290.――今までと変わらないノリで、笑顔を浮かべて。



 皆の声援を受けて飛び出した隼人とみなもは、みなもの父航平がいる彼女の地元を、沈む夕陽を追いかける形で目指す。

 新幹線も使い、初めて聞く私鉄を乗り継ぎ、辿り着いたのは山に囲まれた地方の中心部。

 月野瀬の麓のように政令指定都市に付随する街だと聞いていた隼人は、想像以上に発展しており、駅前のロータリーのバス乗り場の多さに、虚を突かれたように目を瞬かせる。


「えっと、11番乗り場は……」

「こっちです」


 案内板の地図を探しキョロキョロしていると慣れた様子の、しかし淡々とした物言いのみなもに促され、目的の場所へ。

 会社帰りの人ばかりの中に紛れ、列に並ぶ。

 ほどなくしてやってきたバスに乗り込み、窓を眺める。

 陽はもうとっくに沈み切っていた。

 煙のようにぼんやりと光を放つ街並み。

 西空には山に沈みそうな若月。


「…………」

「…………」


 ここまで隼人とみなもに会話はほとんどなかった。

 あっても、先ほどの様な事務的なやり取りぐらい。

 だけど胸に奥底には、使命感にも似た情動が、熱く滾っている。

 それはきっとみなもも同じなのだろう。

 その瞳には決意を漲らせている。

 口を噤んでいるのは、父に会ってそのぶつけるべき想いが、飛び出さないようにしているかのよう。

 隼人自身、余計なお節介をしている自覚があった。そのそもがよそ様の家庭の事情に嘴を突っ込んでいることなのだ。傍若無人なことをしているだなんて、百も承知。

 たとえその結果、みなもが望んだものでなく、大いに傷付くものだとしても。

 あぁそれでもやはり。

 過去に決着をつけ、これから先の未来で本当の笑顔を掴むためには必要なのだと思う。

 ふと目を瞑れば、瞼の裏に春希と沙紀、姫子や一輝、伊織や恵麻たち皆の力強い笑みが浮かぶ。

 ――大丈夫、決して1人じゃない。

 皆の気持ちも一緒に、この胸にある。 


『――前、――前』


 やがて目的の駅へと着き、バスを降りた。

 周囲を見渡せば、新興住宅地といったところだろうか。目の前に帰宅客を狙った、都会に比べてやけに広い駐車場のコンビニが煌々と周囲を照らしている。


「えっと、こっちか」

「そう、みたいですね……」


 コンビニ側は、団欒のひと時である家々から営みの灯りが煙のように漏れる住宅街。

 反対側は田畑のようで、どこまでも広がる墨を零したような闇。

 その2つの境界のように伸びる幹道を、まばらな街灯が寒々と照らす。

 この先に、航平が住む社宅があるらしい。

 隼人とみなもは航平の勤め先に聞いた住所を、スマホ確認しながら恐る恐る歩く。

 初めて訪れた土地はまるで異世界のようだった。

 それはみなもも同じの様で、周囲をしきりに物珍しそうに、心細そうに窺っている。

 きゅっと唇を結び歩くこと5分かそこら。

 目的の場所はすぐに分かった。


「コンクルハイツ……ここかな?」

「……おそらく」


 目の前にあるのは、一棟丸ごと社宅として借り上げたという、それなりの大きさの4階建てマンション。

 周囲を見渡しても、他に集合住宅は見当たらない。ここで間違いないだろう。


「行こう」

「……」


 みなももさすがに緊張しているようだった。

 返す言葉もなく、ただコクリと小さく頷き、それでも自分の問題だからと沙紀に足を踏み入れる。隼人もそれに続く。

 みなもはまるで祈るかのように胸の前で両手を握りしめ、204と書かれた部屋の前へ。

 メモ書きを確認する。表札は出ていないが、ここの数字を示している。

 インターホンを押そうとするも右手を上げるも、指先を彷徨わせるみなも。その葛藤は、想像しただけでも胸が痛む。

 だけどここまで来たらもう、見守ることしかできなくて。歯痒さからぎゅっと拳を握りしめる。

 やきもきするような空気の中、やがてみなもは気を落ち着かせるように深呼吸をし、勢いよくインターホンを押した。


『……はい』

「私です、みなもです」

『み、みなも!?』


 みなもが少し硬い声で答えると、扉の奥からどたばたがっしゃん、慌ただしい音を立ててガチャリとドアが開く。

 よれたシャツとスウェット姿の航平は、驚愕からこれ以上なく目を大きくさせている。

 それに対しみなもは眉を寄せ、曖昧な笑みを返す。


「みなも、どうしてここに……学校、文化祭はどうしたんだ?」

「えっと、今頃多分終わって……」

「いや、そうだろうけど、その……」

「後夜祭の途中からこっちへ向かって……」

「あぁ、いやえっと……」

「…………っ」


 事情をよく呑み込めず混乱している航平に、しどろもどろになって要領の得ない言葉を返すみなも。みなもの顔にはやはり、本人を前に戸惑いが見て取れた。

 それはそうだろう。自分の気持ちを晒すというのは、ひどく勇気が要る行為だ。公開告白だって、後夜祭という非日常の魔法の力を借りていた。その魔法はもう、ここまで届かない。

 その時、ふいに航平と視線が合った。

 するとみるみる彼の表情が険しいものに変わっていき、スッと目を細め威圧感のある低い声で問う。


「キミはこの間、掴みかかってきた……なるほど、キミはみなもの彼氏なのか。こうみなもが言いにくそうにしてるってことはもしや……ま、ま、ま、まさか傷モノににしただけじゃなく、ここここ子供をッ」

「ち、違ッ………ははっ、あはははははははははっ!」

「お、お父さん! って隼人さん!?」「おいキサマ、何がおかしい!」

「い、いやだって……っ」


 なんとも既視感のある航平の早とちりに、思わず笑いを堪えきれなくなる隼人。

 思えばみなもや、その祖父との出会いもそうだった。あぁ、まったくもって、彼らはやはり家族・・なのだ。

 隼人は目尻の涙を拭い、すぅっと大きく息を吸う。目を閉じれば春希や沙紀たち、ここで来ることに背を押してくれた友達の笑顔。彼らの想いを受け取った想いを込め、音痴なんて知ったことかと唄う。


「『野兎の走り~♪』」


 ひどく調子はずれの、お世辞にも上手いと言えないもの。そして春希がみなもの背を押すために唄った応援歌。

 いきなりのことに訝しむ航平とは裏腹に、みなもはハッと息を呑んだ後クスリと笑い、頬を緩め父と向き合う。


「お父さん、ここにはね、今日言いそびれたことを伝えにきたの」

「言いそびれたこと? 別に電話か何かでも……」

「うぅん、きっとこれは直接じゃないとダメだから。その前にこれを」


 そう言ってみなもは、行きがけに家によって持ってきたあるものを渡す。

 受け取った航平は、どんどんと顔を驚愕と怪訝の色へと歪ませる。


「DNA検査キット……っ!?」

「既に私の分は採取済みです。言ってましたよね、全てをハッキリさせようって」

「いやでも、それは――っ」

「わ、わたしは!」


 みなもは航平の声を遮るよう彼女らしからぬ大きな声を出し、深呼吸を1つ。

 そして何もかもを包み込むような慈愛に溢れた笑みと共に、自らの心を打ち明けた。



「私はたとえ血が繋がっていなかったとしても、お父さんのことが大好き!」



 どこまでも純粋で、飾り気のないまっすぐな言葉だった。

 これ以上なくみなもの本心が表れており、後ろで聞いている隼人の胸にもスッと入ってくる。

 目の前で直接ぶつけられた航平にとっては、いかほどのものか。彼はまるで心臓を射抜かれたかのように息を呑み、硬直している。


「え……あ……オレ、は……」


 やがて航平はひびの入った仮面が崩れ落ちていくかのように、顔をくしゃくしゃにしていく。


「……この世に生まれたばかりのみなもは、本当に小さくて今にも壊れそうで、守ってあげなきゃって思ったんだ。それからずっと一緒居て、どんどん大きくなって、誰よりも傍に居たっていうのに……あ……あぁ……ごめん、ごめん、みなも……」


 航平は自らの両掌を見つめてわなわなと震えたかと思うと、膝から崩れ落ち、そして縋るかのようにみなもを抱きしめる。


「オレも好きだ。大好きだよ。あぁ、すごく大切なことを忘れていた。すごく単純な話だ。みなもは確かに、ずっとオレの娘だった。娘を嫌いな父親なんて、居るはずがないじゃないか……っ!」


 きっと生まれてこれまでのみなもとのことを、思い返しているのだろう。航平の目からとめどなく涙が溢れ、嗚咽を漏らす。

 みなもも同じように涙を零し、同じ思い出を共有する父に応えるよう、ギュッと抱きしめ返した。


「お父、さん……」

「う、うあ、うぁあああぁああぁあああぁっ!!」


 それを引き金にして航平は喉が裂けるほど、男泣きに声を張り上げ続けた。


◇◇◇


 それから10数分後の航平の部屋、みなもは父と2人きりで顔を見合わせていた。

 隼人は気を利かせたのか、皆に連絡すると言って、外に出ている。

 先ほどのことを思うと気恥ずかしいものの、しかしその心の内は晴れやかだった。

 それは航平も同じのようで、すっきりとした顔で訊ねてくる。


「ほんと、色々びっくりしたよ。まさかこんな時間にやってきたこともそうだし」

「私もまさか、ここに来るだなんて思ってもみなかったよ」

「それってやっぱり、彼のおかげなのかな?」

「そうかな? そうかも。強引に手を引っ張られてきたし」

「そっか……彼とはやっぱり……」

「あはは、そんなんじゃないから」


 一瞬、ドキリと胸が跳ねる。

 いい人だな、とは思う。実際、園芸部で色々お世話になっていることもあり、男子の中では一番仲がいいかもしれない。

 それでも好きかと問われれば、友達として好きなだけだろう。異性としてと考えた時、どうしたって友人2人の顔が脳裏を過ぎってしまうのだ。

 きっと彼女たちも、今日みたいに隼人に助けられたことがあったのだろう。

 そしてずっと、想いを育てているのだ。とてもじゃないが、勝てる気がしない。

 みなもがそんなことを考え、難しい顔を作っていると、航平が少し口淀みながら尋ねてくる。


「なぁ、その、えっとなんだ……みなも、またこっちで一緒に暮らさないか?」

「ん~、今はまだ、向こうがいいかな」

「そ、そうか……」


 即答するみなもに、項垂れてしまう航平。

 そんな父の姿を見たみなもは、慌ててワケを話す。


「違うの! お父さんと暮らすのが嫌なんじゃなくて、おじいちゃんが退院したばかりで心配ってのもあるし、それに――向こうで友達ができたの!」

「友達? 彼のような?」

「そう! 隼人さんに負けないくらい素敵で、今日ここに来ることを色々と応援してくれた、大切な友達が、たっくさん!」

「そうか……ははっ、なら仕方ないな」

「うん……あ、そうだ! お父さんがこっちの方にきてよ。おじいちゃんと一緒に暮らすの!」

「えぇっ!?」


 航平は今度は一転驚きつつも、「そういえば向こうの方で人手がって話が……」と、本気になって検討し始める。みなもはそんな父に目をぱちくりさせた後、ふふっと吹きだす。

 もう、何もかもが元通りだった。

 これもすべて、皆のおかげ。だから早く都会へ帰って・・・、上手くいったと報告しなければ。


 ――今までと変わらないノリで、笑顔を浮かべて。



※※※※※※


てんびん7巻、血の繋がらない私たちが家族になるたった一つの方法も発売中です。

最初の1週間が勝負と言います。是非、よろしくお願いします!


次回、6章エピローグ

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