289.本当の、気持ち
◇◇◇
唄を、言葉を、皆の応援を受けながら小さくなっていく隼人とみなもの背中を見て、春希と沙紀はそれぞれしょうがないなと眉を寄せる。
きっといきなりのことで、みなももさぞびっくりしていることだろう。
だけどそんなことをしでかして、とても隼人らしいなと思うと共に、これでみなもはもう大丈夫だという確信もあった。
隼人はいつも、いきなり暴走するかのように振り回すところがある奴なのだ。
幼かったあの頃から春希と沙紀の心には、隼人なら何とかしてくれるという、憧れにも似た信頼がある。
それにきっと、隼人に救われたことは自分たちだけじゃない。
一輝が変わろうとしているのも。
愛梨があれほど変わったのも。
おそらく、先ほど愛梨と一緒にステージに立った柚朱も。
いつだって隼人はさりげなく手を差し伸べたり、背中を押す言葉で、誰かを変えてしまう。
隼人は自分の周囲が笑顔じゃないと気が済まないやつなのだ。そういうやつなのだ。
自分たちだって、そうだった。
春希と沙紀は心を重ねて思い返す。
あの日、誰からも疎まれ暗く寂しい世界で1人膝を抱えてきた時。
あの日、色のない無味乾燥な世界で、言われるがまま神楽を舞っていた時。
強引に光り輝く笑顔でいられる世界に連れて行ってくれたから。
真っ直ぐな言葉で、この世界が鮮やかに色付いているのだと教えてくれたから。
もしあの時出会えなかったら、きっと今も誰にも心を開かず1人で居ただろう。
もしあの時声を掛けてくれなかったら、きっと今も月野瀬で淡々と舞っていただろう。
今はもうそんな自分なんて、考えられない。
思えば会えない7年は、寂しくて仕方がなかった。
思えば話せない7年は、歯痒くて仕方がなかった。
もう心の奥底に、彼がずっと根付いてしまっているのだ。
責任を取れ、なんて言いたいところ。
やがて隼人とみなもの姿が見えなくなる。
2人して、どっか行ってしまった。
春希と沙紀の脳裏には、繋がれていた2人の手と手が脳裏に焼き付いている。
自分ではない女の子と一緒に、彼女の父の下へと走っているのを見て、ちくりと胸が痛む。
それも仕方がないだろう。
どうして隼人の隣にいるのが、自分じゃないのだろう?
そんな風に胸が騒めき、そんな自分に呆れてしまう。
だって本当に、この心は隼人によって変えられてしまった。
でも、分かっているはずなのだ。
あぁして誰かの笑顔の為に、一緒に寄り添い駆けてくれるのが隼人なのだから。
だから、そう。
――そんな隼人が好きになってしまったのだから。
◇◇◇
「――ぁ」
その想いに気付いてしまった瞬間、春希の全身を灼熱が駆け巡った。
息に詰まり、目の前は赤くチカチカとし、足元はフラつきその場で膝から崩れ落ちてしまう。心臓は今にも破裂してしまいそうなほど早鐘を打ち、ギュッと制服の胸を掴む。
「か、はっ……」
喘ぐように空気を求め、息を漏らす。
それはまるで爆発だった。
胸の奥底にカッと火が点ったかと思えば、大きな感情の奔流が身体中を駆け巡り、春希を焦がす。
あまりにもの熱量に思考は吹き飛んでしまい、ただただ隼人が好きだったという事実に心が翻弄されてしまっている。
まさに我が身を焼き尽くす想いの現れ。本物のみが持つはずの情熱。
そんなものが自分の中にあっただなんてにわかに信じられない。
今この瞬間にも春希自身が変わり、取り巻く世界が変わっていくのがわかる。
――どうして?
そんなことを自らに問いかけてみるも、答えは歴然。
ずっと心の中にあった幼い頃からの好きが、いつの間にかもうとっくに恋心に変わってしまっていたことに、ただ気付いてしまっただけ。
周囲はいきなりこの場に蹲った春希に、どうしたことかと騒めいている。今はそれが少し煩わしい。
春希は騒ぎ続ける胸に手を当て、隼人について思い巡らす。
かつてどうしようもない失意にいた時、初めて笑顔を教えてくれた男の子。
田舎の川に草むら、山の中。
都会の家に学校、繁華街。
怒って、拗ねて、悔しがる。
驚き、はしゃぎ、不貞腐れたり。
いつ色んな場所を思い浮かべれば、いつだって色んな表情を見せる隼人がいた。
そしてこれからもそうに違いないと、思い込んでいた。
それだけ、心の大事なところに隼人が居着いてしまっているのだ。
だからもう、これから先の自分の人生に、隼人がいないだなんて考えられなくて。
この気持ちを確かめるべく、心の中の天秤に色んなものを載せてみる。
初めての友達。
何をするにつけても一緒の相棒。
春希の生まれの事情を知ってなお同情せず、しかし本人そのものを見てくれて寄り添ってくれる相手。
他に様々なものをいくら載せてみても、好きという気持ちに傾いてしまう。
その時ふいに顔を上げた先に、こちらを心配そうに見つめる沙紀を捉えた。
顔がどんどんくしゃりと歪んでいく。
――どうして?
再びその言葉が頭に浮かぶ。
胸がキュッと締め付けられ、涙が滲む。
だってこの気持ちは、沙紀も幼い頃からずっと抱いてきたものなのだ。
だというのに、隼人は1人しかいない。
春希と沙紀が望む未来には、どちらかが傷付いた先にしかない。
まるで好きになってはいけない人を、好きだと気付いた感覚。
だけどこの自覚してしまったこの気持ちは、もう誤魔化せそうにできなくて。
あぁ、どうしてこの世界はこんなにも残酷なことばかりなのだろう。
心の中は恋しさ、切なさ、申し訳なさ、愛しさ、悲しさ、罪悪感など、色んなことでぐちゃぐちゃだった。
上手く感情を処理できない。
そもそもが初めてのことなのだ。わかるはずもない。頭がどうにかしてしまいそうだった。
幽鬼のように立ち上がった春希は、ゆっくり大きく息を吸う。
それは苦しさから逃れるための、咄嗟の感情の発露。春希が知る、唯一の方法。
咄嗟に頭に思い浮かんだのは、奇しくも月野瀬で歌った悲恋を表したもの。
だけど春希は無意識のうちにこの熱を逃すため、唄として形作った。
『あなたにひとめぼれ~♪』
◇◇◇
「――え?」
立ち上がった春希が唄い出した瞬間、姫子の背筋にぞくりとしたものが駆け抜けていく。
それは月野瀬も聞いた、かつて一世を風靡し、誰もが知る有名なドラマの主題歌。
だけどあの時聞いたものとは、まるで別物の唄だった。
もうとっくに好きで、思えば一目惚れだったことに気付いてしまい、だけど本当は好きになってはいけないような人だから想いを閉じ込めようとするも、もうどうしようもなく好きな気持ちが溢れてしまって。
辛い、切ない、苦しい、でも好き、どうしよう。
春希はそんな赤裸々な胸の内を、脇目も振らず叫ぶ。どれだけ好きで好きでたまらなく、どうしようという気持ちがありありと伝わってくる。
あまりに不器用で、切なく、やりきれなさを表す拙い恋の唄。
だからこれは、紛うことなく告白だった。
誰もが春希の想いの強さに胸を打たれ、目が離せない。中には共感するあまり、涙を流す人さえも。
姫子には、一体誰に向けて唄っているかだなんて、すぐにわかった。わからないはずがないではないか。
それは春希をよく知る相手にとっても、そうなのだろう。
一輝は信じられないとばかりに目をこれ以上なく大きくし、伊織と恵麻はむず痒そうな顔で羞恥で頬を染め俯く。そして沙紀は困ったような顔をしつつも口元を緩ませ、春希を見守っている。
しかし姫子は、どういう顔をしていいかわからなかった。
チクリと胸が疼く。
この兄と幼馴染は、昔からあれだけ仲がよかったのだ。ある意味当然と言えよう。正直、お似合いだというのはわかっている。
だけど、素直に祝う気持ちに慣れなくて。
姫子は疼く胸に手を当て、目を閉じる。
すると瞼の裏に、幼い
ひめこが想いの丈を叫ぶ。丁度、今のステージの春希のように。
するとはるきは驚き、笑顔を作り、そして――困った顔で「ごめんね」と答える。
「――ぁ、そっか……」
もしそうだったとしたら――それへの答え合わせのように、そのごめんねはハッキリと聞こえた。
今の、
目を開き、自らの想いを叫ぶ春希を見て、つぅと涙が頬を伝う。
そして姫子は淡く小さな初恋を完全に終わらせるべく、その事実を言葉として形作った。
「はるちゃんはもうずっと小さな頃から、とっくに
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本日、てんびん7巻発売です。
同時に新作「血の繋がらない私たちが家族になるたった一つの方法」も発売です。
最初の1週間が勝負と言われます、どうか応援よろしくお願いしますね!
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