288.本気の、嘘



◇◇◇


「え?」


 春希の目からも、みなもの動揺はよく見てとれた。

 跳ねる肩、彷徨う視線、しどろもどろになって零れる母音。

 みなもが戸惑うのも無理はない。

 春希だって事態がよく呑み込めず、目を瞬かせている。

 隼人は時折、いきなり突拍子もないことを言い出す。自分勝手で人を振り回すところがあるやつなのだ。

 でも、それにどれだけ救われてきたことか。

 月野瀬で1人膝を抱えてきた時も。

 都会で再会してずっと1人で暮らしてきたことがバレた時も。

 そして、つい先ほども。

 春希が暗く重苦しいところへ沈み溺れそうになった時は、いつだって引き上げてくれて、明るい場所へと連れて行ってくれる。

 ふいにみなもの言葉を思い返す。


『私、やっぱりそれでもお父さんのことが、好き』


 恐れ、不安、恋しさが混じり合い、それでも諦められないという思いを滲ませたあの声が、耳にこびりついている。

 詳しいことはわからない。

 父とのことは先ほどの様子を見る限り、上手くいってると思ってた。

 だけど今、隼人がみなみに向かって、手を差し伸ばしている。

 ――春希がよく知る、あの信じられる表情で。

 きっと今のみなもも、あの時の自分と同じなのだろう。

 ならば、もし迷っているのなら、その背中を押してあげたい。


「み――」


 しかし何かを言おうとして、言葉が詰まってしまう。それ以上出てこない。

 「行こう」だとか、「大丈夫」だとか、「ボクたちがついているよ」だとか、そういう隼人の手を掴む後押しをする言葉だというのはわかる。

 だけど先ほどからステージ発された言葉と比べてしまうと、どれも軽く薄っぺらく、まるで紛い物のように思ってしまって。

 これじゃ、みなもの気持ちを動かせやしない。

 いつも表面を取り繕い、心にもない言葉を演じ紡いでいた春希の言葉なんて、偽物だと思い知らされているようで。

 歯痒さから唇を噛みしめる。

 もどかしさが胸で渦巻き、悔しさから涙が滲む。

 それでもみなもの、友達のために何かがしたい。

 ふとその時、ステージ上の柚朱の姿が見えた。

 するとたちまち、先ほどの体育館での彼女の演技が脳裏によみがえる。

 技術的にはまだまだ拙いといえるあの演技が、どうしてあれほど胸を打ったのか。

 そのことに思い至った春希は、弾かれたように駆け出す。


「ごめん、ちょっと通して!」

「春希!?」「春希さん!?」「はるちゃん!?」「は、春希さん!?」


 隼人たちの驚く声を背に、周囲の「なになに!?」「え、あの子!」といった困惑の声を掻き分けながら前へ、前へ。前方から分け入るようにして、強引にステージへと這い登る。

 突然現れた春希に、戸惑いを隠せない愛梨と柚朱。

 だけど彼女たちの目から見ても、春希が何をしようとしているかは明々白々。

 愛梨と柚朱は神妙な面持ちで顔を見合わせ頷き合い、春希は差し出されたマイクに小さく「ありがと」と答えて受け取り、くるりと身を翻す。

 春希がステージ上からサッと周囲を見渡せば、皆いきなりの闖入者に騒めいている。

 そんな中みなもの姿を捉えた春希は、目を瞑りすぅっと息を吸う。

 瞼の裏に映すのは、ここ最近散々被ってきた仮面、吸血姫ブリギット。

 ソシャゲを通じて彼女(彼)の健気な姿に胸を打たれ、ハラハラし、困難に立ち向かう勇気に打ち震えた。

 たかがゲームというかもしれない。だけど確かに感動し、心を打たれたのだ。

 それは何も春希だけじゃない。ネットのあちこちでの書き込みや、クラスの面々、そして先ほどブリギットに成り切ったライブでもそう。

 きっと彼女(彼)はゲームのキャラだけど、人の心を震わす本物なのだ。

 ふぅ、と息を吐き出す。


『みなもちゃん!』


 春希はうつむいたまま、しかし意志を込め、短く友達の名前を呼ぶ。

 それを合図に、この場が静まり返る。

 胸に手を当て、自らに問う。

 いつも周囲に合わせ、適当に誤魔化し、誰かと深く関わって来なかった。

 表面的な、いわば偽りの関係ばかり。

 ――隼人と再会し、友達ができるまでは。

 だからこういう時、本当の言葉が出てこない。出てきてくれない。何て言えばいいかわからない。そんな自分が情けない。

 だけど。だけれども。

 自ら言葉を作れないのなら、借りればいい。

 たとえ春希自身が嘘で固めたような言葉しかできないものだとしても、この胸の内にある想いは本物なのだから。

 だからきっと、この胸の中にある本物の想いを、本物の唄に乗せればみなもの心に届くはず。

 春希は全ての仮面を脱ぎ捨て、決意に満ちた顔を上げる。

 そして生まれて初めて春希は春希のまま、散々歌ってきたその歌に自らの想いを込め、ただ1人みなも友達のために、本気のを紡いだ。


『天魔の雫~♪』


◇◇◇


 その春希の唄を耳にした瞬間、沙紀の心臓がドキリと跳ねた。


(――え?)


 明らかに今までの春希の唄と違う。

 だけど今までのどれよりも、春希らしいと感じる唄だった。

 何かを言いたくて、でも言葉にできなくて。

 そんなもどかしさや不器用さを唄に託して、伝えている。

 それはさながら、ただひたすら友達のためを想った応援歌。

 一途なまで友達を想い、剥き出しの心をまっすぐにぶつけているそれは、傍で聞いている者の胸も強く打つ。

 先ほどのライブと同じように。否、それ以上に。

 とても尊いものと感じてしまう。

 誰もが言葉を失い、心を奪われていた。

 姫子も、先ほどまで渦中の人だった一輝も、ステージ上の愛梨と柚朱も。

 隼人だけがやってくれたなとばかりに、愉快そうに不敵な笑みを浮かべている。

 それに気付いた沙紀は、ハッと息を呑む。

 胸に湧き起こるのは、僅かな嫉妬と焦燥、それとおそらく隼人と春希と同じ使命感。

 みなもはといえば、放心したかのように春希を見つめ、瞳を揺らす。

 春希の想いは、正しく彼女に伝わっているのだろう。

 だけどその顔には僅かばかりの躊躇いが見て取れた。

 それは、ひどく沙紀にも覚えのある表情だった。

 隼人の手を掴めばいい。掴むべきだ。

 だけど、想いだけで先走ったところで、どうにもならないことがあるのも事実。

 きっと感情ではそうしたいという思いがあっても、頭の中の冷静な部分が迷わせているのだろう。

 だから沙紀はその大きな懸念の1つを取っ払うべく、鞄からある封筒を取り出し、みなもへと押し付けた。


「みなもさん、これを!」

「え? あの、これは……」

「お金です。今日の軍資金以外にも、水道光熱費や食費も一緒に下ろしていたので、それなりの額があるかと!」


 するとすぐさま沙紀の行動の意図を汲み取った伊織が、隼人に向かって自分の財布を投げ渡す。


「隼人、これごと持ってけ! 今日かなり使っちゃったけど、足代の足しになるだろ」

「っ、隼人くん、これを! 僕のも持ってって!」

「み、三岳さん、私の財布も持ってって!」

「わ、わ、あたし今日全部使っちゃってる! 代わりにこのキャラメルとチョコクッキーバー、お腹空いたときにでも食べて!」

「って、おい、皆いきなり投げるなよ!」「はわっ」


 投げて寄越された財布を空中であたふたとキャッチする隼人。いきなりのことに抗議とばかりにジト目を向けるも、伊織たちはニカッと笑って親指を立てる。

 沙紀はそんな彼らの様子にくすりと笑いつつ、同じように恵麻や姫子から押し付けられたものに困惑しているみなもの背中をそっと押し、心からの言葉を告げた。


「行って来てください。本当の笑顔を掴みに!」

「…………っ、はい!」


 みなもは皆の顔を見回し、友達の想いに応えるよう力強く頷き満面の笑みを咲かす。

 そして自ら手を伸ばし、隼人の差し伸べられた手を取り、外へ向かって駆け出した。




※※※※※※


今週金曜、てんびん7巻発売です。

応援のほど、よろしくお願いします。

次回は明後日更新予定です。

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