにしてるよ村尾さん。ええっとまずは養鶏もしてる兼八さんのところでお肉買って、野菜はいいとしてハーブかぁ……源じいさんところにいくつか植えてたはず――うん?」


 その時、目の前の道から白いもこもことした集団が現れた。その最後尾には源じいさんの姿。

 どこかの空き地の雑草を食べさせてきたのだろうか? 源じいさんのところのメェメェたちは草刈りの代わりに働くことが多い。月野瀬ではよく見られる光景である。

 もっとも、雑草でも結構な好き嫌いをするので、効率については言及してはいけない。なお雑草より野菜の苗の方が好きらしい。グルメである。


「めぇ~~っ!」

「ふぇ?」


 そしてこちらに気付いた1頭の羊が大きな鳴き声を1つ。

 まっすぐに沙紀に向かってやってきて、頭を撫でろと身体を擦り付けてくる。


「んめぇ~~っ!」

「あら? あらあらあら~っ?」

「めぇ、んめぇ~っ」

「めぇ~~~~っ」

「めぇ、めぇ~~っ」

「え、え、ちょっと~っ!?」


 そしてやってきた最初の1頭を皮切りに、他の子もやってきては沙紀を囲む。

 1頭だけやけに身体がおっきくてのんびり屋さんの羊が、あわてて皆の後を追う姿も微笑ましい。

 いきなりのことにびっくりした春希は、隼人のシャツの裾を掴んでメェメェたちを指差すも、隼人だけでなく姫子や心太もあははと苦笑いを零すのみ。


「さ、沙紀ちゃん!? は、隼人、あれいいの!?」

「大丈夫だろ、今だって村尾さんだってわかって甘えにいってるくらい賢いし」

「ねーちゃ、いつものこと」

「沙紀ちゃん、妙に懐かれてるんだよねー」


 羊の群れの中に放り込まれ形になった沙紀が一生懸命撫で上げれば、「んめぇ~~」「めぇ、めぇ~~」と気持ちよさそうな声が上がる。

 どうやらこれも月野瀬では珍しい光景ではないらしい。


「おーう、霧島の坊、川からの帰りか? 水も滴るいい男に、っていうか悪たれの片棒は色っぺぇいい女になってるじゃねぇか、がっはっはっ!」

「み゛ゃっ!?」


 機嫌良さそうに手を上げながらやってきた源じいさんが、濡れネズミになっている隼人と春希をみて笑い声を上げる。

 源じいさんの指摘で初めて自らの姿の状態に気付いた春希は、一瞬にして顔を真っ赤にしつつ胸を見られないよう自分で掻き抱いて縮こまる。

 それを見た姫子は呆れた様子のため息を吐き、心太はきょとんとしている。

 そして隼人は眉間に複雑な皺を刻み、この何とも言い難い心境を誤魔化すように話題を振った。


「あーその、源じいさんのとこでタイムとかローズマリーとか植えてなかったっけ?」

「うん? おぅ、数は少ないけどあるぜ。それが?」

「分けて欲しいんだ。バーベキューに使おうって話になってな」

「バーベキュー? あぁなるほど、夏だし皆そろってるもんなぁ。ってことは肉も要るだろ、兼八さんにも俺から連絡入れといてやろうか?」


 源じいさんが揶揄うような声でスマホを取り出し隼人に見せてくる。

 しかし隼人はふふんと鼻を鳴らし、そうはいくかとばかりに自分のスマホを取り出し、芝居がかった残念そうな言葉を返す。


「そうだなぁ、こっちから連絡してもいいんだけど、兼八さんの番号しらないからなぁ。源じいさん、頼める?」

「お? なんでぇ、ついにスマホ買ったのか」

「……さすがに都会じゃ持ってないと不便だった」

「がっはっはっ、そうかそうか!」

「そうだよ、聞いてよ源じいさん! おにぃったらスマホが無いからってね――」

「そうそう、隼人ってば――」


 姫子と春希が愚痴るかのようにかつての隼人の失敗談を話し出す。

 すると源じいさんのがははという笑い声と、沙紀のくすくすという忍び笑いが零れていく。

 そして失敗談を2人の口から聞かされた隼人は、バツの悪い顔を作るのだった。

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