137.水も滴る
いつの間にか水切り大会が始まっていた。
特に熱中しているのは心太、……それと姫子。
「見た、今の見た!? ちゃんと7段跳ねたよね! ふふん、あたしのほうが先だったね!」
「むぅ、6段が大きな壁……」
「ひ、姫ちゃんそこで飛び跳ねると危ないよ~! 心太も勝手に1人で遠くに石を探しに行かないで~!」
沙紀の心配の声をよそに、姫子も心太も投げ方を工夫すればするほど跳ねる段数が増えていくことが面白いのか、夢中になって投げ込んでいる。
ちなみに沙紀の段数はといえば、人には向き不向きがあるというのがよく理解できる投げ様だった。どうやら逆上がりが出来ない程度の運動神経保持者らしい。
「わ! いった、7回いった、跳ねた! ねね、見てたひめねーちゃ!」
「おぉ、心太くんもなかなかやるね。あたしも負けてらんない、次は10回目指すよ! ……それにしてもStoneSkimmig、奥が深いわね」
「すとーすきみー?」
「Stone Skimmingよ、心太くん」
「あ、あははは……」
やたら流暢な発音で心太にドヤ顔を向ける姫子。
その様子をすぐ傍にいる沙紀だけでなく、少し離れたところにいる隼人と春希も苦笑いを零しながら眺めていた。
「ね、隼人」
「うん?」
「ボクさ、時々本気で姫ちゃんの将来が心配になる時があるんだ……」
「……奇遇だな、俺もだ」
ちなみに姫子が水切りを始めたきっかけは、春希の『これ、スコットランドではStone Skimmingといって、世界大会も開かれてる水辺のレジャースポーツなのにやらないの?』という、どこで知ったんだトリビアからの挑発である。相変わらず姫子はチョロい。
そして隼人はふと思い出したことを尋ねた。
「そういや仕掛け、どうするんだ?」
「あー、心太くん水切りに夢中になってるもんね……んー、いくつかあるから自分の分だけ先に仕掛けようか? 一応、声だけ掛けとくね。おーい――」
「おぅ、頼んだ」
春希が姫子たちのところへ行くのを見送った隼人は、一足先にビーチサンダルを履いたまま川へと入る。
「冷たっ!?」
脛まで浸かる川の水は想像以上にひんやりとしており、思わず声を上げてしまう。
しかし8月の暑気に当てられ身体に籠もっていた熱が足先から川へと溶けていけば、心地よさから目を細めた。
そして涼を一息堪能したのち、川底の様子を窺い仕掛けを置くのにちょうどいい場所を探し、そして石を動かして流されないようにするための場を整える。
結構な重労働だ。
一通り仕掛けを置く準備を終え、ふぅっと一息吐きながら額から流れる汗を手の甲で拭っていると、控えめな声を掛けられた。
「お、お兄さん、私も手伝います~っ!」
「村尾さん? あれ、春希は?」
「あ、あはは……」
片手を上げながら、こちらの方へと向かってくる沙紀の姿。
その背後では姫子と心太におだてられたのか、意気揚々と石を投げている春希の姿。まったくもってミイラ取りがミイラである。
どうやら沙紀は向こうであぶれてしまったらしい。隼人も苦笑を零す。
そして川辺でミュールサンダルを脱ぎ、スカートの裾を持ち上げ水の中へ入ろうとしたので、隼人は慌てて声を上げ制止した。
「待って、村尾さん! 危ないっ!」
「ふぇ? あ……きゃっ!?」
「くっ……間に合えっ!」
川の流れは緩く、水深も浅い。
だから沙紀もミュールサンダルが濡れないよう、ちょっと素足でと思ったのだろう。
だが川底は存外に危険である。
尖った石やガラスの破片があるかもしれないし、平たいところを歩いていたとしても、藻などのおかげでぬるぬるしていて滑りやすい。
案の定沙紀もぬるりとした藻を踏み盛大にバランスを崩してしまい、間一髪のところで隼人が腕を引いて抱き寄せた。
「ふぅ……大丈夫か、村尾さん?」
「え、あ、いやその……っ!?」
「っ!? だ、大丈夫だから落ち着いてしっかり捕まってくれ」
「で、でもこれ近っ、抱……っ!?」
沙紀はすっぽり隼人の腕の中に納まってしまっていた。
想い人に抱かれるような形になり、沙紀の頭は一瞬にして沸騰してしまう。
すると必然、羞恥からあたふたと混乱して離れようと藻掻く。
さすがの隼人も足場が悪いこともあって、バランスを崩してしまう。
「痛ーっ!」
「きゃっ!?」
ドボン、と大きな水音が上がる。
被害を最小限に抑えようと自分から倒れ込んだ隼人は、川底に尻もちをついていた。
沙紀も一緒に倒れ込んだものの、濡れないよう隼人に脇の下から持ち上げられ膝をつき、たくし上げたスカートの裾の方が濡れるだけで済んでいる。
一方隼人はシャツの半分までが水にぬれており、ハーフパンツに至っては下着までびしょ濡れだろう。
沙紀は何が起こったのか状況をうまく把握できず、しかし慌てて身を離し、目をぱちくりさせ固まるばかり。
川で尻もちをつく隼人と沙紀が見つめ合う。何ともおかしな光景だった。
すると、隼人はふいに可笑しくてたまらないとばかりに笑い声を上げた。
「あはっ、あははははははははっ!」
「お、お兄さんっ!?」
「お姉さんでしっかりしていると思ったら、村尾さんにもこんなおっちょこちょいなところがあると思うとさ」
「あうぅ~……」
想い人から揶揄い混じりの声色で笑われれば、沙紀は顔を赤くして縮こまってしまう。
そんな沙紀の反応見た隼人は、少し弄り過ぎたかなとバツの悪い顔で立ち上がる。
「あーその、ごめん。ケガとかないか?」
「え、あ、はい、それはおかげさまで」
「そっか。それはよかった」
そしてにこりと笑って手を差し出す。
沙紀は一瞬その意味が分からず、掴んでいいものかどうか視線を隼人の手と顔を行ったり来たり。
苦笑した隼人が促すように手をさらに伸ばせば、沙紀もおそるおそる手を取ろうとして――
「……隼人、鼻の下伸びてる」
「っ!? 冷たっ!?」
「ひゃっ!?」
パシャッと隼人の顔に水が勢いよくかけられた。
驚き、水が飛んできた方へと視線を向ければ、どこか懐かしい水鉄砲を手に持った、春希の姿。
そして無言のままむすっとした表情で、ピシャピシャと顔へ向けて発射してくる。
いきなりのことだった。
だけどされるがままの隼人ではない。
「この、やったなーっ!」
「へへん、届かないよーっだ!」
川の水を両手ですくってかけようとするものの、ひらりと躱され河原へと距離を取られる。
そのままお返しとばかりにアウトレンジから反撃される。
「これならどうだ!」
「むっ!?」
しかし隼人も器用に手のひらで水の弾を作り、オーバースローで投げつける。
手で無理矢理投げるから散弾銃の様に水が飛び散る。春希は距離を取り、ライフルの様に狙いを定めて発射させる。
一進一退の攻防だった。
しかし均衡はすぐに崩れていく。
すぐ足元で
竹筒水鉄砲はあまり時間を置かずに
発射されない武器をみた隼人がにやりと笑う。
しかし春希もにやりと笑い返した。
「心太隊員、ボクが水を補給するまで隼人の足止めを頼む!」
「いえす、まむ! えーいっ!」
「うおっ!?」
突如背後に現われた心太に、ピシャリと水を掛けられ驚く。
振り向けば春希と同じ竹筒水鉄砲を装備した心太の姿。
隼人が虚を突かれている隙に、春希も手早く
武器をもった2人がかりによって、隼人もじりじりと追い詰められていく。
「ふふ、年貢の納め時だね、隼人」
「かくごっ!」
「くっ、このままじゃ……ってあれは!」
ふと河原に置かれた仕掛けなどを入れてきた心太のリュックから、予備と思しき竹筒水鉄砲が飛び出してるのが目に入る。
隼人がにやりと笑う。
その視線と笑みの意味に気付いた春希が叫ぶ。
「あ、武器に気付かれたぞ! 死守しろ心太隊員、打てーっ! 打ちまくれーっ!」
「えいっ、えーいっ!」
「ははっ、得物があればこっちだって……っ!」
川を飛び出し一直線にリュックへと向かう隼人。
それを阻止しようと一心不乱、四方八方に水の弾幕を作る春希と心太。
緊迫した空気が流れる。
ここ一番の局面だった。
「…………ぁ」
「え……ぅ……ぁ……」
「ひ、姫子……」
だがそれは突如終わりを迎えた。
「……はるちゃん? 心太くん? おにぃさま?」
地の底から響いてくるような声を絞り出すのは、水の弾幕の餌食になった姫子。
頭から足の先までびしょ濡れになっており、髪も服も台無しだ。
そしてふふふと昏い笑みを零し、カツカツとリュックにまで歩いて武器を手に取れば、隼人と春希と心太はぞくりと背筋を震わせ後ずさった。
「し、心太隊員、隼人を壁にして全力で転身、逃げるよ!」
「あ、あいさーっ!」
「おい、ちょっ、春希ーっ、心太ーっ!?」
ぐぐいと2人に背中を押された隼人が前につんのめってたたらを踏めば、目の前には鬼のような形相の妹の姿。
春希と心太は一目散に逃げてしまっている。
隼人もたまったものじゃないと慌てて背を向けて逃げ出す。
「こらーっ、待てーっ!」
そして姫子の怒鳴り声を皮切りに鬼ごっこが始まるのだった。
その様子をぽかんと見ていた沙紀であったが、きゃいきゃい叫ぶ皆の声を聴いているうちにどうしてか笑いが込み上げてくる。先ほどの隼人の様に。
気付けば走り出していた。どこか笑みを浮かべている皆のもとへ。
「姫ちゃ~ん、春希さ~ん、お兄さ~ん、心太~、みんな待ってください~っ!」
真夏の燦々と輝く太陽の下、パシャパシャという水音が響いている。
あたり一面には蝉時雨と吹き下ろす風。
5つの笑い声が大きく蒼い空へと吸い込まれていくのだった。
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